〜 blue of love 〜



「・・・・もう4分経つわ!お願い!迎えに行って!」

「戻ってくるって、お嬢さん・・・・来た!ホラ、あそこだ!」

クルーザーで待機していたダイバー二人が、穏やかな風に揺れる海面を遠く凝視した。
その流線が美しい高速艇から数十メートル離れたところで、イルカの群れが輪を作って戯れていた。
群れの真ん中では、一人の青年が仰向けに浮かんで空を仰いでいる。
イルカたちは彼の周りを甘えるように、時折その男の身体を鼻先で突いたりしながら、グルグルと泳ぎ回っていた。

「坊主〜!生きてるかぁ?」

群れの邪魔をしないように、なるべく静かにクルーザーは彼に近づいて行った。
男は波に揺られたまま、少しだけ片手を上げることで返事をした。

「・・・・どうした!深く潜りすぎて具合でも悪くなったのか!?」

一言も発しない青年に、もう一人のダイバーが声を大にした。

「・・・・冗談だろ。」

青年は濡れた長い前髪を後ろへと流しながら、渋々とクルーザーの梯子へと泳いできた。
海岸線で一泳ぎしてきた・・・そんな格好をしているその男の逞しい身体が艇上に上がると、
先ほどから心配そうに彼のことを見つめていた若い女性が、ホッと息を吐く。

「あったのか!?」

そんな彼女を余所に、二人のダイバーと船長が海底地図を持って彼の元へと集まってきた。

「あぁ・・・岩と岩の狭間に埋もれてた。貝やら海草やらビッシリ付いて、海底と殆ど同化してたぜ。
 あんたらご自慢のセンサーでも役に立たないはずだ。」

耳に入った水を払いながら、事務的に告げる彼の言葉に、
おぉ!!男達からどよめきが上がった。船長がすぐさま無線機まで飛んでいく。

「ようやくお祖父様の六十年来の夢が叶いますな、美也子(ミヤコ)お嬢さん!」

えぇ・・・―美也子、と呼ばれた女性は涙ぐみながら目の前にいる青年に深々と頭を下げた。

「・・・士度さん、どうもありがとうございました。」

「・・・いや。仕事だ。」

いつかと同じ答えが、彼女の耳に届いた――。





「・・・で、士度クンが今まで誰も見つけられなかった海底75m.に沈んでいたボックスを見事発見してくれたお陰で、
 引上げ作業も一発完了、無駄な経費なんて一切かからず万事無事に終って、ご依頼主様は大満足!!
 報酬も20%UP!仲介料も15%増量!!なんか他のセレブたちにも仲介屋の紹介してくれるっていうし!あ〜も〜士度クン大好きよ〜vv」

「・・・重いぞ、仲介屋・・・・。」

甘えるようにヘヴンは士度に背後から圧し掛かり、彼の結構酷い言葉にも、
も〜今日は何言ってもOKよ♪とその頭をヨシヨシと撫で回す。
蛮と銀次からのチクチクと音を立てるような視線に鳥肌が立つ。俺は、ただ仕事をこなしただけだっていうのに・・・・。

「75m.って・・・士度さん、どうやって探しに行ったんですか?」

スキューバーダイビングでですか? 夏実とレナが興味津々、といった風に訊いてきた。

「どうって・・・・イルカの背びれにつかまって素潜りさ。あんな重いボンベや、だるいウェットスーツなんか着てられねぇよ。
 あとは奴等(イルカに適当に訊いてさ。」

探索ポイントが曖昧だったから探すのに三日かかったがな・・・と士度は付け足した。

「三日も海の上にいたのかい?それは大変だったね。」

それにして素潜りで75m.たぁトップクラスだな・・・と波児は珈琲を差し出しながら言った。

「まあ、下見のときヘリで堕ちたわりには楽な仕事だったぜ・・・・」

言いながら士度はいつもの味を楽しんだ。

「・・・・でも、三日で六十年間沈んでいた思い出を奪り還したんだから、たいしたものよ。」

ヘヴンはニヤッと笑いながら士度を見た。
・・・・一週間は休ませてくれよ、と士度はそんなヘヴンを呆れたように見る。
この調子だと、どんな仕事を立て続けに持ってくるのか、わかったものじゃない。

