雪遊び




チチチ・・・

コンコン・・・と小鳥がマドカの部屋の窓を叩いた。

まだ夜が明けたばかりだというのに、庭の空気が動いている気配。

朝の空気の冷たさも、いつもと少し違う・・・・。

一向に鳴り止まぬ小鳥からのモーニング・コールに覚醒を促され、
マドカは眠い目を擦りながらベッドから身を起こすと、カーディガンを羽織いながらバルコニーのガラス戸を開けた――

透き通った香りが彼女の鼻を擽った。
そしてテラスに手をかけると、ヒヤリと肌に浸透する冷たい感触。

マドカの瞳は刹那、驚くように見開かれたが、その目はすぐに細められ・・・・

彼女は小鳥にお礼を言うと、部屋に戻ってクローゼットの取っ手に手をかけた。







「士度さん・・・!起きて下さい・・・!」


バタン・・・!


この屋敷にしては珍しく派手な音を立てて扉が開いたかと思うと、
士度は完全に覚醒する前に、そのぬくもりに身を委ねていた羽毛布団を引っ剥がされた。


「・・・・!!寒ぃ・・・」


大晦日、年越しパーティーと称してHONKY TONKで蕎麦を食ったのが日付変更線が変わる前で、
かなりの酒が入ったまま音羽邸へ戻ってきたのが、たしか数時間前のはず・・・・。


「ほら、また上着を着ないでそのまま寝ているから・・・・とにかく起きて下さい・・・!お庭にでましょう?」


もう一度布団を引き寄せようとする士度の手をマドカはすかさず掴むと、立ち上がるように彼を促しながら引っ張った。


「・・・・ッこんな朝っぱらからどうした・・・・?お前、何でそんなに厚着してんだ?」


目の前にいる彼女は何枚も重ね着をした上に、橙色のコートを身につけ、首にはすでに白いマフラーまで巻いている。


「雪が・・・降ったみたいなんです。きっとお庭は真っ白ですよ・・・!ほら・・・・!」


マドカは士度の部屋のカーテンを開けると、浮き立つ声と共に窓を全開にした。


急に飛び込んできた素肌を撫でる冬の空気と、雪に反射した朝日に士度は一瞬目を顰めたが、

マドカに手招きされるがまま、彼女の隣に立った。

目の前に広がるのは、都心を珍しいくらいに白く染めた一面の銀世界。


「・・・ああ、確かに真っ白だな。犬達が喜んで庭を駆け回っている。」


どうりで寒いはずだ・・・・


上半身を晒したままの士度は、欠伸交じりの白い息を宙に吐いた。


<シド、ハヤク、オイデヨ!>


他の犬たちと戯れていたレトリバーが二階に向かって吠えてきた。


「猫さん達はきっとコタツの中で丸くなっていますね・・・!」


一方、マドカは雪の匂いを吸い込みながら、ずいぶんと気持ちが良さそうだ。


「炬燵・・・?ああ、そういえば先週、庭の物置に入れたよな・・・・」


朝夕の冷え込みが厳しいこの冬、外だけの生活は辛かろうと、マドカやメイド達の提案で、
一部の動物たちの住処となっている裏庭の物置に炬燵を二台ほど設置したのだ。
おかげで最近ライオンをはじめ猫科や寒さを嫌う小動物たちは、食事のとき以外は物置に篭りっぱなしだ。


パン、パン・・・


士度の横で手袋を叩く音がした。

見るとマドカが真っ白な手袋をはめてニコニコと士度を見上げている。


(ようするに、早く犬たちの仲間に入りたいわけか・・・・)


