所謂、“お付き合い”のパーティーには参加しないで。
飛行機を一日早めて。
子供達にお土産を買って。
お世話になった人達にお礼を言って。
そして・・・。
空港でも、機内でも、迎えに来てもらった車の中でも・・・・あの人のことばかり考えていた。
執事から聞いた話だと、まだ屋敷のほうには戻って来ていないらしい。
それでも・・・。
彼はきっと、疲れた顔をして帰ってくる。
私が笑顔でお迎えしてあげなくちゃ。
おかえりなさいのキスをして、彼の広い背中を抱きしめて・・・・。
・・・そう、誰よりも何よりも・・・・私が、彼の存在を求めている。
私の心も、身体も・・・一刻も早く彼に満たされたいと願っている。
お互いの仕事の為に一週間以上会えないことなんて、今も昔も頻繁にあるけれど、
離れている間に心に降り積もる寂しさのカケラと愛しさの雨は、年を経るにつれて殖えて、激しくなって・・・・。
「早く会いたいです・・・・士度、さん・・・・」
マドカはリムジンの柔らかなシートに身を沈めながら、人知れず呟いた。
マドカは確か今日の夜の便で帰ってくるはずだ・・・・一休みしたら空港まで迎えに行ってやろう。
・・・・そんなことを考えながら、士度は旧音羽邸、現冬木邸の門をくぐった。
あの仕事の量で今日までにカタをつけることができたのは、偏に今回のパートナー達の手際の良さのお陰だ。
仕事は無事に終った、マドカも帰ってくる・・・・士音と琴音の相手をしてやる時間も久し振りにできる・・・・。
ニ、三日は暫く静かに一家団欒、骨休めといきたいところだ。
士度の帰宅に気がついた小鳥が彼の肩に飛んできて、ヒサシブリ、と言った。裏庭から子犬が駆け出してきて足元で戯れる。
塀の上から猫の親子がご挨拶・・・・そんな風にゾロゾロとやってくる仲間たちの相手を久方ぶりにしてやっていると、聴き慣れた旋律が午後の涼やかな風に乗って流れてきて、士度の耳を掠めた。
奥のレッスン・ルーム・・・いや、二階の寝室からか?・・・・マドカ?帰っているのか?
不意に、その穏やかで、しかし誰かを待ち侘びているような音色がピタリ、と止まる。
士度は自分の周りでじゃれている動物たちの間を縫いながら玄関へと急いだ。
あぁ、こいつらが動く気配がしたから、マドカも俺の帰宅に気が付いたはずだ。きっと急いで階段を降りてきてエントランスで・・・・。
誰よりも何よりも、彼女の優しい笑顔が見たかった。
パタタ・・・パタタタ・・・・小鳥たちが喜びの声をあげながら飛び立った。
昼寝をしていた庭の動物たちも其処此処で動き始めたみたいだ。
「シベリウス?」
マドカはバイオリンを演奏するのをやめ、傍らで寝そべっていた愛犬に確認する。
<あぁ、士度が帰ってきたみたいだな。>
「~やっぱり!ほら、早くお出迎えに行かなくちゃ!」
マドカは急いでバイオリンを仕舞うと、シベリウスのハーネスを掴んで廊下に飛び出す。
待ち侘びた彼が、帰ってきた・・・これでやっとこの寂しい気持ちも喜びで満たされる・・・・・
― と思いきや ―
マドカは階下から聞こえてきた喧しい声に、絶望的な気分になった。
―彼に会いたい一心で、すっかり忘れていたのだ・・・
士音と琴音のお友達が、お泊りに来ているということを。
「あ、士音君のパパ!!おかえりなさ~い!!」 「お邪魔していま~す!」
「えーと、この間美味しいって言ってくれた漬物、また持ってきたんで、ぜひ食べてください!」
「おかえりなさい。ご無沙汰致しております。あの、後で日本原産の植物について少しお話を・・・あれ、随分とお疲れのようですね?」
「ちょっと!!琴音のパパなんだから、琴音が一番最初にお帰りなさいって言わなきゃいけないのに!!」
「おかえり!父さん!・・・・あ、母さんならもー帰って・・・・って、大丈夫?」
士度が玄関の戸を開けるなり最初に目と耳に飛び込んできたのは、マドカの可憐な笑顔でも、“おかえりなさい”という軽やかな声でもなく・・・・
