That's the spirit !

          
         「・・・というわけでぇ、マドカちゃんからチケット預かってきましたぁ!」
        

         「どーゆーわけだよ!仲介屋ッ!!」

                                                             


         先日の鬼里人の一件で、士度は結果的にマドカから士度の為だけのコンサートを贈られ、
 
         二人の絆は一歩前進したわけだったが、
   
         とばっちりを受けたヘヴンは前々から聴きたがっていたマドカのコンサートに行けず、

         少し気落ちしていた。

         それを小耳に挟んだマドカが、次のコンサートのチケットをヘヴンに渡してくれたのだ。

         チケットは貴賓席が2枚。

         その時、少し恥ずかしそうに、内緒話をするようにマドカがヘヴンに頼んだことは、
     
         “士度を連れてくる事”だった。

         先日、士度が遅刻してきたコンサートは、マドカにとって一生の思い出に残るひと時となった。

         唯一の心残りといえば、半ば無理を言って士度が来るまで開けてもらっていたホールの都合で、

         一曲しか彼に披露する事ができなかったことだ。士度にはもっと自分の曲を聴いてもらたい。

         音楽の素晴らしさを、音楽の様々な一面をもっと知ってもらいたいのだ。

         お庭では演奏できない曲も沢山あるわ・・・・。

         士度が自分からコンサートに来るようになってくれたらいいな、とマドカは思う。

         けれどこの間お願いした時の士度の戸惑い振りから察すると、それはしばらく難しそうだ。

         かといって立て続けにお願いするのは気恥ずかしいので、ヘヴンに頼んでみることにした。

         士度と彼女は仕事でよく会っているらしいし、彼女の少し強引なところが効いて、

         きっと士度を連れて来てくれるだろうと。

         案の定ヘヴンは面白そうに、二つ返事でマドカからの依頼を承諾した。




          「アンタ 、まさか鬼里人との一件・・・・」


         まさかとは思うが、一応確認のため士度は聞いてみた。

         遅刻の一件はヘヴンさんから話を聞きました、

         と後日マドカが涼やかに答えたのが気になっていたのだ。

         何をどのように聞いたのかは、襤褸を出すといけないのでそのときは聞けなかったのだが。


          「冗談でしょ!話してないわよ。その代わり例の新宿ジャンキーの件を脚色しておいたけれどね♪」


         悪びれもせずヘヴンは答えた。

         彼女も裏稼業のプロだ。一般人であるマドカに余計な心配はさせたくないのは士度と同じだ。

      
         「そうか、悪かったな…。っだがこのコンサートの件とは話が別だ!
          俺が行っていいもんじゃないんだろ!?」


         士度は短く謝ると、すぐさま話を本題に戻して捲くし立てた。

         よく知ってるわねーとヘヴンは少し感心したようだが、全く怯まず、むしろ楽しそうだ。

         マドカから聞いたんだよ、と言った士度がさらに言葉を続けようとしたとき

         二人のやり取りを面白そうに静観していた波児が、どれどれ、とチケットを覗き込んできた。


         「あぁ、このコンサートね。有名な催しじゃん、
          観客は完全招待制のグランドコンサートで毎回有名な海外の交響楽団と
          日本のトップアーティストが共演するってやつ。招待者はそりゃもう首相やら名立たるセレブどもで…」

