「…・…だから、来週あたり別荘に行って紅葉狩りでもしませんか?」
ティーカップをバスケットに仕舞いながらマドカは微笑んだ。
――もっとも、私は見ることはできませんけれど・・・・森一杯の落ち葉の香りやココとは違う空の高さや澄んだ空気は今の季節、きっと心地よいと思うんです・・・
それに近くの果樹園で梨や葡萄狩りもできますし……――
――そうだな・・・・――
天気が、良かったら・・・・行ってみるか――士度の膝の上で爪を立てながら眠っているアンゴラウサギを引き剥がすことに四苦八苦しながらの彼の答えに、
マドカは小さく安堵の溜息を吐いた。
昨日まで立て続けに仕事が入っていたせいか――最近の彼はどこか疲れているようにマドカは感じていた。
別段、具合が悪そうな素振りを見せるわけでもなく、食欲が無いわけでもなさそうだ――
今日もこうして中庭の木の下でお茶をしているときも、いつもの穏やかな彼の気配。
お手製のクッキーだって(ほとんど庭の動物達に横取りされていたけれど)食べてくれたし、新しく下ろした紅茶も美味しいと言って飲んでくれた――
午後のお喋りだって、いつも通り少し眼を細めながら聞いてくれていたし、動物達ともいつも通り――短いながらも心通わせた会話をしている。
ただ、少し――これは眼が見えないからこそ感じられる変化かもしれないけれど――彼の気配が、いつもよりほんの少し、疲憊しているようにマドカの五感は感じていた。
だから、場所を変えて療養するのも彼にとってきっと良い気分転換になるだろう――
――次の週は長いお休みがとれるから――彼女はそんな風に話を切り出して、士度を誘ってみた。
疲れているみたいだから――そう言っても彼はきっと、そんなことはない、と――優しい嘘をつく人だから。
仕事も一段落したからだろうか、彼からの答えはyes。
――メイドさんたちの休暇にもなりますから、きっと皆喜ぶわ…――
マドカはそう言いながらパタン・・・・とバスケットの蓋を閉めて立ち上がった。
士度はウサギを膝から引き剥がすことに成功したようだ――キィ、と不満そうな声が足元から聞こえたので、マドカも思わず眼を細める。
「あぁ、ポットは俺が持っていく――」
――まだ結構入っていて重いからな・・・・――
「はい、お願いします・・・!」
マドカはクッキーのお代わりをねだるモーツァルトのハーネスを取りながら、まだ腰を下ろしたまま手や服についたウサギの毛を払っている士度に微笑みかけた。
――はいはい、残りはご飯が終わってからあげますからね・・・――
そんなことを纏わりついてくる犬や猫達に言いながら、マドカはとりあえずバスケットを置きにティールームを目指す。
夕焼けが近い日差しに輝く、そんな彼女の後姿にどこか安らぎを感じながら、士度もようやく大樹から背を離し――立ち上がろうと腰を上げかけた――
そのとき
急に胸の辺りに鋭い痛みが走ったかと思うと、喉元が熱く焼け――
思いがけない身体の変調に戸惑いながら、士度は喉から競りあがってくるような酸痛を吐き出すように咳をした。
固い咳の音とともに何かが手を温かく濡らす――
絡む喉を忌々しく思いながらも、顰めた眼を開けると、眼の前の自分の掌は鮮血で真っ赤に染まっていた。
「――ッ!?」
「士度、さん・・・・?」
士度が自らの手を見つめながら声を失ったそのとき――ティールームの方から心配そうにこちらを伺うマドカの声が彼の意識を再び引き戻した。
「咳・・・冷えちゃいましたか・・・?あの、それに微かに血の臭いが・・・・」
どこか怪我でもされたんですか・・・?