そのキンキンと響く六人分の声は、疲弊した身体にかなり酷だ。眉を顰め、項垂れた士度に士音が気遣いの声を掛ける。その言葉と重なるように、階段の上から、遠慮がちな声が降ってきた。
「士度、さん・・・・おかえりなさい。」
「マドカ・・・・」
士度が顔を上げ、ホッと息をついてマドカを見つめると、その視線に気がついたのか、彼女の顔から花のような笑みが零れた。
そしてマドカは心弾ませながら階段をゆっくりと降りてくる・・・・双子と、その級友たちに纏わりつかれながらも、愛しい妻の方へ行こうと士度が一歩を踏み出したそのとき・・・・。
「おかえりなさいませ、士度様。あ、お子様方にはお茶の用意ができていますので、ティー・ルームの方へ・・・・」
久し振りの夫婦の再会を手助けするかのような執事の言葉が、アナウンスのようにエントランスに流れた。
士度もマドカもその心遣いに思わず安堵の溜息を小さく漏らす。
しかし・・・・
「あ、じゃあ、士音君のパパも一緒に!」「パパさんいなくて寂しかったですぅ!」
「それでは、お茶の席で植物談義といきましょうか。」「あ、後で上手に身体を鍛える方法とか教えて下さい!俺、柔道やってて・・・」
「も~!!琴音のパパなんだから、あんまりベタベタ触らないでよぉ!!」
「・・・・父さん、疲れているんだったら・・・・」
麻弥と鈴香が士度の両手をやや強引に引いて、ティー・ルームの方向へ引っ張って行く。秀一と孝太も士度の背中を押すようにして勝手なことを言っている。琴音は友人たちが自分の父親を独占しかねないので、その対策で頭が一杯だ。「こら!お前ら!!ちょっと待てっ!!」・・・・そんな士度の言葉も、士音の心配するような気遣いの声も、他の五人の騒音に見事に掻き消され、士度はあっという間に子供達に連れ去られ、エントランスにはマドカと執事が取り残されてしまった。
「・・・・・」
「も、もうしわけございません・・・マドカ様・・・・」
フォローのつもりがすっかり藪蛇になってしまった事態に、執事は冷や汗を流しながらマドカに頭を下げる。
「・・・・いいえ。不可抗力ですわ・・・私たちもティー・ルームへ行きましょう・・・」
マドカは半ば放心したようにそう呟くと、シベリウスに導かれながらティー・ルームの方向へフラフラと歩いて行った。
エントランスには、すっかり自己嫌悪に陥ってしまった執事が一人、取り残された。
「・・・最近、ここら辺ではフキノトウを見かけることがないんですよね。僕は一度しか見たことがないんです。あれは確か、雌雄異株でしたよね?それぞれパッと見て分かる特徴とか有るんですか?」
「・・・・雄花は淡黄色、雌花は白色だ。おい、お前ら、暗くなる前に外でもう一遊びしてきたらどうだ?」
ティー・ルームで、秀一からの八問目の質問に律儀に答えていた士度が、子供達に何気なく提案した。士度から少し離れたところに座る破目になっていたマドカも、「今日は久し振りに涼しくて良いお天気ですものね・・・・」と相槌を打つ。
「あ、そーだ!俺、バットとミットとボール持ってきたんだよ!野球しようぜ、野球!」
「そーだな・・・・六人でも三対三の変則ルール作ってやるか・・・・」
孝太と士音がその提案に乗った。もっとも、士音は両親を気遣っての台詞だが。
「それでは、パパさん、続きの質問は夕食の時間にでも。あとお聞きしたいのは、彼岸花の・・・・」
「も~!秀一君ばっかり質問していたら、私と麻弥ちゃんの質問タイムがないじゃない!」
「そーよ!」
「琴音がパパとお話する時間も、ないじゃない!!あ、お菓子はここに置いておきましょ。後で取りに来ればいいわ。」
じゃあ、パパ!後でね!――琴音がウィンクをしながら最後にティー・ルームを出て行った。
残された士度とマドカはホッ・・・と肩の力を抜いて今日何度目かの溜息を吐いた。
そして、ようやく、二人だけの時間が・・・・マドカが士度の方へおずおずと手を伸ばした。
士度は立ち上がると、その細い手を恭しく取りながら彼女をソファから立たせてやる。
そして彼女の耳元でそっと囁いた。
「温室にでも行こう。あそこの奥のベンチなら二人きりになれる・・・・誰にも邪魔されねぇだろうよ。」