「一週間と言わず、二週間でも三週間でも休業してろよ!」

そうそう!そしてその分を僕たちにまわしてくださいよ〜!蛮と銀次はそんなことを言いながら、
隣同士に座っている士度とヘヴンの周りで騒ぎ立てている。
ふふん、どーしよっかなぁ〜♪ とヘヴンが一人楽しんでいるとき、カラン・・・と来客を告げるいつものベルが鳴って、
一人の女性が入ってきた。

「いらっしゃい・・・」

おや?という顔をして波児はグラサン越しにその女性を見る。

「こんにちは。」

亜麻色の艶めく髪がクルリと肩先でカールしている、色白で上品な風貌の美女だ。
その背はヘヴンより少し高く、モデル体型の整った身体に、白と黒のブランドスーツが良く似合っていた。
マスターに軽く会釈をした彼女は、少し驚いた風に自分を見つめてくるヘヴンと士度の方を向くと、ニッコリと優雅に微笑んだ。

「神楽井(カグライ)、美也子・・・さん?」

仕事は昨日終ったはずよね・・・どーしたの?  ヘヴンがチラリと士度の方を見ながらそう言えば、
知らねーよ、と士度も肩をすくめた。

「その節は大変お世話になりました・・・実は今日は個人的に士度さんにお会いしに来ましたの。」

俺に? 士度は不思議そうな顔をした。
これはヤバイ・・・ヘヴンの女の直感が嫌な方向へ働く。

「ええ・・・」  そう言いながら士度を見つめる美也子の瞳は艶めいていた。





「あの墜落から三人とも生還なんて、ホント奇跡ですよ・・・・」

パイロットもあの青年のおかげだと言っていましたが・・・
とりあえずの事情聴取の為に訪れた刑事さんからそう聞かされて、ああ、やっぱり・・・と私は思った。
士度さんがいなければ、手首を折るどころか、私はやっぱり死んでいたんだわ・・・。
数日後、私を庇ったせいで大怪我をした彼を仲介屋さんと一緒に見舞いに行くと、そこはかの有名な盲目のバイオリニスト、音羽マドカの屋敷。
そして彼はもうベッドから起き上がってトレーニングをしていた。
傍らには、そんな彼の様子を心配そうに窺う音羽さんの姿が。
・・・彼には、こんな素敵な彼女がいたのね・・・そう思うと私の胸はズキリと痛んだ。

「命を助けていただいて、ありがとうございました・・・・」

一族の者からも士度さんにぜひ御礼をと・・・ そう言いながら頭を下げる私に、ダンベルを片手に持ってい彼はそれをゴトリ・・・と床に置くと、
まだテーピングで固められている身体の汗を、首にかけていたタオルで拭きながら告げた。

「いや・・・。仕事だ。」

だからあまり事を大袈裟に捉えないでくれ、お嬢サン。依頼はこの怪我が治り次第仕上げるからよ。

そんな風に、半ば自嘲気味に答える彼を見つめる私に、仲介屋さんは、「怪我した自分がよっぽど不本意だったらしいのよ。」と囁いた。
その怪我は私のせいなのに、彼はそのことを一言も口にしなかった。

そして一ヶ月後の再会。三日間、私たちは祖父の失われた記憶を求めて海上を彷徨った。お抱えの二人の気の良いダイバーたちにも、
クルーザーの気難しい船長にも、彼はすぐに気に入られた。
当の本人といえば、いろいろとかまってくる彼等に少し戸惑っているみたいだったけれど。
男同士の気兼ね無い世界が、私にはとても羨ましかった。
―― 彼は、連日イルカと潜り、カモメと話をしていた。動物や鳥たちと触れ合っているときの彼の表情は、いつも穏やか。
その顔を私の方へも向けて欲しい・・・そんなことを私は思った。
そして水平線に沈む真っ赤な夕陽に目を細める彼の横顔を―― 私は忘れない。

祖父の思い出を無事に引き上げ、東京湾へと向かうクルーザーの上で、私はどうしてスキューバーのセットを使わなかったのか彼に訊いてみた。
何の装備もつけないで、深く深く、海の底へと消えていくあなたを、私はとても心配したのに・・・。
―― 母なる海の中で、その水中の無重力の中で、呼吸を忘れて心を研ぎ澄ますと、とても安らかな気持ちになれる・・・・・・
彼は素肌に着たパーカーを疾走する船の風に靡かせながら、そう答えた。
―― そして、全ての生命の起源である海への回帰を、身体が懐かしがっているの感じる・・・自然に抱かれている、それを実感できる。
そんな感覚と、底に行けば行くほど深くなるあの青が、俺は好きだ・・・・
自然の摂理の中で人間が機械に身を任せることこそ、危険なことだとは思わないかい、お嬢サン?
―― 海の水面に反射する光を浴びながら、あなたは私の方をチラリと見て小さく笑った。
髪を風に流されたままにしながら、太陽に気に入られているあなたを、私はとても綺麗だと思った――。




