close your eyes to me


別に理由なんて・・・なかったのだ。
銀次が夏実に映画に誘われて隣にいなかったから、ただ、なんとなく。
HONKY TONKの常連達も今日はまだ誰も来ていなかったから、暇つぶしに・・・そんなことを思って。
たまには珈琲ではなく、美味い紅茶を飲みたくなった・・・・そう自分に言い聞かせて。
そして目的地の門前で巧い具合に、てんとう虫のバッテリーが上がっちまって・・・・そこの使用人に助けを求めたりして。

「・・・・何しにきたんだ、テメェは。」

奴からのそんな言葉を出会い頭に浴びるかと思っていたのに。

メイドの次に俺を出迎えてくれたのは・・・奴の恋人で、俺らの元依頼人ただ一人ときたもんだ。

「士度さんは今朝からお仕事の打ち合わせで・・・でも、お昼過ぎには帰れるからって言っていましたから。」

――もしかしたら、蛮さんの車が直るまでに戻るかもしれないです。――

彼女の軽やかな声が心地良く響いた。

そして俺は今、ティールームの上等なソファに座っているわけで・・・・
しかもメイドから出されたのは

珈琲だった。






二人きりで話すのはこれが初めてだというのに、意外にも話は弾んだ。
楽器を嗜むということや、以前二人ともヨーロッパに滞在していたという共通項があったからだろう。
ドイツやイタリアの美術館やコンサート・ホールの話、よく立ち寄る楽器店、最近出てきた名器、好きな楽曲についての考察・・・
久し振りに――本当に久し振りに、思う存分趣味のことを飽く事無く口にしている自分に蛮は少し驚いていた。
そしてHONKY TONKでいつも聞いている夏実やレナの声とはまた違う、
優しく響く鈴の音のような声が、蛮の耳には心地良かった。
奴が――士度が、この愛らしい声を毎日耳にしていることを思うと、小さな嫉みが蛮の心を突いた。
そして不意に・・・・彼の頭の片隅でいつも巡り巡っていた疑問が脳裏に浮かび上がってくる――
そもそもいったいどうして――マドカ嬢ちゃん士度アイツを選んだんだ・・・・?
選んだ――別に彼女は選択肢を突きつけられたわけではない――しかし、あのメンバーであの状況で・・・
この嬢ちゃんがクラッとくる相手といったら、最初から最後まで彼女を守りきった自分か銀次か――お次は波児ってとこじゃないのか・・・?

“一目惚れ”

士度はともかく、目の見えない彼女にそんな話があるものなのだろうか――
“敵”として出会って、最後までろくに口をきくこともなかった相手に彼女は何故だか異常なまでの執着を示した。
そして躊躇う士度を彼女の性格からは半ば想像しがたく強引に居候としてこの屋敷に住まわせ、
今では誰もが羨む“恋人同士”という関係が成立している。
先住民で野生児で、過酷な環境の中動物達と寄り添いながら生きてきた男と、
盲目ながらも何不自由なく育った世界的なバイオリニストである少女――
この一見何の接点もないように思われる二人が、今では一つ屋根の下で幸せに暮らしている妙。

ふと・・・マドカの笑顔が蛮の視界に飛び込んできた。
そして感じた、不可思議な息苦しさ。
蛮は半分空になった二杯目の珈琲カップに手を伸ばした。
そして喉元に渦巻く凝を飲み干そうとしたが、それは意に反して飛び出してきた。

「なぁ、嬢ちゃん・・・・猿マワシとはうまくやってるのか・・・?」

「・・・はい?」

急に話題が変わったことに、マドカはついていけないようだった。
さっきまでは確か、メンデルスゾーンのバイオリン協奏曲の話をしていたはずなのだが・・・。

しまった・・・蛮は一瞬そのような表情が自分の面に張り付いたことを悔いたが、
しかし未だに不思議そうな顔をしているマドカを見て、彼女が盲目であることに改めて気付く。

「いや・・・猿マワ・・・士度アイツとは、こう言った話、しねぇだろ?だから何とは無しにそう思ってよ・・・」

蛮は何でもないようにそう言うと、カップに残っていた珈琲を飲み干した。

「あら、蛮さん・・・・私、こう言ったお話をする為に士度さんと一緒にいるわけではないですもの・・・?」

マドカはクスリ・・・と小さく微笑んだ。
サングラスの奥の瞳が珍しく戸惑いがちに揺れたことを、マドカは知らない。
それとは別に、蛮が空になったカップをソーサーの上に置いたカチャリ・・・という音にマドカは反応した。