「―― 士度さん!」
今日初めて耳にする近い距離からの士度の声に居ても立ってもいられなくなり、思わずマドカは士度に縋るように抱きついてしまった。その見えない瞳にはうっすっらと涙すら浮かべながら。――
士度の両腕がすぐに自分を力強く包んでくれたことが、マドカにはどうしようもなく嬉しかった。
「身体、壊したりしなかったか?どこか具合が悪いところはないか?」
マドカの手や顔に、啄ばむようなキスを降らせながら問いかけてくる士度の声を、マドカはウットリとした表情で聴いていた。
「私・・・ン・・・ッただ・・・・士度さんに会いたくて・・・・そう思う度に胸が、痛くて・・・・」
マドカの熱っぽい瞳が、士度を捉えた。その熱に誘われるように士度はマドカの頤をそっと持ち上げ、その吐息をつぶさに感じることができる距離で言葉を紡いだ。
「・・・・俺もだ。お前が傍にいないと、心が枯れていくのがよく分かった・・・・」
「士度・・・・さん!」
熱に浮かされ、どちらともなくその唇を合わせようとした刹那――
「しまった――!!」
――という孝太の大声とともに、
ガッシャーーーーーン!!
と派手な音を上げながら、金属バットが士度とマドカの目の前に飛び込んできた。
温室の大きな一枚ガラスは見事に砕け散り、涼しい午後の夏風が室内の植物と、士度に庇うように覆い被さられたマドカの白いロングスカートを揺らした。
「――!?マドカ!怪我はないか!?」
「は、はい・・・・士度さんは・・・・」
ガラスがかかっただけで、怪我はない・・・・背中についたガラスの破片を払いながらそう言った士度がマドカの手をとって立ち上がらせたとき、子供たちがこちらへ駆けてくるのが無残な温室の中から見えた。
「父さん、母さん!?何でこんなところに・・・大丈夫!?」
士音が慌てて両親の元へ安否を確認してきた。
「おじさん、おばさん!!ご、ごめんなさい・・・俺が手を滑らせちまったから・・・・」
元凶の孝太は、真っ青になりながらペコペコと頭を下げるばかりだ。
「だからボール遊びは公園でやろうって、提案したじゃないですか・・・・」
そう言いながらも秀一は、木っ端微塵になったガラスの特徴や種類をメモすることに余念がない。
「だって、私たちは動物さんと一緒に野球をやりたかったんですもの・・・・」
でも、考え無しで・・・・ごめんなさい・・・・麻弥もペコリと頭を下げた。
「ワンちゃんとか、外野できるものね!」
人間、誰でもちょっとしたミスをするものよ!・・・・鈴香はいたってマイペース思考だ。
「パパ、ママ・・・ごめんね、悪気はなかったの・・・・」
琴音がしおらしく士度とマドカを見つめてきた。
場が再び騒がしくなった――子供たちはさらに言い訳めいた言葉を羅列させて喚き始める。騒ぎを聞きつけた執事の木佐やメイドもやってきて、温室の惨状を見るなり、「これはどうしたことですか!?」と絶句する。それに対して子供たちは再び一斉に口を開き、騒音は止む事を知らない。割れたガラスの外からは何だ何だと動物たちが覗きを始め、屋敷の奥では電話が鳴っている――
――冬木邸の普段の静寂はいったいどこに消えたんだ・・・・
今日一日憑いてまわっている、いつもの三倍の喧騒に毒気を抜かれたのか、ガラスを割ったことに対しての説教をする気にもなれず、ただそんなことを思いながら士度が眉間に皺を寄せたとき、マドカが士度のシャツを引っ張って小声で囁いてきた。
(士度さん・・・静かな所へ行きましょう?) (・・・・そうだな。)
士度は執事にガラス屋を呼ぶように頼むと、子供たちにも、「今度からは気をつけろよ・・・」とだけ言い残し、
マドカの背をそっと押しながら温室から出ようとした。
すると、別のメイドが電話の子機を持って温室に入ってきた。
「お取り込み中のところ、申し訳ございません・・・・士度様、蜘郎森人様からお電話です。」
「~~!!」
メイドはそう言いながら子機をスッと士度へ差し出した。
