「士度さん、おかえりなさ――!?」
久し振りに帰ってきた彼の気配を追いかけて、レッスン室から真っ直ぐ彼の部屋へと向かい――
心を躍らせながらノックをし、声を弾ませながら扉を開けた瞬間――
噛み付くようなキスをされ
そのままベッドへ押し倒された。
それは味わうキスというよりも――
どこか――求めるような――情熱的なキス。
――今日は・・・・ワイシャツ・・・?――
普段の彼らしからぬ唐突な行動に目を丸くしながらも、マドカは掴んだ彼の上着がいつもとは違うことに気がついた。
微かに香るポマードの匂い。
少し性急に絡んでくる、彼の舌の熱。
そして――
唇が離れるときに触れる――
彼の熱い吐息。
「ア・・・・・」
柔らかな丹花にかかった吐息に煽られたかのように、マドカの細い躰に官能が駆け抜け――
彼女の紅く衒った唇から思わず甘い声が漏れた。
「―――!?」
すると士度は我に還ったかのように躯の動きを止め――
驚駭の表情を隠さぬまま、彼女を押さえつけたまま目を瞠る。
「士度・・・・さん・・・・?」
急に動きを止めた彼に、マドカが不思議そうに声を掛けると――
「悪ぃ・・・・」
士度は脱力したかのようにその腕の力を緩め、未だ驚異から醒めきれぬ表情のまま、自らの左手で顔を覆った。
――何を・・・・・したんだ・・・・・俺は・・・・・――
ショックを隠しきれない状態でマドカに背を向けてしまった士度の様子に、彼女はもう一度目を瞬かせた。
そしてベッドの端に腰掛けながらすっかり肩を落としてしまっている士度の隣に――マドカもそっと腰を下ろすと、いつもよりどこか元気のない彼の腕に手を当てる。
「すまねぇ・・・・嫌だったろ・・・・いきなり、こんな・・・・・」
士度は細いマドカの手を壊さぬようにそっと片手で包みながら、自嘲気味な声を絞り出し、視線を落とした。
「そんな・・・・ちょっと吃驚しただけで・・・・嫌だなんて・・・・でも――」
――どうしたんですか・・・?――
心配そうに覗き込んでくるマドカの漆黒の瞳に映る自分の姿に――打ちひしがれたようなその姿に眉を寄せながら、士度は乾いた声を出した。
「――分からねぇんだ・・・・・」
――気がついたらお前を押し倒していて・・・・危ねぇよな・・・・――
彼女に向けられた――自分の無意識の力に恐怖を感じながら、士度は拳を握り締めた。
確か――仕事が終わって――妙な疲労感が纏わりついて――そのまま真っ直ぐ屋敷に・・・・――
「やだ・・・・士度さん・・・・」
士度の視線の下で、マドカが彼の焦燥感とは裏腹にクスリと愛らしく笑った――虚を衝かれたように士度が瞠目すると――
「危ないなんて・・・・・士度さんが、私に"危ないこと”なんてするわけないじゃないですか?」
――おかしな士度さん・・・・・――
クスクスを目を細めながら笑うマドカの貌を、士度は呆気にとられながら見つめていた。
――いくら慣れた関係とはいえ・・・いきなり押し倒されたんだ、少しは危機感ぐらい持ちやがれ・・・・――
そんな士度の内心を知ってか知らずか、マドカは微笑を浮かべたまま唐突にその身を士度に向かって乗り出し――彼の肩を押しながら、グイと体重を掛けてくる。
士度は――
されるがまま、わざと無抵抗に――ベッドに背を預けてやった。
上から覗き込んできたマドカの長い黒髪が、サラリと士度の頬に触れる。
そして――マドカは子供にイイコイイコをするように、今日は後ろに流してある士度の髪を愛しそうにゆっくりと撫でてくる有様で。
士度の眉が不満そうに下がった。
「・・・・もう一度襲うぞ?」
少し呆れたような声に、マドカは優しげに目を細めた――
「今は、無理ですよ・・・・?」
マドカの細くしなやかな指が、士度の顔をゆっくりと辿る。
――だって、ほら、士度さん・・・・――
こんなにも、疲れてる――
そして刹那目を見開いた彼の瞼に降る、柔らかなキス。
「おやすみなさい・・・・」
それは、とても心地よい声だった。
ただ、一言が――焦る気持ちと、気づかなかった疲労感の澱を――どこかへ流し去るような。
ゆっくりと体躯に浸透するそのキスの温度を感じながら――
士度はゆっくりと
目を閉じた。
疲れて――いたのだろうか・・・無意識に支配されるまでに・・・・
そのせいだったのだろうか――
弱った獣は子孫を残そうと、本能的に欲情する――そんな話を聞いたことがある・・・・
――まったく・・・・どこまでも・・・・獣染みて・・・・・――
頭の奥で自身に苦笑しながら――
士度は深い眠りに身を委ねた。
あぁ、ここは・・・・
安心できる、場所だ――
「士度さん・・・・私、本当は嬉しかったんですよ・・・・?」
規則正しく――ゆっくりと音を奏でる彼の鼓動を聴きながら、マドカは首を巡らせ、士度の胸板にのせてある頭をそっと彼の方へと向けた。
――こんなことを言うと、きっと
「甘えて・・・・くれているんだなぁって・・・思えたんです・・・・」
そして彼女は幸せそうに微笑んだ。
きっと強く厳しく生きてきた人だから――人に甘えることなんか、知らなくて・・・・でも・・・・――
きっと彼は私に・・・無意識に――
「もっと・・・・甘えてください・・・・?」
頬に伝わる彼の体温に唇を綻ばせながら、マドカも士度の胸の上でそっと目を瞑る。
左手を――彼の右手に包まれたまま。
彼の香りを、存在を――誰よりも近く感じることができる喜びに
心、委ねながら――
Fin.
少し弱った士度を包んであげられるような――そんなマドカ嬢が急に書きたくなって。
彼女は守られるだけではなく、士度の心を守ってあげられる強さを持っていると思います。
◇ブラウザを閉じてお戻りください◇