ともすれば、こちらへ駆け出してきかねないマドカの様子を目の当たりにして、士度は手を濡らす血を慌ててジーンズで拭き取った。
「いや・・・・立ち上がるときに・・・・ちょっと草で手を切っただけだ・・・・」
大した事じゃねぇよ・・・・
自分の声は、嘘で枯れていなかっただろうか――?士度は乾いた唇をペロリと舐めると、傍らに置いてあったポットを手にとり、ゆっくりと身を起こす――
「あ・・・あの、救急箱、とってきますね・・・・!」
――きっと風邪薬も入ってますから・・・・!――
彼のなんでもないような声に少し安心しながらも、バスケットをテラスに置いて急いでティールームに入っていくマドカの姿を士度は見送るように眼の端に納め――
突如不協和音を奏で始めた自らの身体に鞭打つように立ち上がった――
刹那
「―――!!」
強烈な眩暈と抉るような胸痛が士度の視界を攫った。
急激に力を失った手から滑り落ちたポットは音を立てて割れたはずだが、不思議とその響きは士度の耳には届かなかった――
<シド・・・!!>
ライオンの低い呼び声が地を這うように聞こえ、彼が身を起こしてこちらにやってくる――
ドン・・・!!と音を立てるほど強く、士度は自らの背を大樹の幹に押し付けた。
木の葉が舞い、驚いた小鳥達が枝々から一斉に飛び立ったが、すぐに士度の様子に気がついたのか、空の上から心配そうな声を上げた。
その甲高い声も、士度には遠く遠く空の彼方から揺れて聞こえ――
躯が熱く燃え滾るように血液が逆流するような錯覚が全身を襲い、
しかし身を濡らすのは凍りつくような冷たい汗――
胸を渦巻く赤黒い渦を押さえるように、士度は左胸を押し潰さんばかりに強く握り締めた――
――鬼魔羅・・・・・お前か・・・・・・?――
苦しい息の中、士度は薄らと自嘲気味な笑みを浮かべた――
二度も同じ人間の血を吸いながら生きていくのは、やはり気に入らないのか――?
彼は右手で大樹をその幹が悲鳴を上げるほどに強く掴み、倒れまいと己を支えた。
耳を劈くほど激しく響く鼓動、胸の奥から聴こえてくる、言葉にならぬ低く、呻く様な音の塊――
――頼むから・・・・大人しくしていてくれ・・・・――
意識を持っていかれまいと、士度は己の唇を強く噛み締めたが、
喉の奥で血の匂いがしたかと思うと――グラリと足元が揺れ、士度の目の前で空間が歪む。
太陽がやけに近く、荒くなる呼吸の中で躯が身の内から灼かれていく感覚が士度の思考を焦がしていく。
――士度、さん・・・・?――
ポットが割れた音が聞こえたのだろうか、マドカの憂慮の声が屋敷の中から響いてきた。
――こんなところで・・・・寝るんじゃねぇよ、士度・・・・――
震える右手で辛うじて樹に縋りながら、士度は新鮮な空気を求めるように浅く息をした――
すると異物を拒むかのように躯の中で何かが暴れ――彼の呼吸を止めんばかりの針を刺したような痛みが、心の臓の位置から全身を駆け巡る。
そして次の瞬間――ドクリ――と一際大きく、しかし不気味な程静かに鬼魔羅が波打ったかと思うと
彼の瞳は刹那、大きく瞠られ――
士度の手が、ズルリと樹の幹から離れた
――
彼女の悲鳴に近い叫び声や
仲間達の危惧の鳴き声は
地に伏した彼にはもはや
聞こえてはいなかった。
ほら、やっぱり具合が悪かったんだわ――
父様もそうだったけど、男の人ってどうしてああも我慢ばかりするのかしら?――弱音を吐いてくれない彼を少し心寂しく思いながら、マドカはモーツァルトと共に急いでティールームに入ると、奥のチェストの下にある救急箱を取り出して、中身を確かめる為に蓋を開けた――すると
――ガシャン・・・・
重い音が庭から聞こえたかと思うと、少し濃く漂う、紅茶の匂い・・・・その音にビクリと眼を見開いたマドカは、恐る恐る顔を上げる――主人の不安を感じ取ったのだろうか、モーツァルトも鼻を鳴らしながら心配そうに彼女を見上げた。
――士度さん・・・・?