あぁ、どうして今日はこんなに邪魔ばかり・・・・士度がチラリとマドカの様子を伺うと、彼女は小さな声でこう言った。
「大丈夫です・・・待っていますから。」
「悪い・・・・おそらくすぐ済むだろう。終ったらすぐに行く・・・・」
士度が言った言葉にマドカはコクコクと頷くと、温室の外で待たせておいたシベリウスを呼んで、彼を伴い一人居間へと向かった。
「あ、ママ!何処行くの?」
そんなマドカにすかさず琴音が追いすがり、他の子供たちもついてきた。
「・・・・居間でお茶でもしましょうか?」 マドカは子供たちに力なく微笑みながら、傍らに居たメイドにお茶の準備を頼んだ。
子供たちは単純に喜びの声をあげる。ただ士音だけが、粗相に対する雷が両親から落ちなかったことに疑問を抱いていた。
一時間、子供たちと一緒に紅茶とクッキーを賞味しながら、学校での出来事を聞いたりしていた。
30分、一人と一匹でボンヤリと士度の事を待っていた――そうしたらいつの間にかソファに身を沈めて眠ってしまっていた。
琴音に起こされたときには、時刻はもう七時を回っていた。
「・・・マ、・・・ママ・・・?」
「・・・・琴音。・・・・今、何時かしら?」 「もう七時過ぎたわよ。ご飯だって。行きましょ?」
「そう、もうそんな時間なの・・・・。父様は?」
「15分位前までずっと、お電話してたのよ・・・・。そしてママの様子を見に来て・・・疲れているんだろうから、ギリギリまで起こすなって。今は上でシャワーを浴びているわ。夕食の時間には降りてくるって言ってたし。・・・・ママ、具合悪いの?」
琴音の言葉に顔を曇らせたマドカを、琴音が心配そうに覗き込んできた。
「・・・大丈夫よ。私のことより、父様のことが心配だわ・・・・そんなに長くお話していたなんて。それも今日帰ってらしたばかりなのに・・・」
マドカがソファから立ち上がるのを手伝いながら、琴音も心配そうな顔をした。
「パパ、やっぱりちょっと疲れているのかな・・・・ガラス割ったときパパが怒らなかったのを、士音ちゃんさっき、気にしていたし・・・琴音ももうちょっと静かにしておいた方がいいのかな・・・」
珍しくしおらしいことを言いながら項垂れる琴音の頭を、マドカは優しく撫でてやる。
「琴音はいい子ね・・・。いいのよ、士音も、琴音も、普段通りで。せっかくお友達が来ているんですもの、楽しい夜をお過ごしなさい。」
「ママ・・・。うん、ありがと!」
琴音が自分よりも小柄な母親に抱きついたとき、階段を降りてきた士度を見つけて騒ぐ四人組の声が聞こえてきた。
「・・・・で、最近、アケビの苗を手に入れたんですよ。アケビの実って食べられるんですよね?本で調べたところによると、アケビは古くから生活に密着した植物とのことですが、実を食す以外に何か他の用途があったりするんですか?」
「・・・・若芽、若茎、未熟果実、果皮などは野菜として食用できる。蔓は編み込んで細工物に利用できるぐらい強いものだ・・・・お前ら、オーディオルームで映画観るって言っていたよな?そろそろ行かないと寝る時間が・・・・」
秀一からの本日十五問目の質問に答え終わった士度が、子供たちをダイニング・ルームから追い払おうと話題を変えた。
「あ、そうだったよな!士音、そろそろ行こうぜ!俺、ポップコーンの素持ってきたから、これ台所で作ってもらってくるな!」
孝太は“ごちそーさま!”と元気に言うと席を立ち、台所へと駆けて行った。
「では、次の質問は明日の朝食の時にでも。プロの音楽家の方が所有していらっしゃる音響バッチリのオーディオルームで映画鑑賞をすることが出来るなんて、僕たちラッキーですよね。せっかくですから、パパさんとママさんにも楽しんでもらえるようなDVDを選んできました。」
眼鏡を上げながらにこやかに言ってのけた秀一の余計な一言に、士度とマドカの表情が凍った。
二人の予定ではこれから・・・やっと夫婦水入らずの時間が始まる予定だったのに。
「え、でもママは目が見えないから、映画とかはちょっと・・・・・」
琴音が嗜めるように口を挟んだ。