         「ケッ!作法も知らない猿回しがセレブの仲間入りっていうのがお笑いだな♪
          ヘヴン、何なら俺が代わりに…」

         「あんたじゃ余計場違いよ!!」

         「ねぇねぇ蛮ちゃん、セレブって何〜??☆」

         「へぇ〜マドカちゃんってそんな凄いコンサートにも出るんだぁv」


         蛮や銀次や夏実まで話に入ってきて、あっという間にホンキー・トンクはいつもの漫才場と化した。

         その勢いに口を挟むタイミングを逃した士度は、蛮のからかいに改めて突っ込む気力さえ今はない。

         騒がしい連中に半ば呆れながら、珈琲に目を落とし物思いに耽る。

         マドカに、初めてコンサートに来てほしいとお願いされた時のことが頭を過ぎった。




         そもそも、前回のコンサートでさえ自分は場違いだろうと思って断ろうとしたのだ。

         それに金持ちとかがゾロゾロと集まる場所は実際に苦手だ。

         そう告げた士度に、マドカは「そう・・・ですか・・・」と答えたまま黙りこくってしまった。

         憂いを帯び、ともすれば泣き出しそうにも見えたその表情は、

         士度がマドカに出会ってから初めてみるものだった。

         自分の目に移るマドカの表情はいつも、その場に一輪の花が咲いているような軽やかな笑顔だ。

         それが自分の一言で急に枯れてしまったことに、士度は驚くと同時に大いに戸惑った。

         彼女の笑顔を再び引き出すにはどうしたら善いのか−自分には気が利いた台詞なんて言えないし、

         いつの間にか流れてしまった家賃の話なんぞ再び持ち出したら火に油を注ぐだけだ。

         
          −俺が、くだらない苦手意識を少し克服すればいいことじゃないか−

         
         心に何か引っ掛かるものを感じながらも、士度はそう思った。
     
         人間、誰にでも得手不得手はある−自分だって例外ではない。

         その中に急に飛び込んでいって、たとえ恥をかいたとしてもマドカの為だ、

         きっとたいしたことじゃない−


          「わかったよ…」


         いつまでも続くと思われた沈黙を先に破ったのは士度だった。


          「・・・行くからそんな顔すんじゃねーよ」


                                     −そして花は再び開いた−



         

         それまで士度は、庭で聴くマドカのバイオリンの音と、

         ホールで聴くマドカのバイオリンの音の違いなぞ気にもしなかった。

         しかし、実際あの後ホールで聴いた旋律は、

         やはりマドカのものには変わりなかったがいつも庭で聴いているものより凛と響き、

         真っ直ぐと士度に向かって入ってきた。

         浸透するように入ってくる木漏れ日の下での演奏とは、また違う。

  
         −俺が知らないマドカの音がまだまだ沢山あるってことだよな−


         きっとマドカはそれを自分に伝えようとしているのだろう。

         だから自分が躊躇うような大きなコンサートにも、こんな遠まわしな誘い方をしてまで導こうとしている。

         あの時は予想外の出来事で、結局マドカとの約束は半分しか果たせなかった。

         今度こそ、遅れたりしないで最初から客席でマドカの音色に浸るのもいいだろう−

         

         −そう思い始めた矢先、ふいにヘヴンが士度の腕をとって立ち上がらせた。


         「な、なんだよ…」


         「ほらほら、士度クン、前のスーツ駄目にしたんだからまた買いに行かなくっちゃ!