「あら・・・もう珈琲が。お代わりを・・・」

そう言いながらテーブルベルに伸ばされたマドカの小さな手を、蛮のすこし無骨な片手が、慌てる事無く包むようにして遮った。
蛮は反射的に取った自分の行動に少し動揺しながらも、それによって真実を突きつけられて内心苦笑する。
判っていたはずだ、自分は。何を、誰を求めて音羽邸ココへ来たのかを・・・・。

「・・・・蛮さん?」

客人の奇妙な行動にマドカは目を瞬かせる。


「珈琲はもういいから、さ。今度は嬢ちゃんが飲んでいるのと同じ紅茶で・・・」

「あ、はいはい・・・お紅茶ですね。それでしたらこちらの給湯室で私が淹れて来ます。カップも、新しいのを持ってきますね。」

――三分とちょっと、待ってくださいね・・・――
いつもの、少し戯けた調子の蛮の声にマドカはそう答えると、
スッ・・・と蛮の掌から華奢な手を引いた。
滑らかな感触が蛮の掌の肌を掠めていった。

「あ、おい、嬢ちゃん・・・・使ってないティーカップならここにあるぜ?」

彼女の一挙一動に揺れる、らしくない自分の心を隠すようにしながら蛮は声を発する。
ティーテーブルの脇にあるサイドテーブルに、白磁に蒼く紋様が描かれたティーカップが一脚、置かれていた。

「ブルーの・・・ヘレンドのカップでしょう?それは士度さんのなんです。」

―ごめんなさいね。―

彼女の言葉は、少し誇らしげな調子トーンを含んでいるかのように聞こえた。

蛮はその蒼い器を手に取り、眺めてみる。
一脚五万は下らない上物だ・・・士度アイツ、ちゃんと価値を分かった上で使っているのかね?

「そのカップ、うちの食器棚から士度さんが選んだんですよ。」

ティーポットに慣れた手つきで茶葉を入れながらマドカは円やかに言った。

「午後のお茶用に、どれでもお好きなのをどうぞ・・・って言ったら・・・・。
白磁に深い蒼がよく映えていて、小鳥が舞う紋様が何となく気に入ったからって、そのカップを選んだんです。
青い鳥は幸せの象徴なんですよ・・・って教えてあげたら、知らなかったって・・・。
きっと、そのカップの方が士度さんのことを選んだんじゃないかなって、私そのとき思ったんです・・・。」

マドカの夢見るような声がティールームまで舞った。
その音が、切ない想いを蛮の眉宇に漂わせた。

あぁ、そうか・・・だからこの二人は・・・

「・・・・嬢ちゃん、手伝おうか?」

蛮はティーカップをそっと元の位置に戻し、少し掠れた声でそう言うと、給湯室の方へ踵を向けた。

「あ、もう大丈夫ですよ?後は三分待つだけです・・・・」

マドカはそう言うと、砂時計を反して落ちていく砂の音に耳を澄ます。

蛮は彼女を見守るようにして、静かにその背後に立った。
マドカは蛮の動向を気にする素振りもなく、見えない眼で砂の音を聴いている。

うつつの夢だったのだ――彼女を欲しいと想ったことなど。

士度アイツは青い鳥など探しちゃいなかった。
その瞳に彩を映すことがないマドカ嬢ちゃん だって青い鳥なんざには関心がなかったはずだ。
けれどマドカ嬢ちゃんは自分でその鳥を捕まえた。
士度アイツの青い鳥は不意に目の前に舞い降りてきた。

女はその鳥の哀しい孤独と、動物と心を通わす彼の優しさに誰よりも深く触れ、
男は不意に彼の心の奥底の琴線に、自然に嫋やかに触れてきた小鳥の慈愛に心を奪われた。

そう、彼らが身を委ねる世界と自分の世界は――違うのだ、根本的に――
自然と動物と共に生き、自分が信ずるがまま真っ直ぐに生きてきた男と、闇と音に身を浸し、共に歩んできた少女。

そして失った愛と自らの力を憎み、求め・・・――人を青い鳥ユメに酔わし、時には惑わす自分とは・・・―
永遠に寄り添える青い鳥を探している自分とは。
眼の見えない彼女には自分の邪眼は効かない。
自分が彼女に魅かれる理由はそこにあるのかもしれない――
――光を映さぬ彼女の瞳に見透かされているような錯覚に陥るのだ――
時々自らをも夢とまやかしの世界へと誘っていきそうな自分の瞳の真実を。
そして他者には与えられることがないその慄然とした感覚に酔わされる自分がいる。

彼女なら――自分の冷えた心を暖めてくれるのではないかと思った。
自分の瞳に惑わされることがないから――人の真実の心に触れる力があるから。
しかし彼女が手を伸ばし、その手を取った男は、彼女にも永遠の安らぎを与える男。
何より彼女自身が――愛してやまないアイツだから。