「・・・・仕事を無しにして、私のことを見てもらいたくなったんです。」

士度とヘヴンと向かい合うようにしてテーブル席に座っている美也子は言った――。





音楽院の仕事が思ったよりも早く終った。次のスケジュールまで2時間程時間がある。
士度さんは昨夜、潮の香りをさせながら、三日ぶりに帰って来た。
なのに今日の私は朝からお仕事。次に顔を合わせられるのが夕食の時間だなんて、辛いわ。
今の時間だったら、もしかしたら彼はHONKY TONKにいるかもしれない・・・・。

そしたら一緒に久し振りのティータイムを・・・・
そんなことを思いながら、マドカは彼の行きつけの喫茶店の目の前まで来ていた。
そしてその扉を開けるべく、取っ手に手を伸ばしたその時―――

「・・・好きです―― 私と、お付き合いしてくださいませんか?士度さん・・・・」

店の奥からした、通常では此処まで聞こえないくらいの上品な女性の声を、マドカの利き過ぎる耳は拾ってしまった。
ビクリ・・・とその扉を開けようとしていたマドカの手が止まり、パッと弾かれたように胸元に戻された。
そして彼女は反射的に踵を返した――。
主の急な動作変化にモーツァルトは吃驚しながらも、それに合わせて進路を変える。
体中が冷たくなっていく―― 慣れた道を走りながら彼女は感じた。心も急に氷を押し当てられたように竦んでいる。
その後に続くであろう、大好きな人の声を聴くのが怖かった。パニックになって、とりあえず逃げることしか考えられなかった。

<マドカ!!>

モーツァルトが赤信号の前で急に立ち止まったことで、マドカもハッと我に還る。
目の前を猛スピードで通り過ぎる車の気配が、マドカの心を再び凍らせた。
マドカは見開いた自分の瞳に熱いものがこみ上げてくるのを感じた。
やがてそれは雫となって彼女の頬を伝う。
マドカは両手で顔を覆って信号機の片隅にしゃがみこんだ。
考えたことが無かったわけではないのだ・・・・誰か他の人が、彼のことを愛してしまうことを・・・・。
けれど、それがマドカの感覚の核である“音”となって実際に耳に飛び込んでくることが、こんなにも衝撃的なことだとは思わなかった。
薫流との一件の時とはまるで違う、おぞましいまでの不安がマドカを襲う。
・・・そして、一つの可能性が生まれる―― 彼が、自分ではない、誰か他の人を愛してしまうということ・・・・。
嫌・・・やめて・・・考えたくない・・・そんなこと!
だって士度さんはきっと、私のことを・・・・――

鋼を打つような心臓の音が身体中に響いてマドカの耳を犯した。

<マドカ・・・ドウシタノ?グアイデモ、ワルイノ?>

しゃがみこんだまま震える主人を、モーツァルトが心配そうに覗き込む。
横断歩道を行きかう人々からも、小柄な少女を案ずる視線が投げかけられたが、それすらもマドカには届かなかった。
・・・・あの声は、一度だけ聞いたことがある・・・・一体、誰?
誰かに言われてマドカの様子を見に飛んで来た巡査に気遣いの声を掛けられるまで
彼女はそこで、嵐の波のように荒れ狂う不安に苛まれ続けていた。






士度は夕食の時間きっかりに戻ってきた。その様子にいつもと変わったところは無い。
出迎えたマドカの、少し不安そうな気配に気がついたのか、「元気ねぇな、疲れたのか?」と士度は彼女の頤を持ち上げる。
いいえ・・・大丈夫です・・・ 士度を心配させまいと、マドカはできる限りの笑顔で微笑んだ。
士度の上着から、香水の匂いがした・・・一つはヘヴンがいつもつけているローズ系の香り。
そしてもう一つは・・・一度だけ嗅いだ事がある香り・・・。
士度からはほんの少しだけ、アルコールの匂いが。