「大丈夫よ!私たち、ちゃーんとそのことも考えて借りてきたんだから!ジャーン!!『恐怖!!暗闇屋敷の謎を解け』!」
鈴香が胸を張りながら得意げにレンタルDVDを取り出した。
「あのね、真っ暗な廃墟のお屋敷の中を冒険するお話なの。でもそのお屋敷、呪われていて、お化けが沢山出てくるのよ!画面よりも音響で恐怖を誘うっていうのが売りだから、これなら士音君のママも楽しめるわよね、ね?士音君?」
麻弥は笑顔で士音に同意を求める。
「お前ら・・・・オペラやクラシックを聴く為の部屋でホラー観るのかよ・・・・」
士音はすっかり呆れ顔だ。
「ポップコーンできたら持ってきてくれるってさ!いこーぜ!!」
孝太の能天気な声すら、士度とマドカの耳には痛かった・・・・。
――まぁ、いい。オーディオルームのソファでマドカと隣通しに座れば、少しは心安らぐ時間ができるのかもしれない・・・・。
子供たちに引っ張られながら士度は頭の片隅でそんなことを思っていた。それはマドカも然り。
しかし、現実はそう甘くはなかった・・・・。
「琴音はパパの隣ね!秀一君がパパのお隣だと、また質問攻めでパパ疲れちゃうもの!」
―あぁ、琴音は本当にイイ子に育った・・・・士度に背後から無言で頭を撫でられた琴音は満面の笑みを浮かべながら父親に抱きついた。
「じゃあ、私もおじ様のお隣!おじ様、お兄さんみたいでカッコいいから、怖いシーンとか出てきたら抱きつきたいわv」
鈴香のよこしまな言葉に、琴音がまた騒いでいる。士度とマドカのささやかな望みも、ここで砕け散ってしまった。
「・・・・じゃあ、俺、母さんの隣に座るよ。退屈になったら言って?外で待っているシベリウスの所まで連れて行くから。」
士音の言葉にマドカは微笑んだ。――頼んだぞ・・・・そんな士度の言葉に、任せてよ・・・・と士音は親指を立てた。
―この間の潜入事件のことをまだ引き摺っているのか、今日の士音は妙に大人しい。
・・・・そうだった、コイツは一度叱られると、とことん反省するタイプだった――
士音の、子供にしては損な性格を、士度は密かに気の毒に思った。
「僕は真ん中に・・・あ、ママさんのお隣になりますね。この部屋の音響効果をベスト・ポジションで体験したいので。」
秀一はメモ帳とペンライト片手にとっとと席に着く。
「お!ポップコーンが来たぞ!え、コーラもつけてくれたんすか?メイドのおねーさん、ありがとう!俺は秀一の隣な!!やっぱホラーは正面から見なきゃだろ?」
気分はすっかり映画館状態の孝太は、ポップコーンとドリンクとお絞りを皆に配り始める。
「じゃあ、私は・・・・士音君のお隣に座ってもいい?」
麻弥が士音を上目遣いに見つめながらオズオズと聞いてきた。
「・・・・好きにしろよ。」
士音はそう答えながら、孝太の手伝いを始めた。
士音からの抑揚の無い返事にも関わらず、密かにガッツポーズをした麻弥であった・・・・。
士度とマドカの間には、琴音と麻弥と士音・・・・遠く引き離された二人が目の前の巨大スクリーンで繰り広げられるホラー映画上映の際にすることといったら一つだ。
・・・・士音が再生ボタンを押してから暫くして、子供たちの悲鳴がオーディオルームに響き渡った。
「・・・・大したもんだな、士音の親父さんとお袋さん・・・」
「だから!パパもママもお仕事から帰ったばかりで疲れてるんだってば!」
「でも、私たち結構騒いでいたはずなのにね・・・・」
「ほら・・・・!父さん、母さん!映画もう終ったよ!」
「もう!通りで私がいくらおじ様の腕にしがみついても無反応だったわけね!」
「しかし・・・・ホラー映画で爆睡できるなんて、なかなか尋常な神経ではできませんよ?」
――あの状態で、あの暗がりで、寝るなっていうのが土台無理な話なんだ・・・
士音に起こされた士度は、アイピローよろしく目元を覆っていたお絞りを取ると、まだ疲れている頭を振りながら、同じくまだ眠い目を擦るマドカの手をとって、彼女を立ち上がらせる。
そして、息子に向かって言った。