そんなマドカの様子に士度は苦笑しながらも、彼女の頭をクシャリと撫でた。


「一遊び、するか?」


「はい・・・!」


寒さも眠気も吹き飛ばすような元気な笑顔の彼女がそこにいた。








「士度さん・・・!えいッ・・・!」


「・・・・うわッ・・・!!オマエ、やったな、この・・・・!」


マドカが作った雪玉が士度の顔に直撃した。

士度もお返しとばかりに彼女に白いボールを投げ返す。

体に当たり、弾ける雪玉にマドカはキャア!と悲鳴を上げながらも心の底から楽しそうな微笑を絶えずその貌に浮かべ、はしゃいでいる。

二人だけの雪合戦が音羽邸の白い庭の中で延々と続き、戯れの声が他に人気が無い広い庭を明るく飾った。

犬たちは飛び交う雪玉を追って二人の間を行ったり来たり。

目が見えないマドカは、それでもどうして、なかなか抜群のコントロールで、士度の顔やら上半身やらに雪玉を的確に当てていく。

一方士度は、彼女の顔に当てないように、玉のスピードが速くなり過ぎないように、微妙なコントロールに四苦八苦。

仕舞いには犬達までマドカの味方をするように士度の足元にじゃれついてくるから・・・。


「こら、お前らまで・・・!・・・・ッテェ・・・!」


ボーダーに足を掬われて、士度が背中から雪の中に沈んだ。
その気配を察したマドカが、コロコロと笑いながら駆けて来る。


「私とワンちゃん達の勝ちですね・・・!」


マドカは弾んだ声でそう言うと、大丈夫ですか?と士度に手を差し出した。


「ああ、俺の負け・・・だ!」


「・・・!?・・・・キャ・・・!」


士度はそう言いながら彼女の手を取ると・・・・そのままその手を引き寄せ、彼女も雪の中へ沈めてしまった。

黒檀色の長い髪が白い雪の中に散り、眩いくらいによく映えた。

士度の戯れな行動に驚かされながらも、クスクスと愛らしい音を紡ぐ彼女の唇。

そんな彼女の雪肌も、薔薇色に染まった頬も、無邪気な微笑を浮かべる柔らかな丹花も・・・・。

士度に次の行動の理由を与えるのには十分すぎるものだった。


彼女を見つめ、黙ったままの彼の名をマドカが不思議そうな顔をして呼ぼうとしたそのとき――


少し冷たくなった士度の唇が、彼女の赤い花片をそっと塞いだ。


彼からの唐突なキスに、マドカの目が瞬く――


しかし、その眼はすぐに閉じられ――


味わうような深い口づけに彼女の意識は酔わされていく。


背後の新雪はどこまでも冷たく、この身を冷やしているはずなのに・・・・


口腔から伝わる熱が躰中を駆け巡り、雪の冷たさが恋しくなるほど、熱く、激しく思考を溶かす――


――今年初めてのキスが、こんなにも熱い雪の中でなんて・・・・忘れられない――


そんな新しい想い出に彼女の胸の鼓動はさらに高鳴り、柔らかく絡んでくる舌の感触に泣き出したいくらいの愛しさを感じる――

それでも、ヒュッ・・・・と空気を求めるように切なげに鳴った喉の音を合図に、士度の唇が名残惜しそうにゆっくりと離れていった。


「雪が・・・・溶けちゃいますよ・・・・」


頬を染めながら恥ずかしそうにそう呟いた彼女に、それにはまだ熱が足りないだろう・・・と煽るようなことを言いながら、
士度は紅く衒ったマドカの唇をペロリと戯れに舐めると、彼女の手を取りその身を起こしてやった。