「・・・・お酒、召し上がってきたんですか?」

何でもない風にマドカは訊ねた。

「ん?あぁ。仲介屋と、この間の依頼人にHONKY TONKで捕まってな。ちょっと飲んだだけだ。飯は食ってない。」

お前と約束してたからな・・・と当たり前のように士度は答えた。
―――思い出した。あの声、この香り。
この間士度さんをお見舞いに来た、確か名門財閥・神楽井家のご長女だ・・・・。
前回の仕事の依頼主として、彼と行動を共にし、海上で三日間一緒に過ごしたという・・・。
マドカは泣きそうになる自分を心の中で叱咤する。

「・・・?酒飲みは嫌いか?」

お前の為なら禁酒だってするぜ?―― 俯くマドカに降ってきた、まるで見当違いな士度の言葉に、それでも彼女の心は少し救われる。

「禁酒だなんて、そんな・・・。士度さんの身体が壊れない程度のお酒なら全然問題ないですよ。」

今度は私と一緒に飲んでくださいね、努めて明るくマドカは答えた。  
そうだな・・・・士度は機嫌よく笑うと、ポンポンとマドカの頭を軽く撫でるように叩き、彼女の手を取りダイニング・ルームへと向かった。




夕食の時、マドカは士度に海での話を聞いてもいいですか、と訊ねた。士度はマドカに乞われるがままに、青い世界の様子を伝える――。
海の煌き、水平線に沈む夕陽、都会のものとはちょっと違う海上の朝日、イルカやカモメとの語らい、戯れる魚たちの様子、
素潜りをすることで感じる自然の偉大さ、海の底の青さ、そしてその厳しさと優しさ・・・・。
マドカの意識は彼が語る自然の世界に吸い込まれる―― いつか行ってみたいです、士度さんと海に。
そして一緒にその大きさを感じてみたいです・・・潮風に身を浸すのも気持ちいいでしょうね・・・そう憧れるようにマドカが言うと、
士度は、いつかきっと一緒に行こうな、と優しい眼をして彼女を見つめた。
食後のお茶のときも、リビングで寛いだときも、士度の口から神楽井家の彼女の話は微塵も出なかった。
いつもの士度の様子と調子にマドカは安堵する・・・・大丈夫、不安なのは私だけ・・・彼はいつもと変わらない。
いつも通り穏やかに、私を見つめてくれている・・・・。




部屋の前で別れるときに、士度はいつも通りマドカの額にオヤスミのキスをした。
するとマドカはスッと彼の首筋にその細い手をかけて彼の顔を引き寄せると、その口元付近に躊躇いがちに自らの唇をあてて、
恥じらいながらも口付けをねだった―― 士度が少し嬉しそうに眼を細める気配がした。
そして優しいキスがマドカの心を潤す―― この温もりを、優しさを、彼の存在のすべてを・・・・私は、失いたくない・・・・。

自分を抱きしめる彼女の腕の力が、いつもより強いことに士度は気がついた。
どうした―? どちらともなく唇が離れた瞬間、問うてみたら、

「好きです― 士度さん・・・」

彼女からの何度目かの告白が彼の耳に届いた。囁くような声だったが、はっきりとした意志を乗せてそれは紡がれた。

「あぁ・・・。」

士度の唇がもう一度、その体温を直にマドカに伝えた。自らの思いを、その熱に込めて――。







「 『・・・お返事は急がないでください。特に今すぐなんて残酷過ぎますわ。もっと私を知ってからでも、遅くはないですよね・・・。
   まず手始めに、士度さん、一度私と飲んでみませんか?あ、彼女のことが気になるようでしたら、ヘヴンさんも一緒なら、
   浮気になりませんよね。さあ、参りましょう!』・・・・と、ココまでは昨日の現場(HONKY TONK)で分かりました!ヘヴンさん、続きを!」

続きを!! 夏実とレナが興奮気味にカウンター越しにヘヴンに迫った。あ〜も〜・・・ちょっと待ってよ、頭痛いんだから・・・。
二日酔いで鳴り響く頭痛に眉を顰めながら、ヘヴンはとりあえずお冷を胃の中に流し込んだ。蛮と銀次の顔は不貞腐れている。
何で士度ばっかり・・・・いつか嬢ちゃんにバラしてやる・・・・二人から出てくるのはそんな悪態ばかりだ。

