innocent voice



<ティエリア、ティエリア!>

「……気安く呼ぶな。」

少し高めの機械音にコードネームを呼ばれた彼は、デッキの奥から足元に転がってきたオレンジ色のAIを見下ろし眉を顰めた。
見下ろされた当の本人(?)は決して愉快な顔をしていないティエリアを見上げながら、耳のような部分を刹那パタつかせその朱色の小さな目を不思議そうに点滅させる――

「……………」


ティエリアは眼鏡の奥の瞳をもう一度眇めると、その視線を今はコンテナに横たわるヴァーチェに戻した――オレンジ色のAIは相手に無視をされながらも相変わらず彼の足元で左右にユラユラと転がっている――暢気なものだ。

「……………」

真柱の一件におけるアレルヤの命令違反に始まり、今まで問題視していた刹那がミッション中にコクピットを開けて身を晒すという前代未聞の愚行をとうとうやらかした――浜辺で彼に銃を向けた自分の気持ちに嘘はない――刹那・F・セイエイに向けて本当に引鉄を引く、そんな時が遅かれ早かれ来ようとも、今の自分は驚きもしないだろう――そんな殺伐とした状況の中で同時多発テロの情報が入り、売り言葉に買い言葉、今まで無難にマイスターの務めを果たしていたロックオンまでもが自身の心の揺らめきを吐き出した。

(………まったくどいつもこいつも……)


本当にどいつもこいつも――ヴェーダの計画を真に実行しうる心の強さを持ち合わせていない。ヴェーダの計画は完璧だ――我々が、マイスターズが……このガンダムを駆り、ヴェーダの計画に違うことがなくミッションをこなしていけば、ソレスタルビーイングの目指すべき世界に辿り着けるはずなのに……――このままだとミッションに最適だと厳選されたはずである要のマイスターズが、その内なる弱さ故にヴェーダが導す道から逸れて計画を崩壊させる恐れが無いとは言い切れなくなってきた……。


(これが人間の、脆さなのか……)


いつもはほぼ的確完璧に戦術予報をしマイスターズやクルーに指示を出すミス・スメラギの近頃の憂いの表情も、ヴェーダの計画に多かれ少なかれ疑問を持っているからだろうとティエリアは推測する――戦争の根絶――この途方も無い計画の実現とそれに至る過程に課される任務の実行に弛まぬ思いとともに向かい合うには、自律と自制と鋼の心が必要だ――マイスターズやクルー達はそれを承知の上でイオリア・シュヘンベルグの意思を継いだはずなのに、行動を共にしている者達の間から時折漂う不確かな迷昧の気配にティエリアが苛立つようになったのも、計画が実働の段階に入ってから久しくは無い時分からだ。今日の浜辺での一件からしても、今の自分達に足りないものは明白だ――ヴェーダの計画を歪ませないためにも、機械のように正確で感情に流されない……――