「――俺たちはもう休むからな・・・士音、これからもう一騒ぎするのもいいが、適当な時間で切り上げろよ?」
「うん、分かった。おやすみ、父さん、母さん。」
全身に疲労感を纏わりつかせている父親の声は、しかし穏やかなものだったので士音は少しホッとする。
琴音と四人組からも“おやすみなさい”の声が飛び、冬木夫妻はようやく解放された。
「よし!今日の締めくくりはこの広~い冬木邸を使っての“かくれんぼ”だったよな?」
騒音から抜け出せた安堵感からか、後ろから聞こえてきた孝太の台詞など、士度とマドカは気にも留めなかった。
そして階段前で二人は向かい合う。主たちの良い雰囲気に、シベリウスは気を利かせてソッポを向いた。
「・・・・賑やかな一日だったな。」
「士度さん帰ったばかりですのに・・・・お疲れ様でした・・・・あの、今日はもう、お休みになりたいですよね・・・・」
その言葉に士度は片眉を上げた。そしてマドカの手を取ると、そっと自分の方へ引き寄せる。
「・・・・そうだな。お前がそうした方がいいと言うなら、そうしよう。」
士度に抱かれたマドカの肩がピクリ・・・と揺れた。
「そう・・・ですよね。今日もずっと子供たちの相手で・・・・ン・・・・」
沈んだ声で答えるマドカの首筋に士度が口付けを落とした。
「さっき二時間、仮眠がとれた・・・。マドカ・・・・お前はどうしたいんだ?」
久し振りに感じる士度の匂いに、マドカは軽い眩暈を覚え、彼のTシャツを握り締めた。
「わ、私は・・・・」
士度の手がマドカの耳を悪戯に擽った。
目を瞑り、軽く身を捩じらした彼女の小顔を覗き込むようにして、士度はもう一度訊ねる。
「マドカ・・・・?」
心地良いテノールがマドカの全身に響き、その身を震わせる。
「私は・・・今夜は、ずっと・・・起きていたいです・・・・」
士度さんと一緒に・・・・――最後に消え入るような声で呟いたマドカの言葉に、士度が目を細めた。
「・・・・積もる話でもするか?」
おどけるように訊いてくる士度に、マドカが拗ねるような表情をした。
「もう!意地悪・・・しないでください・・・。」
そういいながらマドカが士度の顔を引き寄せると、チュッ・・・と鼻先に軽いキスが降りてきた。
士度の問いかけるような視線は、相変わらずマドカの心に響いてくる。
あぁ、もう・・・判っているくせに・・・・どうして・・・・でも・・・・・だって・・・・長すぎたのよ。
離れていた時間が――だから――
「私・・・私・・・士度さんが・・・・―――。」
士度の首筋に抱きつきながら、マドカが彼の耳元で囁いた言葉に、士度から思わず微笑が漏れた。
一方マドカは顔を真っ赤にして、彼の首筋から面を上げることができない。
「俺も、お前の事を――」
士度がマドカの背中をあやすように撫でながら、言葉を紡いだそのとき・・・・
「マドカ様、お風呂の準備が――!!~~!!し、失礼致しました!!」
マドカに湯殿の準備ができたことを告げに来たメイドは、ひしと抱き合う主人たちの姿を思いがけず目の当たりにすると、一瞬石化し、慌てて一礼した後脱兎の如く去って行った。士度とマドカの足元では、シベリウスが呆れた顔でそのメイドを見送っていた。
「・・・・・」 「・・・・・・・」
・・・・まったく、今日は何時に無く邪魔が入るな・・・・そう苦笑した士度の言葉に、思わずマドカも頬を緩める。
「あの・・・・湯浴みをしてきますので・・・・上で待っていて、ください・・・・」
マドカは恥じらいを言葉の端に滲ませながらそう呟くと、シベリウスのハーネスを取った。
「・・・・あぁ。ひとまずお楽しみは取っておくこととするか。」
士度はもう一度、マドカの額に口付け、彼女の頬を優しくなでると、シベリウスの頭も撫でた後、二階へと上がって行った。
頬を染め、口元を綻ばせながらバス・ルームへ向かうマドカを見て、シベリウスが尻尾を振った。
そんな二人の大人達の優しい時間が、穏やかに始まるはずであったのだが――。
翌朝――
「あれ、おじ様とおば様は?」
自分たちがモーニング・ルームに一番のりだと気がついた鈴香が士音と琴音に尋ねた。