「・・・・で、三人で程よい値段のフレンチに行って、夕方前からお酒飲んで・・・・士度クンは途中で『もうそろそろ飯の時間だから俺は帰る』って
 言うや否やサッサと戦線離脱。私はその後美也子さんに付き合って飲み屋を梯子、彼女の士度クンラヴっぷりを延々聞かされて・・・・。
 あれは、ヤバイわ。さっさと振ってあげないと・・・・。そして今朝早くマドカちゃんから連絡あって、私とちょっと会いたいからって・・・。
 だから私は今日もここにいるわけで・・・・以上!」

マスタ〜冷えたおしぼりちょーだい・・・・と手を差し出すヘヴンに、ホイ、と予測してあったかのようにすぐに該当物が手渡される。

「・・・・マドカちゃんが?それって場合によってはかなりの修羅場に・・・・」

夏実が言い終える前に、カラン・・・と音がして、マドカが静かに入ってきた―― 彼女は一同に向かって丁寧に挨拶をした後、
ヘヴンと共に奥の席へと向かった。

「え〜と・・・お話って何かしら・・・・」

内心冷や汗を掻きながらヘヴンはとりあえずマドカに聞いてみる。

「・・・・士度さんのことなんですが――」

((((((やっぱり・・・!))))))

そう一同の心の声が一致したとき、もう一度カラン、とベルが鳴った。入ってきたのは――

「「「「「!!」」」」」

「こんにちは、マスター。士度さんは?」

「・・・・いらっしゃい。士度君は毎日来るってわけじゃないからねぇ・・・・。」

もしかしたら今日は来ないかもしれないよ・・・・波児はマドカをチラリと見ながら美也子に答えた。
彼のわざとらしく泳いだ視線の先に、美也子も気がついたようだ。
そこに座っているのは、仲介屋と音羽マドカ。
背の高い彼女は頭を抱え、長い黒髪の彼女は曇った顔をしている。
波児の思惑とは裏腹に、マドカを目に留めるや否や美也子の美脚は、
銀次と夏実とレナがハラハラする中、真っ直ぐとそのテーブル席へと向かった。蛮と波児は静かにその様子を窺っている。

「こんにちは、音羽マドカさん。お会いするのは二度目ですね・・・・神楽井美也子です。」

「・・・・こんにちは。お久し振りです。」

ニッコリと微笑みながらスラスラと自己紹介する美也子に対して、マドカも笑みを持って軽く会釈した。
お向かいに座っても、よろしいでしょうか?――えぇ、どうぞ。
そんな二人の遣り取りに、相席しているヘヴンの頭痛は増すばかりだ。

「・・・今日は士度さんとご一緒ではないのですか?」

美也子が席につきながらマドカに訊ねた。

「・・・・バイオリンの弦を買いに行くついでに立ち寄っただけですから。」

「そうですか・・・またよろしければ、昨日のように飲みましょうと、お伝えくださいな。」

(((((ゲッ!!)))))

いきなり宣戦布告かよ!? 思いがけず速い展開に、店内に緊張が走る。

「知っていますわ。ヘヴンさんもご一緒だったとか・・・楽しいお酒でしたか?」

「・・・・ヘヴンさんからお聞きになりましたの?」

「いいえ、士度さんからです。」

「あなたには何でもお話になるんですね・・・・。それでは、昨日の、ここでのお話もお聞きになりました?」

「何のお話ですか?」

「私が、士度さんに、告白した話です。」

(((((〜〜!!)))))

矢継ぎ早に繰り出される乙女たちの、上品でいてしかし棘の付きの言葉にキリキリと痛み出していた一同の胃は、ここでギュッと絞られた。

「・・・いいえ、それはまだ。士度さんからのお返事は頂いたのですか?」

「・・・・気になりますの?」

「・・・・それは、もちろんです。私にとって、とても大切な方ですもの。」

「そうでしたわね・・・・お返事は、まだですわ。これから、ゆっくりと彼に私のことを知っていただこうと思いまして・・・」

でも、あなたにそう言われるとやっぱり、彼の気持ちを早く確かめてみたくなるものですわね・・・・
美也子はレナが持ってきた珈琲の香りをかぎながら言った。マドカは微かに眉を顰める―― 彼女がこんなにも積極的な人だとは思わなかった・・・。
彼女からは強い“気”と、絶対的な自信が感じられる―― 悪い人ではなさそうなのに・・・いえ、むしろお友達になれたら、きっと楽しい人。
でも、彼女は彼の事を・・・・・彼を、私から引き剥がそうとしている・・・。

