<・・・右旋回・・・そう、こう合図を出したら・・・左・・・・>
蒼く広い空が茜色に染まり始め、木々もその黄金色の光に葉を揺らしはじめた刻、
森の入り口の草原に佇む士度の合図に合わせて、大鷹が優雅に空を舞う。
彼の隣に一人立つ初老の男性の金糸の髪が風に揺れ、
空を見上げる碧眼と色素が薄い口元は、歓喜と感嘆を隠せずにいた。
<凄いな・・・!私がいくら教えても言うこと一つ聞かなかったあの
辺りに夕闇の気配を感じたのか、大鷹は二人の方へと戻って来る。
そして本来のご主人のことを綺麗サッパリ無視して、鷹は士度の腕へと舞い降りた。
士度の隣の男性はそのあからさまな態度に苦笑したが、士度が腕を彼の方へと伸ばすと、鷹はその意を汲み取ったかのようにご主人の腕へと飛び移る――柔和な光を称える碧眼が嬉しそうに細められた。
<明日一日…訓練をすれば、あなたの言うことも聞くようになるでしょう・・・>
士度は腕から餌掛けを外しながら、まだ慣れぬ異国の言葉で呟いた。
愛鳥に餌を与えていた紳士の眼が優しげに瞬いた。
<ありがとう、君・・・・お陰で
<それは・・・彼女にも悪いことをしてしまいました・・・>
士度はようやく聞き取った、まだ知り合ったばかりの男性の言葉に自嘲気味に返事をしながら、彼の歩調に合わせるようにして
昨日とて・・・聞けばマドカは晩餐会を途中で放り出してホテルに戻って来たという――眼が見えぬ彼女がそこまで心配をするほど自分の気配が弱弱しかったのかと思うと、士度は自己嫌悪の渦の中に飛び込まずにはいられなかった――内心、自分を密かに恥じ入りながら歩を進める士度の隣では、大層機嫌の良い紳士のお喋りが続く。
<しかし君も・・・今夜の夜会には出るだろう?昼間のお茶会で君に興味を持った輩が結構いてね・・・ぜひ君とお知り合いになりたいと言っている人達が今夜は君の元にワンサカ訪れることだろうよ。特に大馬主であるターフェルラント氏はぜひ君と一緒に乗馬を・・・・おや、あちらから駆けてくるのはマドカではないかね?おやおや、まだ夜会のドレスを身に着けていないよ・・・?我々もそろそろ準備をしなければいけない時間なのに、女性はとかく時間がかかるから・・・>
白いレースのワンピースを優雅に翻し、小さく息を切らせながら目の前にやってきたマドカの姿に、士度は小さく安堵の溜息を吐いた。
しかし――
「マドカ・・・――!?」
彼女は士度の目の前に立つなり彼の手をとると、
<ミスター・ヘルツシュタイン・・・!士度さんを返していただきますね!それではまた夜会の席でお会いいたしましょう、ごきげんよう・・・!>
そんな上品な言葉を早口にまくし立て、優雅に早急に一礼するや否や、彼を宮殿の広大な庭の一画にある
<二人とも・・・!夜会には間に合うように帰って来るんだよ・・・!>
紳士のそんな言葉はもはや、マドカにも士度にも届いていなかった――
「おい、マドカ・・・・やっぱり、俺には奴らが言っていることの半分も理解でき――!?マドカ・・・・?」
東屋につくなり、唐突に抱きついてきたマドカを、士度は戸惑いながらも受け止めた。
「ごめんなさい・・・!」
そして、やはり唐突に述べられる謝罪の言葉――士度が彼女の頤をそっと持ち上げると、彼女の愛らしい漆黒の瞳には夕日に煌く涙が光っていた。しかし士度には、彼女の謝罪や涙の意味などまるで検討がつかず・・・彼女にハンカチを差し出しながら途方に暮れるばかり。
「わ、私の我侭で・・・士度さんを・・・飛行機に乗せたり・・・・慣れない外国に連れて来たり・・・・具合が悪いのに知らない人と沢山会わせてしまったり・・・洋装を着るのだって・・・窮屈だって前に言っていたのに、無理矢理・・・・・疲れることばりさせてしまって・・・本当に、ごめん・・・・なさい・・・私、私・・・・」
士度の胸に顔を埋めながら本格的にシクシクと泣きはじめてしまった彼女に士度は一瞬、眼を丸くしたが――
やがて彼は彼女の背中を優しく撫でながら、東屋のストーン・チェアに腰を下ろし、自分の膝の上に彼女をストン・・・と横座りにさせた。
しかしマドカは「ごめんなさい・・・ごめんなさい・・・」と繰り返しながら涙を零すばかりで。
「なぁ、マドカ・・・そんなに泣くなよ・・・俺、全然何も気にしちゃいねぇからさ・・・」
士度は彼女の涙を、その少し武骨な指でそっと拭いながら、穏やかに言った――しかしマドカはフルフルと首を振りながら小さくしゃくり上げるばかりで。
士度は彼女の想いを包み込むように――その痩躯をそっと抱きしめた――マドカの涙が、士度のシャツを温かく濡らす。
「・・・なぁ、マドカ――飛行機だって、洋装だって・・・きっとそのうち慣れだろうし・・・異国の奴等とだって回数を重ねれば、案外普通に分かり合えるかもしれねぇ・・・・今なら、何となく・・・そう思えるんだ・・・・お前が傍にいるから・・・・さ。」