         また見立ててあげるから、ここは士度クンの奢りね♪」


         グイグイと腕を引いていくヘヴンにあっという間に主導権を取られた士度は

         慌ててポケットから手探りでお札を1枚取り出し、カウンターの上に置いた。

         そしてそれを確認する間もなく、釣はいらねぇと言い残してヘヴンに引きずられながら

         ホンキー・トンクを後にした。

         ドアの後ろからは、二股だの馬だのこれ5千円札だのが騒がしく聞こえてきたが、

         今の士度にはどうでもよかった。



         ヘヴンと店員までもが楽しんだ、士度にとってはウンザリするような着せ替えが終ると、

         二人はタクシーに乗って会場へと向かった。


         「ねぇ、士度クンも積極的にマドカちゃんのコンサートに足を運んであげればいいのに。」

         
         マドカちゃん必死だったのよ、とヘヴンが少し困ったような顔をして士度に話しかけてきた。


         「俺みてぇな田舎モンがそう頻繁に行ったら、マドカに迷惑がかかるだろ。」


         士度は半ば自嘲気味に答えた。するとヘヴンはニッと笑って


         「士度クンは元がいいし案外貫禄もあるんだから、髪上げて、
         
         今みたいにスーツを着こなしていたらそこらのセレブと比べても遜色ないわよ♪」


         と、楽しそうに返す。

         
         「…外見に必要以上に気を使わなきゃならねぇ世界も大変だよな。」

 
         と、その言葉を聞いて士度は僅かに眉を顰めた。

         ヤレヤレ、とヘヴンは小さくため息をつく。

         士度とマドカの世界の歯車が噛み合うまで、まだしばらく時間がかかりそうだ。

         しばらくしてタクシーはホールのエントランスに滑り込んだ。




         ホールの入り口には、主催企業の役員クラスが、招待客を出迎えるべく横一列にならんで立っていた。

         招待客の一部はそれに向かって会釈をしたり、時には立ち止まって挨拶を交わしたりしている。

         チケットを提示し、中に入ると、そこには豪奢なシャンデリアが天井からつるされ、

         その下で人々が知り合いを見つけては優雅に談笑をしている。

         その見た目も振る舞いも、皆どこかが一般人とは違う世界だ。

         2階のフロアホールではサイドにあるバーカウンターとその周辺で

         アルコールやカナッペなどが振舞われ、さながら立食パーティーである。

         コンサートなので豪奢とまではいかないが、

         しかし誰も彼もがその身分を密かに誇示するかのような、お上品な格好をしていた。

         ヘヴンはバーでシャンパンを注文すると、士度にも手渡した。

         やはり士度はどこか居心地が悪そうだ。

         
         「…なぁ、妙に視線を感じるんだが…」

        
         俺はやっぱり浮いているんじゃないか、とシャンパンに口をつけながら士度がヘヴンに尋ねた。

 
         「そうかしら?」


         そんなはずはない、と自分たちの周りを見渡すと、

         若い女性たちがチラチラとこちらを見ているのが目に付いた。


         −なるほどねぇ。−ヘヴンは笑いを噛み殺しながら一人ごちた。


         やっぱり士度は“イイ男”の部類に入るみたいだ。−マドカちゃんもこれから大変かもね−

         ヘヴンはささやかな同情心をマドカに向けながら、士度にはからかい気味に答える。


         「女の子たちは士度クンに興味津々らしいわよ〜♪」


         「バッ、馬鹿いってんじゃねーよ…」


         −あらら、本人の自覚がないのもこりゃまた大変− それはそれで、面白いのかもしれないけれど…。

         まぁ、とりあえずこういう場で連れの見栄えがいいと少し得した気分であることは変わりない。
        
         −ヘタなナンパもされないしね−…さながら番犬代わりだ。

         そうこうしているうちに、ベルが開演10分前を告げた。









         士度が我に返ったのは、割れんばかりの拍手が会場を包んでいるときだった。


         オーケストラの盛大な演奏の後、マドカの出番がやってきて、

         指揮者に手を引かれてマドカは士度のすぐ目の前まで来た。

         舞台の上から、会場にいる士度の気配を汲み取ったのだろうか、

         客席に向かって優雅に一礼をしたあと、士度に向かって柔らかに微笑んだような気がした。


         それから−−あの小さな体から、あの小さな楽器から、どうやったら、あのように優しく、

         そしてすべてを包み込む強大な翼のような旋律が奏でられるのであろう?

         それは共演している100名近い編成のオーケストラに決して劣ることがない優しくも力強い音色を

         ホール一杯に響かせ、士度だけではなく、会場全体がマドカと、その音の虜になった−

         
         −これは正に天上の音だ…−

         

         そして気が付くと、会場は拍手と、ブラボーという声の渦を巻いていた。

         横ではヘヴンも背を伸ばして、力の限り拍手をしている。

         舞台上のマドカに改めて目を向けると、彼女がジッとこちらを“見ている”ような気がした。

         士度は思い出したように破顔し、拍手をした。


          −お前が見せたがっていたものが、また一つ、はっきりと見えたよ−


         そして、自分はもしかしたら終ぞこんな風に笑ったことはなかったのかもしれないと思いながら。

         すると、やや緊張気味だったマドカの表情から、あの、花のような笑みが零れた。

         それにつられるかのように、会場からの拍手と声は、いっそう大きくなっていく。

         数千の手からまるで止むことを知らないかのように繰り出される音と、醒めやらぬ興奮の渦の中でも

         二人の心は確かに繋がっていた−−


         
      