最初に呟いた彼の名前は、声にならなかった。
外にいる動物達の声が急に慌しくなったのに、どうしてだろう・・・・・彼の声が、聞こえない――
「士度、さん・・・・?」
マドカは立ち上がりながら、今度ははっきりと彼の名を音に乗せた――しかし、彼からの返事は無く――彼女が名を呼ぶと、いつもなら短くともよく通る声で返事をしてくれるのに――ただ、庭の住人たちが、彼の人の名を心配そうに呼ぶ声だけが、マドカを更なる不安へと誘った。
「モーツァルト、お庭へ・・・・!」
普段より少し鋭い指示を与えられた盲導犬は、急いで彼女をテラスへと導いていく――不意に、ドサリ・・・・と芝生に何かが倒れる音が――マドカを再び竦みあがらせる。リンリン・・・・と鈴を鳴らしながらテラスに差し掛かったモーツァルトがピタリと足を止め、首を傾げた。
「・・・・?モーツァルト・・・?士度さん・・・・は?」
彼の――声がしない・・・動物達との会話も聞こえない・・・・彼が動く気配が・・・・感じられない・・・・――小鳥達の囀りも、仔猫の鳴き声も、ライオンさんの低い咆哮も聞こえるのに――マドカの耳に木霊するのは、心を凍らせるような静寂。
得体の知れない胸騒ぎが彼女の全身を包み、モーツァルトの次の言葉が、彼女の心をさらに震え上がらせた。
<シド・・・・寝テル、ヨ?>
「――ッ!!」
急に庭へ飛び出したマドカに懸命についていきながら、モーツァルトも歩を早めた。
少し冷たくなった秋風が彼女の艶やかな黒髪を空に流す――
「士度さん・・・!!どこに・・・・」
彼女は中庭を駆け足で進み、細い身体を巡らしながら、彼からの返事を求めるかのように声を高めた――
しかし涙声の彼女の声に応える者は無く――<シド・・・・?> <・・・・シド?>
彼の仲間達が彼の名を呼び続ける場所が、恐らく彼が、居る場所。
カランッ・・・・とマドカの靴にポットの欠片があたり、彼女の歩みを止めた。
<……シド?ドウシタノ……?>
モーツァルトが俯き、マドカの足元でペロリと何かを舐める音がしたので彼女はようやく彼の居場所を認識できた――
マドカが両膝をつき――探るようにおずおずと手を伸ばすと、指先に触れたのは、慣れた、彼の貌。
ただその肌は、刹那彼女の指先を弾かせるほど燃えるように熱く――マドカは彼の名前を呼びながらその頭を自らの膝に抱き寄せたが、いくら話しかけても彼は言葉を紡がない――苦しそうな浅い息だけが――かろうじて彼の生がまだあることをマドカに伝えていた。そして今更ながらに気付かされる――彼から香る、濃い血の匂いが、マドカを一瞬にしてパニックに陥れた。
「い・・・や・・・・士度さん!!しっかりしてください・・・・!!士度さん・・・・!!お願い、眼を覚まして・・・・!!」
受け入れ難い突然の現実にマドカの貌は見る間に蒼褪め、彼女は彼をどうにかして覚醒させようと、その頬をペチペチと叩いたが彼の瞼が上がる気配は無く、その大きな手に縋るように指を絡めても、いつものように握り返してはくれなかった。
マドカの眼から零れ落ちた大粒の涙が彼の頬を濡らす――
――誰か・・・・誰か来て・・・・!!
心が押し潰されそうに昂進するまま、彼女はあらん限りの声で叫んだ――音羽邸の奥にある食堂で午後の休憩をとり、談笑していた使用人達は弾かれたように頭を上げ―― 不安の色を隠さず一足飛びに中庭に向かう。
「お嬢様・・・・!!一体何が・・・・・士度、様・・・・!?」
執事とメイドが見たのは――ピクリとも動かない居候殿の頭を膝にのせ、泣きじゃくる女主人の姿。
「・・・・血が・・・・喀血されたのですか!?それに・・・・酷い熱だ・・・・」
――早く!!お医者様を!!
部下に指示を出す執事が放った言葉にマドカは眩暈を感じ、グラリと揺れたその細い身を金糸の髪を持つメイドが間一髪で支えた。
「お嬢様・・・!!しっかりなさってください・・・!」
士度が執事と別のメイドに抱えられながら運ばれて行く――マドカも支えられながらもフラリと立ち上がると、呆然としたままだが彼の後を追おうと一歩を踏み出した。
涙が、止まらない――不安・恐怖・焦燥・哀――それらが全て交じり合い、止まるところを知らず溢れ出てくる涙を、マドカは自分を奮い立たせようとそっと手で拭った――
すると、彼女の顔をぬるりと濡らす、生暖かいもの――
「・・・・!!お嬢様・・・・血が・・・・」
ああ、コレは自分のものではなく、彼の――
――・・・・・ッ!!
マドカは両手で顔を覆うと、その場で再び泣き崩れた。
彼の傍に一刻も早く戻らねば――士度を犯していた熱の高さと、苦痛を伝える息、応えぬ意識、重い躯――それらに引き摺られるようにマドカの心は彼に向かったが、身体が身に染み込むような戦慄と灼け爛れるような艱苦で動かない――
――彼は・・・・・・・・何処に行ってしまうの・・・・・・・・?