「・・・・どうして、士度さんのことを・・・好きになったんですか?」

喉が、渇く。

「命の恩人ですもの。私にとっても、彼はとても大切な方・・・・。
 でも、士度さんは、それは子鴨の刷り込みに似たようなものだ、勘違いをするな、そうおっしゃいましたわ・・・・。
 けれど別にそれだけの理由ではないんです・・・・。」

美也子から醸し出されていたオーラがふと、優しい色合いを帯びたのをマドカは感じた。

「彼の仕事に対する真面目さ、自然を愛する心、そっけない優しさ・・・・私にはとても魅力的に映りましたわ。」

それに、とても凛々しくてらっしゃるから・・・・一目惚れ、かもしれませんわ―― 美也子は静かに微笑んだ。

――彼女は、こんなにも強く、はっきりと、彼の事を想っている・・・・・でも、それは・・・・私に、改めて気づかせてくれた。私は・・・彼を・・・・

少し俯き加減だったマドカは、意を決したようその顔を上げた。そして凛とした声で美也子に告げる。

「神楽井さん、私は、士度さんの事を――」


一同が、彼女の言葉に固唾を呑んだ、その時――カラン・・・・三度目のベルが鳴った。そこに現れたのは――

「「「「「!!?」」」」」

「・・・・いらっしゃい。」 「おう。マスター、ブレンド・・・・あれ?マドカ?」

来てたのか・・・先客たちの驚心など露知らず、士度は泥沼と化しているテーブル席へ近づいた。
そこには彼の突然の登場に目を見開く、恋に落ちた二人の女性と、その渦中の人の無神経さにグッタリと突っ伏すヘヴンの姿が・・・・・。

「・・・・なんだ、お嬢サンもいるのか。見舞いの時以来、茶飲みトモダチにでもなったのか、お前等?」

仲介屋は具合でも悪いのか?―― 一つのテーブルを囲む美女三人に、少し意外そうな顔をして士度は言った。

(((((〜〜!?馬鹿だろ!お前!!)))))

普通、恋敵同士が鉢合わせしている姿をみたら、慌てふためくとか狼狽するとか・・・・あるだろう!?
それよりなにより、空気読め!空気を!!

「・・・・神楽井さんとは、こちらで偶然お会いしただけです。帰りましょう?士度さん。」

マドカは徐に立ち上がると、士度の手を取って出口へと足を向ける。

「え・・・?おい、珈琲がまだ・・・・」

来たばかりなのに、注文した珈琲さえ出てこないうちに元の道を逆戻りする破目になった士度は、
マドカのその唐突な行動に驚きながら、それでも手を引かれるままに、彼女に従った。

「・・・・士度さん!!」

美也子が彼の名を呼びながら席を立った。
士度が立ち止まり、マドカもその歩みを止めて美也子の気配を探り、そして心配そうに士度を窺う。
黙ってこちらの方に視線を廻らせてきた士度に、美也子は良く通る声で訊ねた。

「・・・・昨日、私がお伝えしたことに関して、何か心境の変化はございまして?」

「・・・・・」

クルリ、と士度は身体ごと美也子の方に向き直った。
自然、手を離される形となったマドカは、それでも後ろからソッと、彼のシャツを握り締めた。
彼女のその姿はまるで、彼がこの場から消えてしまうのを恐れているかのようだった。

「・・・・・アンタみたいな女性(ひと)、嫌いじゃないぜ・・・・美也子サン。」

「「「「「!!」」」」」

お嬢様の割には芯があって、気持ちの良い性格してるしな・・・・。
士度の言葉が店内に戦慄を走らせた。
マドカの、士度のシャツを握り締める力が強くなった。美也子は眉一つ動かさない。