士度アイツ には――幸せになってもらいたいと思う。
初めて会った時から自分とよく似た魂を持つ者だと感じた士度アイツ
あの鋭く、澄んだ瞳に映る孤独も、奴に纏わりついていた哀しさも。
ただ違うのは――いくらベールで隠そうとしても、どこまでも純朴で不器用な奴の清らかな本質。
それは彼女と、そして彼に集う動物たちから垣間見ることができる真実。

そして二人の闇が互いを引き寄せあい、溶け合って、ひとつの光を生み出している、現実。


――まったく・・・かなわねぇよな・・・・――


蛮は人知れず小さな溜息を吐いた。

すると、その溜息の誘われるかのように、晩夏の風がティールームの窓から緩やかに進入し、
マドカの長い髪を戯れに躍らせてた。


フワリ・・・と舞った彼女の黒髪を、蛮の指が宙で追った。
そしてそのサラリと流れ落ちる濡羽色の髪先が、彼の手に静かに着地した。


――サヨウナラ、アンタ嬢ちゃんへのこの想いは永遠に・・・・俺の瞳ユメの中へ仕舞っておくことにするよ・・・――


彼はそっと、その柔らかな髪に唇を落とした。
最初で最後の―― 一人だけの、密やかな口付け――

彼女の髪からは、花の香りがした。
そして微かに、太陽の匂いも。
士度に見られているような気がして、自嘲気味な、寂しそうな笑みが蛮の貌に射した。


「はい、三分経ちました!お待ちどうさまです・・・!」


僅かに屈んで砂の音に集中していたマドカが身を起こしたので、陽に輝く漆黒の髪はすべるようにして蛮の指から離れていった。
ピクリ・・・と蛮の体が小さく、その心と共に揺れた。


「・・・・?どうかしたんですか」


僅かな空気の変化を感じて、マドカが蛮の方を向いた。


「いや・・・なんでもねぇ。」


ほら、ポット持つの手伝うぜ・・・・


刹那の接触を悟られなかった――このときばかりは、彼女の眼が見えないことに感謝しながら、
蛮はポットを手にし、彼女をティールームへと促した。
すると――

「美堂様、お車の修理が終わりました。」

ティールームに入ってきたメイドが一礼をしながら伝えてきた。

「あら・・・せっかくお紅茶、出来たばかりですのに・・・蛮さん、飲んでいかれますか?」

マドカは蛮に向かって小首を傾げた。

「いや・・・悪りぃけど、遠慮しとくわ。もうそろそろ銀次も戻ってくるころだろーし、帰らねぇと・・・」

仕舞った想いを引き摺らぬよう、蛮はそのティーポットをゆっくりとティーテーブルに置いた。

そして二人はお決まりの挨拶を交わし、
見送るという彼女の申し出をやんわりと断り、
蛮は一人ティールームを後にした。








「男の人って・・・・悪戯好きなのね。」

蛮の気配が廊下の向こうへ消えたころ、マドカは髪先を戯れに弄りながら、無表情にポツリと呟いた。










「・・・・何しにきたんだ、テメェは。」


ご丁寧にきっちりと洗車までされたてんとう虫に乗り込もうとした時に、やっと聞けた予想通りの台詞。
音羽邸の駐車場前で士度とバッタリ鉢合わせ。


「何って・・・・丁度音羽邸ココの前を通りがかったらコイツのバッテリーが上がっちまってよ。
そしたら嬢ちゃんのお喋りと珈琲に茶菓子に洗車までついてきやがった。
ホンッッット、いいところに居候してるよなぁ!猿マワシはよ!」


いつもの調子で突っかかってくる蛮の横を士度は顔を顰めながら素通りすると、

「案外テメェも暇なんだな・・・!」

という台詞を残して音羽邸の中へと消えていった。

「ウルセェ!!」

すでに姿無き声の主にそう答えると、蛮はてんとう虫に乗り込んで、バタンッ・・・と扉を閉めた。
そして緊張の糸が解けたように脱力し、ハンドルに身をもたせかける。


「・・・・久しぶりに長い悪夢ユメだったぜ・・・・」


蛮はポツリ・・・とそう呟くと、気だるい身体をたたき起こして、キーを回した。
眼の端にチラリと収めた音羽邸の緑の木々は、いつもと同じように輝いていた。









「士度さん・・・!お帰りなさい・・・・!」

士度がメイドから聞いてティールームに向かうと、マドカはその入り口から飛び出してきて士度を迎えた。
彼女のいつもと変わらない様子に、士度は何故だかホッとする。
蛇ヤローがマドカに何かちょっかいを・・・そんなことが士度の脳裏を一瞬掠めていたからだ。