「さっき呼びに行ったら、もうちょっと寝たいから今日は二人とも朝飯いらないってさ。・・・・疲れているんだろ、色々と!」
額に巻いているバンダナを整えながら士音が級友たちを睨みつけ、少し語気を荒げた。
「・・・・やっぱり、昨日の晩、パパさんとママさんのお部屋に勝手に入り込んだのがまずかったですかね・・・・」
しかし、大きなベッドでしたね~――秀一がメモ帳を確認しながら機嫌よく言った。
「だって、あのお部屋が士音君のパパとママのお部屋だって知らなかったんだもの・・・私たちが隠れていたときにご両親が入ってきて・・・・士音君からパパとママのお部屋には入っちゃダメだって言われていたから、出るにでられなくて・・・・」
麻弥がシュン・・・としながら言い訳をするように士音に言った。
「私たち、二階の奥から二番目のお部屋がパパとママのお部屋ってちゃんと言ったのに・・・一番奥の衣裳部屋の小さな扉も数えちゃったのよね、あなたたち・・・・」
流石にあの時はパパも少し怒ってるっぽかったじゃない・・・・琴音が少しふくれっつらをしながらフルーツをお皿に盛った。
「でも、おば様、何だか可愛かったわよね~vおじ様にくすぐられたって言って、シーツに包まって目元潤ませて。おじ様ってそーゆーふざけたことなんてしないって思っていたから、何だかちょっと意外だったわ。」
鈴香がニコニコしながらサラリと言ってのけた言葉に、朝食のオレンジジュースを運んでいたメイドはお盆を思わず取り落としそうになった。隣に居たメイドが上手くフォローしたので、惨事は免れたが。
「へ~・・・俺と秀一がベッドの下に隠れていたとき、上で二人がコソコソ話しながら何かバタバタやってたんだけど、そんな面白いことしてたんだ!見てみたかったな~。つーか士音の親父さんの腹筋凄かったよな!俺もあんな風になりてー!って、あれ、メイドのおねーさん、顔、赤いっすよ?どうしたんっすか?」
孝太の発言に、追加のジャムを運んできた執事も硬直した。そして昨夜は最後までこの子供たちに夫婦水入らずの時間を邪魔をされ続けたのであろう自分の雇い主に、同情の念を禁じえなかった。
「士音君のパパさんの身体は、格闘家みたいですよねぇ・・・・いつかデーターをとってみたいものです。・・・・ところで、僕のパパは単身赴任中なんですけれど、たまに帰って来たときは必ずママと夜、やっぱりくすぐり合いっこをしているみたいですよ?たまにしか会えないから、大人は子供抜きでそういう遊びをしたいんだって、夜、トイレの帰りに間違って両親の部屋に入ったときに説明されました。何が楽しいんだか・・・・大人ってたまに、子供じみたところありますからね。いまどき、そんな遊び僕等だったら、修学旅行の大部屋でお泊りしたときに、皆でふざけ合ってやるくらいじゃないですか。ねぇ、士音君?」
子供たちの危うい会話に、金髪のメイドは笑いを堪えるのに必死だった。
「確かにな・・・・。どこの親も一緒ってことか。」
サラダのプチトマトをつつきながら、士音は秀一に同意する。
「・・・・でも、今回のお泊り、とっても楽しかったわ!士音君のパパとママとはもっとゆっくりお話したかったけれど・・・・ねぇ、また泊まりに来てもいい?士音君?」
紅茶にミルクを入れながら、麻弥が士音に御伺いをたてる。
「・・・・父さんと母さんがいいって言ったらな。」
人参スティックを齧りながら士音がボソリと呟いた。
やった!!・・・と四人の級友たちの顔が輝いた。今度はあの大きな車に乗って何処かへ行きたいわ~v―鈴香がのんびりと琴音に言った。パパに頼んでみるわ・・・・琴音は機嫌よく答えている。
・・・・しばらくは無理なんじゃないかな。
士音はサラダを口に運びながらそう思った。
昨日あれだけ父さんと母さんを引っ張りまわして、質問攻めにして、二人だけになる時間を邪魔したんだ。当然といったら当然なのだが。
そんなことよりも――