けどな・・・・士度はスッと手を上げると、マドカの細い肩をそっと自分の方へ引き寄せた。

「俺が愛せるのは、コイツだけだ。だから悪りぃな、アンタの気持ちには答えられない。」

美也子に向かってそう言うと、士度はチラリとマドカの方を見下ろした。
肩を小さく震わせている彼女は、その顔を士度の胸元に埋めている・・・・・表情は、見えない。

「・・・・でも、未来は分かりませんわ。人の心は変わっていくものです、士度さん。だから・・・・」

「俺の気持ちは、変わらない。今も、これからも。」

静かでいて、はっきりとした口調で、士度は言った。
―― そして、誰よりもコイツの傍に居たいと思う・・・・ そう言いながらマドカを痩躯を支える手に彼は僅かながら力を込める。

「―― 私は・・・どんなことがあっても、士度さんの隣で生きていきます――。」

まるで誰かに誓いを立てるように紡がれた、マドカの震える小さな声が、彼女を見守る人々の耳に届いてきた。

「・・・・残念ですわ。あなたの隣を歩ける人に私もなりたかった――。」

小さな溜息を吐きながら、スッと美也子はその視線を士度から外した。気丈そうな彼女が、いつもより少し小さくなったようにヘヴンは感じた。
美也子はその場で少しの間俯いていたが、やがてツカツカと士度の前まで歩を進めた。
そしてわずかに背伸びをして、刹那、彼の唇に触れるだけのキスを落とした――

パリンッ!!―― 夏実が落とした皿が割れる音が、傍観者たちの心理を代弁した。

しかし、士度の表情は変わらない―― マドカはその気配に瞠目したが、流れ込んできた美也子の哀に、心を締めつけられた。

「・・・・・初めて、名前を呼んでくださいましたね。嬉しかったです・・・・。」

美也子は寂しげに微笑むと、・・・・それでは、車を待たしているので、これで失礼致します―― そう言いながら出口へと向かった。

「サヨナラ。」

士度が告げた。

「・・・・それでは、また。」

カラン・・・・今日の波乱を招き続けた何度目かのベルが店内に響いて、・・・・パタン、と扉は静かに閉ざされた。





「・・・・出して頂戴。」

店から十数メートル離れたところに待機させておいたリムジンに乗り込むと、美也子はいつも通りに運転手に告げた。
はい、と返事をしたお抱え運転手が、チラリ、とバックミラー越しに彼女を見ると・・・・彼女は流れゆく外の風景を眺めていた。
ただ、いつも凛としていて、自信に満ち溢れているその優美な面立ちには、光る涙が止め処なく流れていた。
―― 声も出さずに、美也子は泣いていた。そして、窓ガラス越しに映る自分の姿を見て、初めてそのことに気がついたようだった。
彼女は自分の涙に少し驚いた風だったが、慌てた様子もなくハンカチを取り出すと、その涙を拭った。
しかし、いくら拭っても拭っても、その零れる雫は止まらない―― この熱く締めつけるような感覚を、いつから私は忘れてしまっていたのだろう・・・。
青い海原を疾走するクルーザーの上で微笑む彼の姿がフラッシュバックする――。
美也子は両の腕で自らを抱きしめるようにすると、柔らかなシートに身を沈めた。
女性のすすり泣く小さな声がリムジン内に控え目に響いた
その大きな窓から差し込んできた午後の光が美也子を照らす。――隣に誰もいないことが、どうしようもなく哀しかった。







恋人たちは少しの間、奥のテーブル席で二人、珈琲のほろ苦い味を楽しんでいた。
「お前、また余計な心配していただろう・・・・」「そ、そんなことないです・・・・」
じゃあ、なんでそんな兎みたいな目、してるんだ、お前は?―― 眼にゴミが入っただけです・・・・もう!あまり苛めないで下さい!!
マドカにもようやく本当の笑顔が戻ったようだ。
二脚の珈琲カップが空になると、二人はいつもと変わらぬ様子で、HONKY TONKを後にした。