私を、置いて・・・・?――
永遠に望まぬ問いを、マドカは胸が
――心臓が・・・・暴発したように・・・・・
吐血も・・・・・その為・・・・肺に負荷が・・・・――
今は・・・・正常に動いているようですが・・・・・あのとき彼の脳や身体に・・・・・・大きな負担が・・・・・――
――このままだと・・・・・意識が戻らない可能性も・・・・・・・・
お嬢様・・・・――
昨日のお医者の声に、メイドの声が重なった――
「・・・・・お嬢様?」
士度が眠るベッドの傍らに座り込み、その淵に頭をのせ――マドカはいつの間にか
眼鏡をかけたメイドが彼女の肩にそっと・・・ストールを掛けて暖を与えた。
マドカは眼を擦りながら起き上がると、士度の額に手を翳した――隣にいるメイドが取り替えてくれたのだろうか、彼の額に乗せてあるタオルはまだ、冷たい。
そしてマドカの手は彼の頬を滑り、彼の唇にそっと触れる。
まだ熱が引かぬ肌に哀しそうに眉を下げながらも、彼の浅くも、規則正しい呼吸が――彼女に束の間の安堵感をもたらした。
彼女は再びベッドの傍らに腰を落とし――羽毛のキルトの下に隠れていた彼の手をそっと持ち上げ、祈りを捧げるようにその硬い手を握った。
「・・・・お嬢様、昨日からずっとこちらに・・・・どうかベッドでお休みになってくださいませ・・・・このままではお嬢様までお体を壊してしまわれます・・・・」
――士度様の目覚められたとき、お嬢様が御病気では・・・・士度様はきっと悲しまれますわ・・・・・
夜の気配の中、静かに、穏やかに紡がれた憂慮の声に、マドカは士度の気配から意識をそらさぬまま、小さく頷いた。
「・・・・・ありがとうございます。でも、もう少しだけ・・・・・こうしていたいの・・・・・」
そして彼女は彼の逞しい手に頬を寄せた――想いを、彼に伝えるように。
――かしこまりました・・・・
御付のメイドは眼鏡の奥から優しげな眼差しをマドカに向けると、会釈をしながら部屋の隅に置かれてあるロッキング・チェアまで戻っていった。
――大丈夫よ・・・・士度さん・・・・
マドカは彼の武骨な指に、そっとくちづけ――
私、あなたの傍にいるわ・・・・――
彼の厚い掌に指を這わした。
――ずっと・・・・ずっと・・・・・
マドカの細く嫋かな手にズシリとした重みを伝えてくる彼の手に、彼女は柔らかに微笑んだ。
――知らなかった・・・・士度さんの手が、こんなにも重たいなんて・・・・
彼女に触れてくる彼の手は――その逞しさこそ感じたことはあったが、いつもとても優しく、あたたかく、魔法のような幸せを運んでくれて・・・・重たいなどとは、今までマドカは思ってもみなかった――優しい貴方はきっと・・・いつも・・・・・私に負担を掛けないように・・・・・・・・・
―― マドカ ―――
不意に――彼に名を呼ばれた気がして、彼女は急いで彼の頬に手をあてたが――
彼の熱も、表情も、変わらぬまま――ただ、静かに、眠り続けるだけ―――
「士度・・・・・さん・・・・・・」
マドカは喉の奥で祈るように呟いた。
昨日、彼の傍で散々泣いたので枯れ果ててしまったと思っていた熱い雫が、再び彼女の大きな瞳から溢れ、士度の手に煌く筋を作りながらシーツに吸い込まれていった。
彼女は細い肩を震わせながら、彼の手から身を離そうとはしなかった。
<其方・・・・何処へ行くつもりだ・・・・?>
深い霧の中で不意に呼び止められ、士度はゆっくりと振り返った――ああ、すぐ近くに誰か、居る。
もっともこの霧では、顔はおろか服装すら確認することができないが。
<・・・・何処だろうな。俺にもよく分かんねぇんだ・・・・>
――帰らなきゃなんねぇんだが・・・・
士度は声だけの、見知らぬ相手に自嘲気味に応えた。
自分はきっと・・・・鬼魔羅に弾き出されて此処にいるのだろう――戻りたいのだが――彼女の元へ――戻る術も、道も・・・・まるで見当がつかない。
<
霧の向こうの人物が目を細めたような気がした――士度は見知らぬ男の台詞に、眉を寄せた。
<アンタ・・・・鬼魔羅の事、知ってんのか・・・・何故、そんなことが言える・・・・?>
男が顔を巡らす気配がしたかと思うと――再び深く、賢俊の声が霧の中で木霊した。
<・・・・我等が常に・・・・その記憶と共に鬼魔羅と在るからだ――それに其方には――>