先程、両親を起こしに行ったとき、マドカはまだ夢の中で、ノックの音を聞きつけた士度が部屋の鍵を開けて出てきて、朝食はいらないという旨を士音と琴音に告げた。そのとき――
―― 士音、明日は久し振りに山にでも行って二人で汗を流してくるか・・・。
夏休み中にマスターしたい擬態をとりあえず考えておけ。――
父親がそう言ってくれたことが、士音には単純に嬉しかった。
―― わかった。明日までに考えておくよ。――
そう言いながら、いつも通りに互いの拳を合わせて確認をとったときも、何だかとても気持ちよかった。
潜入事件の時に怒られたのが正直かなり堪えていたのだが―― 仕事から帰ってきた父親にいざ会ってみると――やっぱり親子っていいな・・・・と、士音は素直に思うことができた。
こいつらが帰った後、今日は・・・・琴音が父さんと母さんと一緒に銀座まで買い物に行きたいって言っていたな。
俺は夕方になったら父さんをジョギングに誘ってみよう。川原までのタイム、少しは上がるかな・・・・。
「士音!早く庭で遊ぼうぜ!・・・もちろん、バットは無しで!」
他の三人とすでにモーニング・ルームの扉の前にいる孝太にそう言われて、士音はシリアルの残りを平らげると、紅茶を飲み干し、席を立った。
「パパとママをいつも通りに独占できるまで、あと三時間半よ・・・・」
苺を口に放り込みながら琴音が小声で耳打ちをしてきたので、士音は思わず苦笑する。
そして双子は“ごちそーさま!”と声を揃えて言うと、二人を待つ級友たちの方へ駆けて行った――
――明日からはしばらく、家族サービスに徹しよう・・・・――
ベッドの中でマドカの寝顔を見つめながら、士度はそんなことを考えていた。
いくら士音と琴音が同じ年頃の他の子供たちよりもしっかりしているとはいえ、やはりまだ10歳だ・・・・
両親が10日近くも家に不在だったのはどうしても寂しかったらしい。
――家族・・・か。そういえば・・・・・
魔里人としての自分、奪還屋としての自分、マドカと結ばれ“夫”となった自分、そして“父親”としての自分・・・・
――俺の肩書きも昔とは違って随分と増えたものだ・・・・・
士度の体温を求めるように、マドカが無意識にその身体を摺り寄せてきた。
――それも・・・・悪くはない・・・が・・・・
マドカの細い躯をそっと抱きしめながら、士度は自嘲気味にその口元を緩めた。
――時々気をつけないと・・・・泣かせてしまうからな・・・・
そして・・・・―寂しい― そんな想いが、相手と自分の心の隙間に潜り込んで来てしまう・・・・・。
――こんな不器用な俺に、皆・・・・よくついてきてくれている・・・・
危険な“奪還屋稼業”を家庭を持ってもいまだに続けていることについて、マドカも双子も、黙認してくれている――
この仕事のお陰で、寂しさや不安を家族に与えているという事実にも関わらず・・・・家族は
士度は身体の力を抜いて、ベッドへ身を沈めた。
――俺が、そんな家族の為にしてやれることは何だろう・・・・?――微睡みの中で士度は反芻した。
朝の澄んだ空気を入れる為に今朝方開け放した窓の下から、子供たちの明るい声が聞こえてきた。
マドカの優しい体温が、士度を再び眠りへと誘った。
士度はその眠りを抵抗する事無く受け入れた。
愛しい人の香りが、心の澱と躯の疲れを洗い流してくれるような感じがした。
そんな士度の肩口に頬を寄せて眠るマドカの表情は、幸せに満ち溢れていた。
双子が再びやってきて、派手な目覚ましの代わりをするまで、二人は甘い惰眠に身を委ねていた。
Fin.
UMI様から月窟1500のリクエスト、「双子の友人が冬木邸にお泊り&パパ争奪戦」編でした☆
リクエストは+「夜はマドカからお誘いH」でしたので、
“もうちょっと寝ていたい”状態に陥る原因となってしまった夜の最終イベントを鑑賞ご希望の方はを通り月窟へどうぞ♪
冬木夫妻は仕事でお疲れ気味のようで、今回は少し大人しい感じですが・・・たまにはこんな冬木ファミリーもいかがでしょう?
UMI様、楽しいリクエストをどうもありがとうございました♪またの挑戦をお待ち致しております。