         「ねぇねぇ、どうだった?」

         
         演奏会終了後、ロビーに下りて行きながらヘヴンが興味深そうに士度に聞いてきた。

      
         「マドカちゃんのこーいった演奏会にまた来たいって思ったでしょv」


         少し困った顔した士度の反応を、ヘヴンは楽しんでいるようだった。

         
         「まぁ、たまには悪くねーかもな…」


         ボソリと呟かれたその答えに、ヘヴンは少なからず満足したようだ。


         「その調子よ!頑張ってねv」

         
         「ったく、何をだよ…」


         ポンッと少し強めに背を叩かれた士度はヘヴンの言葉を訝しがる。

         まぁまぁ、とヘヴンはそんな士度の腕を引いて外に出て、楽屋裏の扉の前まで連れて行った。

        
         「ここで待っていればそのうちマドカちゃんが出てくるから。後は仲良くやんなさい♪」


         士度は改めてヘヴンの顔を見た。下から士度を見上げながら−ねッ−っとヘヴンはもう一度念を押すと、

         私はお風呂タイムだわ〜またね〜とクルリと踵を返した。


        
         −…ありがとな−


         おせっかいだけれど、何故だか憎めない仲介屋に対してそう呟いた士度の言葉が

         微かにヘヴンの耳に届き、

         彼女は振り向きざま軽く敬礼のポーズをとってそれに答え、タクシーに乗り込んだ。

         早く私にも春が来ないかな、−−−そう思いながら。



         士度は一人夜風に吹かれながらマドカを待った。

         マドカのバイオリンは庭で聴くのが好きだけれど、時折こんなところで聴くのもいいかもしれない−

         そう、凛々しいマドカを見たくなったときに、戦場に立つ女神のような、

         その場を全て支配する平和の音を聴きたくなったときに。

         
         −まだ、こーゆーところやこの服装には慣れねぇけどな…−


         自分は、こういった場にいつしか慣れるようになっていくのだろうか−

         マドカとの時間は士度の心に安らぎをもたらしてくれるが、

         やがて訪れるかもしれない自分の変化を士度は想像ができなかった。

         いや、これは自惚れかもしれないが、

         もしかしたら彼女は自分が変わる事なんてさらさら望んでいないのかもしれない・・・。

         −とにかく−彼女から離れる自分は、今は考えたくはなかった。

         たとえ自分がどんなに過酷な運命を背負っているとしても彼女への気持ちは、止まらない。

         もしかすると−

         
         −扉を隔てた廊下の向こうから聞こえてきたモーツァルトの鈴の音が

         士度の暗々とした思考を中断させた。

         そしてそれに続く、少し急いでいるような彼女の足音−士度は彼女を迎えるべく、

         もたれていたコンクリートの壁から身を起こした。

         すっかり冷たくなってしまった背中もじきに暖かくなるだろう−彼女の微笑を目にすれば、きっと。

         −とりあえず、まだ先のことだ−

         先ほどまで頭を廻っていたものを士度は半ば無理矢理引き剥がした。−今は、これでいい−

         近づく足音に僅かに躍る自分の心を少し恥じながら、士度は扉が開くのを待っていた。




Fin.



 11巻の、士度のすごーく困った顔に惚れ込んで補完してみました。
 ・・・いろいろと不完全燃焼でしたけれど、とにかくヘヴンを書くのが楽しかったです♪
 逆に、士度、君は難しいよ・・・。  
 マドカ嬢がコンサートで弾いた曲のイメージはメンデルスゾーン“バイオリン協奏曲 ホ短調 Op.64”。
 この曲がストラディヴァリウスで演奏されたのを運良くホールで聴く機会があったのですが、
 正に圧巻でした!やっぱり普通のバイオリンとは音色が明らかに違うように思われました。
 もちろん、演奏者の技術も伴ってのことでしょう。−時を忘れる−という感覚を、演奏後実感しました。
 また聴いてみたいなぁ…。