「士度さん、美也子さんにキスされても全然動じませんでしたね・・・・」

「っつーか、避けなかったよな・・・・猿マワシの野郎・・・」

やっぱりムッツリだったのか、アイツは!?蛮は煙草を噛み切った。

「・・・・そーじゃないだろ、お前じゃあるまいし。あれが彼なりの、あのお嬢サンに対する優しさだったんだよ。」

最初で最後の刹那だったんだから・・・・波児は新聞を捲りながら穏やかに言った。

・・・・分かってるよ、それくらい―― そう返す蛮は、それでもやっぱり不満そうだ。

「・・・・どうして、士度ばっかり・・・・どうして・・・・いっつも・・・・キスとかハグとか・・・・」

カウンターの上では垂れ銀がすでに抜け殻状態だ。

「いーじゃない、結果的には丸く収まったんだから・・・・一時はどーなることかと思ったわ・・・」

そう言いながらもヘヴンは、この頭痛と胃痛の慰謝料を士度クンに請求すべきかしら・・・と思案し始める。

「・・・・でも、あのお嬢サン、最後に『また。』とか言っていなかったか・・・・?それって・・・」

トゥルルルルル・・・・蛮が波児に向かって片眉を上げたその時、ヘヴンの携帯の音が店内に響き渡った。

「はいv美しき仲介屋ヘヴンですッ♪」

抜けきらぬ二日酔いで少し枯れていた声が、瞬時に業務用ハイトーンボイスに変換される。
―― プロだ・・・一同は賞賛と呆れの表情をヘヴンに向けた。

「あ、ハイ。 奪還のご依頼ですか?v」

ヘヴンがピースサインを蛮と銀次に向けてきた。「「キタ!!」」と仕事の予感に、二人の尻尾ははちきれんばかりに振られる。

「はい・・・はい・・・愛犬が闇ブリーダーに盗まれた?15匹もですか?あ、それなら打ってつけの奪還屋がいますよ〜v
 動物絡みだと奪還率100%の・・・・」

「〜〜!!ヲイ、ヘヴン!!ちょっと待て!!」 「・・・・ヘヴンさん、士度は一週間オヤスミって・・・・ヘヴンさん?・・・・・(泣)」

「やれやれ・・・・・」 「あ、士度さん、またお釣り忘れていってるし・・・」「マスター、新作のブレンドの淹れ方教えてください♪」

恋の嵐が去った後のHONKY TONK。小さな喫茶店に、いつもの騒がしい青空が戻ってきた。
淡い心を探しながら、まだそこからは少し遠い六人の、それぞれの嵐はまだ何処かで停滞中。
ただ確かなことは、今日も珈琲前線異常無し。





ヘッ・・・クション!!

士度が豪快にクシャミをした帰り道。

「・・・・??」  「お風邪ですか?」

それは大変!帰ったら温かい玉子酒でも・・・・とマドカが心配そうに覗き込んできた。

「いや・・・・別に熱もねーし、寒くともなんとも・・・・?」  「誰かに噂でもされたのかもしれませんね。」

クスリ、とマドカは微笑んだ。

「・・・・・別に噂されるよーなことはしてねぇよ。」  「・・・・・そーですか?」

そーだよ・・・・―― 唯一彼女への愛は、彼にとってはあたりまえの日常。

「そう、ですか・・・・・」

そう呟きながら、マドカは気を抜けば顔に全て出てしまいそうな、どうしようもない喜びを心の中に押し込めるのに必死だった。

「士度さんがいない三日間、寂しかったです・・・・」

代わりに、もう一つの正直な気持ちを言葉に乗せる。

「俺も、だぜ・・・」

雲が途切れて、午後の日差しの温もりが私たちを包んだ。
私が触れている彼の腕の体温と、陽の光の暖かさが混じりあって溶けていく。
そして、彼のその短い言葉は私の心を一瞬にして光で一杯にする。

太陽に気に入られているあなたの気配を、私はとても綺麗だと思った――。

「お仕事は少しの間、お休みですか?」

「そうだな、一週間位は・・・・何処かに行くか?」

「えぇ!今日みたいに御天気の良い日に、海にでも・・・・」

そしてあなたが話してくれた青を感じてみたい―― 全てを包み込む、永遠の青―― それはきっとあなたによく似た色(おと)のはずだから。





Fin.



月窟999ゲッターの鈴美様のリクエスト『表で“early Summer triangle”中の奪還依頼続編話を。クライアントにマドカが嫉妬。からでしたv
美味しいリクエストをありがとうございます、鈴美様!あと、オリキャラのクライアント、美也子が出張っていてすみません;
いつも暖かいエールを送ってくださっている鈴美様のお気に召せば幸いです。
よろしければお持ち帰りしてやってくださいませ♪
それでは、素敵リクエストをありがとうございました!
これからもぜひ宜しくお願い致します(^^)

*英語で“blue”は“青い”という意味の他に “空・海の青、憂鬱・優秀・厳格・家柄が高貴な”等の意味があります。