「もう、入るか?」


雪にまみれた彼女を気遣うような
そんな士度の問いに、


「もう少しだけ・・・この雪を感じていたいです・・・・」


いいですか・・・?と控えめなお願いが返ってきた。


「オマエの気が済むまでいればいい・・・」


彼女の髪や衣服に付いた雪を払いながら呟いた士度の穏やかな答えに、マドカは目を細めた。
そして、

「もう一試合、しますか?」

と足元に転がっていた残りの雪玉を手に取り、無邪気に言うのだ。


「・・・冗談だろ?」


士度は彼女の両手に納まっている大小の雪玉を見て、呆れ顔。

しかし、ふと何かを思いついたように彼女の前から踵を返すと、物置の方へと歩いていった。
そんな彼を追いかけようとする彼女に、「そこにいろ。」と短く言いながら。

わけが分からぬまま、庭の真ん中で立ち尽くすマドカの元へ、士度はすぐに戻ってきた。
途中少し寄り道をしながら。


「マドカ、手ぇ出してみてくれ。」


マドカは言われるがままに雪玉を持ったままの両手を差し出す。

すると士度は小さいほうの雪玉を彼女の手から取ると、それをそのまま大きいほうの雪玉に乗せた。

そしてその小さい雪玉に、物置にいるウサギの餌から失敬してきた人参の欠片を差込み、
その上に赤い南天の実をバランスよく二つ添えた。


「出来上がり。」


士度のその声を聞き、マドカは手袋の上からそっと、人参と南天の位置を確かめる。


「あ・・・雪だるまですね・・・・!」


マドカは顔を輝かせ、人参と南天の仄かな香りからその位置をもう一度確かめようと、
その雪人形を自らの目線と同じ位置に掲げた。


小さな人参の欠片の鼻に、柔らかな南天の実のおめめ。

きっとこの雪人形は、とても可愛い顔をしている・・・・。


マドカはその雪人形を愛しそうに見つめた。

隣にいる大きな彼が、こんなに小さく、愛らしいものを生み出してくれたことが、なんだか無性に嬉しかった。


「まあるいおめめに・・・お鼻はちょうどいい高さかしら?きっと可愛い子なんでしょう?」


そう言いながら彼の方を見上げると、とても穏やかで優しい視線を感じ、マドカの貌は自然と柔らかな綻びを帯びる。


「そうだな、マドカにそっくりだ。」


そんな彼の答えに、まぁ・・・!と驚いた素振りを見せながらも、
マドカは幸せに満ち足りた表情をして、もう一度その雪人形を覗き込んだ。



彼女のそんなホクホクとした笑顔を好ましく見つめていた士度の耳に、
二人のことを呼ぶ声が聞こえた。


「お嬢様、士度様・・・!お雑煮の用意ができました・・・・!」


いつのまにやら朝餉の時間になっていたようだ。


マドカは、はーい・・・!と返事をすると、雪人形を手のひらに載せたまま踵を返そうとした。
しかし・・・・


「マドカ、そいつを部屋の中に持っていくと、溶けちまうぞ?」


士度の言葉にマドカの足が止まり、綺麗な眉がハの字に下がった。

小さな小さな雪人形、彼の言うことは最もだ。


「・・・まぁ、午後になって日が上がれば、外に出してても溶けちまうだろうが・・・」


太陽の位置を確かめながら言った士度の台詞に、マドカはますます悲しそうな顔をした。


「でも・・・・せっかく士度さんが作ってくれたのに・・・」


もうお別れだなんて・・・・・


「また雪が降ったら、作ってやるからさ・・・・」


士度は急に萎んでしまった彼女のご機嫌を宥めるように静かにそう言うと、
なるべく雪が積もっているところにマドカを導き、木陰のそこにその雪人形をそっと置かせた。

しかしマドカはそこからなかなか立ち去ろうとはしない。

士度が彼女を励ますように、両手をその細い肩へと置いたとき――


「士度、さん・・・・」


マドカがようやく口を開いた。


「もう一つ・・・この子の隣に作ってもいいですか・・・?雪人形・・・・」


――ほんの少し、大きいものを・・・・――




そして二人はもう一度、雪玉を作り始めた。






木の枝で作った目は細くて吊目。

人参の鼻は少し高め。


「・・・・あんまり可愛くないぞ?」


その容貌に士度は思わず正直な感想を言ってしまった。


「でも・・・きっとカッコいいでしょ?これは・・・・士度さん!」


「え・・・?俺・・・か?」


士度が虚を衝かれたような顔をした。


「ええ、こっちが私なら・・・・お隣に士度さんがいれば、お庭で一人ぼっちじゃなくて、寂しくないでしょ?」


マドカは優しい眼差しをその少し大きな雪人形へ向けると、小さな雪人形の隣へそっと並べた。

寄り添う二つの雪人形は、雪に反射した朝の光にキラキラと輝いていた。


「そうだな・・・・雪人形もこうやって二人でいれば・・・・溶けた後も一つになれる。」


士度のその言葉に導かれるかのように、マドカは眩しそうにその頤を上げた。

そして差し伸べた細い手は逞しい手にしっかりと捉えられる。
マドカはフワリ・・・と宙に浮くように立つと、彼の胸にその身を寄せた。


「太陽の光を浴びて、ゆっくりと溶けて、一つになって・・・・地に吸い込まれても・・・・その下で二人はきっと一緒ですよね・・・・」


「ああ・・・そして春の息吹の糧になるんだ・・・」


少し湿った彼女の手袋を包むように、士度は背後からマドカの手を握った。

同じように冷えていても、それでも少し高い彼の体温が、かじかんだ手に心地よかった。






「次の雪の日も・・・また一緒に作りましょうね、雪人形。」


屋敷の中へ戻る途中、士度に寄り添いながらマドカは夢見るように言った。


「雪合戦が先じゃないのか?」


茶化すように士度が言う。


マドカは少し唇を尖らせた。


「ええ!そうですとも・・・・!そして今度も私が勝った後、ゆっくり雪人形を作りましょうね・・・!」


彼女の勝気な言葉に、士度がクククと小さく笑った。


「ああ・・・オマエが望むならいくつでも作ってやるさ。」


「二つでいいんです・・・!今は・・・・」


マドカが顔を赤らめながら小さく付け足した最後の言葉に、士度は首をかしげる。


「今は?」


――どーゆー意味だ?――


マドカのコートを脱がしてやりながら不思議そうな顔をする彼の雰囲気に、彼女の頬はまた少し上気する。


「い、いいんです、今は二つで・・・!行きましょう?お雑煮、冷めちゃいますよ・・・!」


初雪が煌く庭を背にして、マドカは士度をダイニング・ルームへと促した。


士度は去り際にもう一度庭の方へ視線を流し、一人密かにその目を細めた。





広い庭の大きな木の下には、二つの雪人形が涼しげに寄り添っていた。



庭が白く染まるたびに現れるこの雪人形たちに家族が増えるのは、


もう少し先のお話。








Fin.




あけましておめでとうございます。

リハビリも兼ねて、2006年初書きSSでございます。
(GB2006年版カレンダーの、“あの”ツーショットのイメージして・・・)

今年も士度×マドカがホットな一年になりますように・・・!







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