――お前と一緒なら・・・海や空を越えてどこに居たって・・・俺は・・・・
その言の葉は――彼女の白い首元に顔を埋めるようにして、少し気恥ずかしげにマドカの耳元で紡がれた――涙に塗れた彼女の大きな瞳が、驚いたように見開かれ――そして後悔の涙は幸せ色の涙へと変わる。
「士度・・・さん・・・」
マドカはもう一度、士度の首筋に甘えるようにその柔らかな頬を埋めた――夕暮れの涼しい風が、二人に挨拶をしながら通り過ぎていく。
「私・・・本当は、嬉しかったんです・・・・今回、士度さんが一緒に来てくれて・・・・でも・・・結果・・・色々と士度さんを困らせることになるなんて、思ってもみなくて・・・・」
――大丈夫だって・・・・
彼女の震える声に、そう何でもないように返しながら、士度は彼女の存在を確かめるようにもう一度その腕に力を込めた――
そのとき、教会の鐘がその音に夜の足音を潜ませながら五つ――高らかに
五つ目の鐘の音が長く尾を引き消えていくのを合図に、どちらともなく名残惜しそうに唇が離れる。
マドカはそのままコツン・・・とその額を彼の、今日は髪を上げ、露になっている額にあてた。
そして、すこしはにかみながら――彼が思ってもいなかったことを、その唇に乗せたのだ――
「お誕生日、おめでとうございます・・・士度、さん・・・!」
彼女の柔らかな黒髪が夏の夕日に踊る中、士度は虚をつかれたような顔をした――
俺の誕生日は明日だって・・・確かマドカが茶会のときに・・・皆に説明していなかったか?
士度の混乱を汲み取ったのか、マドカは自分の腕時計の蓋を開けると――士度の手を文字盤までゆっくりと導きながら、微笑んだ――
「日本とココは・・・時差が7時間あるんです――だから、日本ではもう、8月12日・・・・・」
そう言いながらマドカは士度にもう一度、慈しみのキスを贈った。
士度がパチパチと眼を瞬かせる有様に、マドカの唇は綺麗に弧を描く。
――明日は、皆が士度さんのお誕生日をお祝いするっていうし・・・今夜の夜会でだってきっと・・・・
――だから、私が誰よりも先に・・・・士度さんのお誕生日を、お祝いしたかったの・・・・
囁かれる彼女の言葉は、士度の心に何よりも暖かな幸せをもたらした。
彼の口元を飾った穏やかな微笑を指先で感じ――マドカの貌にも太陽のように晴れやかな輝きが戻ってきた。
「今夜、奏でる曲の一つ一つに・・・アナタへの想いをのせるから・・・」
――マドカの細い指に絡められた温もりが、彼の喜びを語る確かな
そして恋人達は自然、その愛しいぬくもりを分かち合うために再び惹かれあうが・・・・
<お二人さーん・・・!!もうそろそろ準備を始めないと本当に遅れてしまうよ――?>
庭の向こう側から木霊してきた、どこまでもマイペースなヘルツシュタイン氏の親切な呼びかけに、その触れ合いは苦笑と共に遮られる。
二人は刹那、触れるだけのキスを互いの唇に落とすと、手をとりあって東屋を出た――
陽は遠く森の向こうに消えかけ、
夜露をしっとりとはらみ始めた緑の芝生の上を、二人はその煌きに向かってゆっくりと歩む。
ふいに――士度が口を開いた。
「なぁ・・・今日の“夜会”って・・・お前のコンサートと、後は・・・何をするんだ?」
今更な質問に、マドカはクスリと微笑むと、甘えるように士度の腕に縋りながら、悪戯っ子のような笑みを浮べ、士度の顔を覗きこむ。
「あら、士度さん・・・日本で沢山練習してきたじゃないですか?」
士度の身体がギクリと動く。
そして心底困ったような顔をしながら、マドカの方を見下ろしてきた――
「えぇ・・・!ダンス・パーティーがあるんです!士度さんにエスコートしてもらうの、なんだかとても楽しみです・・・!」
士度はこの異国の地に降りてから何度目かの・・・彼としては不本意ながらも、しかし、“逃げ出したい”という気持ちに駆られたが――
欣幸に頬を染める彼女の無邪気な姿が、彼の心の焦燥を瞬く間に溶かしていった。
空を越え、遠い異国の地でまた一つ歳を経たことへの感慨よりも――彼女が今日もこうして――自分の隣で微笑んでいるという愛しさに、
士度は感に堪えんばかりの安らぎを感じていた。
Fin.
今年もギリギリで更新の・・・士度さん祝BirthdaySSでしたv
困ったり、戸惑ったりする士度さんも何気に好物みたいです、管理人・・・そして洋装士度も、タマリマセン(笑)
今日の段階では、ひたすら本誌士度の出番を待ち侘びている状態ですが・・・それでも弊サイトの士度愛は常にMAX!
これからも士度×マドカ愛でひた走りますとも・・・!
プチ関連話としてリクエスト話の「over the moon, under the sun.」もよろしければ合わせてどうぞ☆
(2006.8.12)
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