刹那、男の声が揺らめいたかと思うと――次の言霊は懐かしいと
<――“還る” 想いも、“守る”強さもあるではないか?――士度・・・・・・・>
――士度・・・・・さん・・・・・・――
<―――!?>
男の声が身の内に入り込んできた刹那、士度の背後から――
一歩、呼ばれた方へと足を踏み出した士度は――この冷たい空間には不釣合いな暖かな視線を感じ――未だ背後に深く立ち込める霧の方へ首を巡らした。
霧の中の男がスッと音も立てずに士度の左胸を人差し指で指し示す――
<鬼魔羅は既に抗うのをやめておる・・・・・・再びお前を認めたのだ>
男が指し示した箇所からいつもの鼓動が胸に蘇り――士度は確かめるように左胸に手をあてながら、脳裏に響く男の声に目を瞠った。
<―――ッ!!あんた・・・・!!>
途端、二人の間の霧がゆっくりと晴れてゆき――士度の視界に鮮やかに飛び込んできたのは、魔里人の装束、そして――霧の奥からボンヤリと見えるは確かに――
自分と、よく似た―――
<女子は泣かせるものではないと・・・・教えたはずだぞ、士度・・・・・>
士度が彼の名を紡ごうとした刹那、二人は光に飲み込まれた。
その光の中で――彼が微笑んでいたような気がした。
優しく、懐かしむように――そして深い慈愛を込めて、士度を見つめていた――
<―――
士度は叫んだ――父の呼び名を。
――行け・・・・・士度・・・・・――
<―――ッ>
士度は駆け出した――心が叫ぶ方へ。
聲が聴こえる
此処と彼方と――光射す処から・・・・・・・呼ぶ、聲が。
泣き出しそうなほど切なく、焦がれてやまない愛を囁く――聲。
自分の名を何度もその柔らかな唇にのせ――想いを――誰よりも深く、深く――惜しみなく伝えてくる、その健気な聲のもとへ。
還る為に、生きるのだろう――
ふと・・・・握っていた彼の手が軽くなった。
マドカが恐る恐る、確かめるように・・・・その手に力を込めると――力強くもあたたかく――その大きな手は細く、白魚のような手を握り返してきた。
マドカの瞳が再び涙で揺れる―――彼女の震える手が彼の貌の方へ伸ばされると、その手には柔らかなくちづけが。
コロン・・・と零れた彼女の涙を、長く武骨な指がそっと拭い取り――彼女の肩を再び震わせた。
「悪りぃ・・・・また、泣かしちまったみたいだな・・・」
彼の掠れた声に、マドカは首を打ち振り――ゆっくりと躯を起こす彼に、感極まってその身を委ねた。
「おかえりなさい・・・・・士度、さん・・・・・」
――あぁ・・・・
ただいま・・・・・――
驚くほど素直に出てきた、今まで遠かった言葉に士度は瞠目しながらも、彼女の細い躰を想いの限り抱きしめ、その香る髪に顔を埋めた。
士度の存在を確かめるように、彼女は彼の熱と匂いの中に自らを沈める。
彼女の鼓動と、鬼魔羅が脈打つ音が重なる――否、これは――
――俺の想いだ
互いの汗や、涙の熱さえも心地よく感じながら――二人は声にならない言葉を――ぬくもりと共にいつまでもいつまでも感じあっていた。
部屋の隅のロッキング・チェアに座っていたメイドは二人の様子に安堵の表情を向けると、黙って暫しの――狸寝入りに専念することにした。
Fin.
あまり唸るような病人ではなく申し訳なく・・・!(あぁ、もしかしたら病の基準をクリアしてないかも;)
それはまたいつか大怪我でもしてもらったときにでも・・・?
鬼魔羅暴走ネタを書く前から熱烈歓迎してくださったPさん、Uさんに捧げますv(返品可!)
鬼魔羅に関してはまだ謎が謎を呼ぶ状態なので・・・少し抑えめに書きましたが、
きっと鬼魔羅を宿した人々の想いと共に・・・・士度の胸で息づいているのだと思っております。
(06.11.29追記)
そしてそして…!!我が女神pome様がこのSSをお読みになった後…不意打ちに吐血士度を描いてくださいました!!(感涙)
そのあまりにも士度!!な姿にパニックになって暴走して思わず血色フィルターをかけてしまいましたが(汗;
それすらも快く受け入れてくださったどこまでも広いお心の方でございます…!尽きない感謝を捧げます!(嬉泣)
Galleryの目次からプロットとしてありがたくも繋がせていただきましたが、必見の漢前士度でございます…近道はこちらから…!→