「お疲れでしょう?お茶でも飲んで、ゆっくりしませんか・・・?」


士度の手を引きながら、マドカは士度をティールームへと導いた。
士度が一歩その部屋へ足を踏み入れると・・・微かにだがタバコの臭いがした。

「あの野郎、ここでもタバコ吸ってたのか?」

その臭いに士度は眉を顰めた。

「あ、でも銜えていた最初の一本だけみたいでしたよ?私たちはお庭でお茶をしましょうね。」

今、淹れてきますから・・・・マドカは先程のティーポットを手にすると、給湯室へと向かった。
少し重みがあるソレに士度は気がついた。

「マドカ、ポットに残っているんならそれでいいぞ・・・?」

士度はマドカについて行きながら言った。

「あ、これは・・・いいんです。」

そう言うとマドカは惜しげもなく、まだ僅かに湯気が立っている紅茶をシンクに流した。
シンクの上を滑りながら流れ消えていく茶色の液体の香りが、給湯室に広がった。

「いいんですよ・・・私がお客様に淹れるお茶は皆平等ですけれど・・・」

背後に立つ士度から疑問の声が上がる前にマドカの涼やかな声音が士度の耳を撫でた。

「士度さんに淹れるお茶は・・・特別ですから。」

マドカは新しい茶葉を一匙一匙ゆっくりとティーポットに入れる。
彼女の柔らかく軽い躰がフワリと浮くような、そんな手の動きに惹かれるように、士度は背後からもう一歩、彼女に近づいた。

「不思議、ですね・・・・・」

彼女の髪から、ほんの僅かに・・・タバコの移り香がしたことが、士度の心に憂いの影をもたらした。
その影の中では怒りや焦燥よりも、不安が――渦巻いていた。

「蛮さんもこうやって―私の後ろで、私が紅茶を淹れるのを見ていたんです・・・・」

給湯器からお湯を入れたポットの蓋をマドカがカタン・・・と閉めたとき、
士度は彼女の腰に手をやると自分のほうへそっと引き寄せ、徐に彼女の躰を掻き抱いた。
シンクから彼女の手が離れる瞬間、マドカは砂時計を反した。

「――ッでも・・・聞いて・・・?」

優しく頤を持ち上げられ、士度が少し身を屈める気配がした。
マドカは空いた彼の手を取り、その手を自分の左胸の下へと導いた。
士度の掌は彼女の白いブラウスの上から躊躇うようにその肌に触れてくる。

「・・・ん・・・そのときは・・・・私・・・・ちっともドキドキしなかったんです・・・・」

――こんな風には・・・・――

「――っマドカ・・・!」

鳥の羽ばたきのように軽やかに早く鳴り響く彼女の胸の鼓動に導かれ、
士度は衝動的に彼女の丹花の唇を捕らえた。
士度の胸元で乱れた美しい黒髪が、陽の光に照らされて翠色に煌いた。


――大丈夫・・・あなただけ・・・・――


舌と舌とが性急に絡まりあい、上がり溶け合う息の中で呟いたマドカの言葉に、
士度は泣き出しそうな安堵感を隠し切れないでいた。

言の葉と――そして彼女の熱と、鼓動が・・・・彼の心を優しく抱き、
彼女の心の真実を悉に伝えてきた。


そして彼女も――彼から流れ込んでくる狂おしいまでの不安と愛に、
自分がどれだけ愛されているのかということを感じ、他の誰からも得がたい喜びに身を浸していた。
そして彼への想いと口付けに反応する身体に、胸の鼓動に彼女もまた心が解けていくのを感じた。




マドカは砂時計の砂の最後の一粒がガラスの中の重力に引かれたことなど、気がつかなかった。
ポットの中の液体が二人の喉を潤す丁度の温度になるまで、恋人達は吐息と熱を分け合っていた。





Fin.





“close your eyes to me”=『見て見ぬふりをしてくれ、無視をしてくれ』という意味です。

アニマルシンドローム』の古賀様からいただいたプレゼントへの御礼SSでした。
そして古賀様の日記ネタを恐れ多くもそのままごっそりいただきました(もちろん認可済で)、茨道蛮×マドカ(というより蛮→マドカ)です。
理想として「士度マドカ前提の蛮ちゃんの片思いな感じ」とのことでしたが、その雰囲気が出ているかどうか・・・・。
士度×マドカ書きが書く“×マドカ”ですから、どうしても士度マドに帰結してしまうのですが、
そこら辺をお心広く受け入れてくださいました古賀様、どうもありがとうございました・・・!
そして素敵ネタの使用許可をくださいまして、多謝でございます!
宜しければお納めくださいませ・・・!

(ちょっと士度を受けっぽく(当社比)書いてみたのですが・・・お口に合いましたかどうか;)