「……………」


ティエリアが眉間にますます皺を寄せ唇を噛んだその瞬間――彼の足元でコロコロと揺れていたAIがその丸い耳をピンと上げ、まるで心配でもするかのように朱い目をチカチカ瞬かせた――ティエリアは不意に気づいたようにそのAIを見つめた――浜辺のときも、今だって……このAIは機械のくせに、“ヒト”の感情に敏感らしい。発する音声も所詮は機械音声、強弱緩急が大してあるわけでもなく、中に入っている知識は膨大だろうがいつも同じ表情をしていて、光る目の瞬きの速度が時折変わる程度の跳んで跳ねるボール型……加えて言うならばプトレマイオスにはこの型のAIがカラフルに複数存在するが、特にこのオレンジの奴は射撃に了得している機体であるデュナメスのバックアップを担当し、四六時中ロックオン・ストラトスと一緒に居るAIで……普段は飄々としているあのロックオンと常日頃一緒にいるせいで自己学習能力が発達しているのか、先に上げた特徴のボール型AIのくせに、他の汎用AIよりも“性格”というものが顕著に現れているようだ――緊張状態にある“ヒト”同士の間に入ってそれを宥める言葉を発するAIなど、他にあまり聞いたことがない――しかしそもそもどうしてこのAIはミッション以外の時間もあのロックオン・ストラトスと一緒に居る必要があるのだ――?ミッション・プログラムなら予めAIにプログラミングしておけば済むことだし、デュナメスをはじめガンダムのメンテナンスに関する予定や必要性も自動的に情報がこのAIに送信されているはずだ。後は日頃の訓練とAI自体の調整のときに必要なくらいで……それなのに、ロックオン・ストラトスはこのオレンジ色のAIと、ことにミッション中やトレミー内では寝食やプライベートの時間もほとんどを共に過ごしていて、さらには“ヒト”に話しかけるのと同じ口調でごく自然に――このAIに対しても他愛のないお喋りから行動中の命令に至るまで“機械扱いをしていない”風にすら思える接し方をしている。そんな“異常な”扱いをしているから、このAIはこんな風に……


<ティエリア、オコッテル?オコッテル?>


「………怒ってなどいない。」


そんな“人間のように”感情で暴発するような思考は持ち合わせない――命令や計画に支障をきたす連中に対して腹立たしいだけだ――

ティエリアはハロに向かって静かに、無表情に言葉を落とすと、コンテナ内で青緑に光っているデジタル時計に視線を流した――情報を整理し、もうそろそろ明日のミッションに備えて休息をとらねばならない時分で、夜の黙がより一層濃く、無機質なコンテナ内を満たしていた。
ティエリアは無重力ではない地上の重さを煩わしく思いながら踵を返し、自室へと続く廊下へ足を向けた――するとオレンジ色のAIがポンポンと軽やかに跳ねながらついてこようとする――何だって今日に限って……!――蹴飛ばして廊下の外へ出してやろうかと一瞬思ったが、彼は直ぐにその考えを消去した――万が一にでもコイツが壊れでもしてデュナメスのサポートやガンダムのメンテナンスに支障がでたら、それこそミッションの障害になってしまう――しかしコイツの“飼い主”であるロックオンは今何処に……――
とりあえず、コンテナデッキの奥にある休憩室にでも閉じ込めておけばそのうちロックオン・ストラトスが探しにくるだろう――そんなことを想いながらティエリアがハロを両手で持ち上げたとき――

<ティエリア、ナカヨク、ナカヨク!>

「………!?」


何を言っているのだ、コイツは……――


恐らくは過去の事象を持ち出して、自分に向かって機械音を発したオレンジ色のAIをティエリアは目を瞠り点滅したその朱色の目を見つめた――“ナカヨク”……?――馴れ合いなど、マイスターズには必要のないものだ……――必要なのは、ヴェーダの計画に応えるべき意思と能力……――それはソレスタルビーイングの管轄化にある機械なら理路整然と弾き出せるカリキュレーションの結果で……――


「お〜い、ハロォ!何処だぁ?……ちょっとでも潮に浸かったんだから動作テストしとかねぇと……」

「―――!?」

<ロックオン!ロックオン!>


浜辺から戻ってきたのであろうか――ガンダムが収納されているコンテナの一階部分の出入り口から唐突に飛び込んできたロックオンのよく通る声がその暝い空間に木霊するやいなや、ハロはティエリアの手から飛び出し耳をパタつかせながら、まるで愛犬が飼い主の元へ駆けていくように、彼のもとへと飛んで行った――


お!お前、何処にいたんだ……?さっきは悪かったな……――


下から聞こえてくる、ロックオンの声――何があったのか知らないが、機械にわざわざ謝るなんて、やはり彼もどこか変わっている……――廊下に一歩下がることで、階下にいる彼からは死角の位置に立ったティエリアは、上から飛んできたハロをキャッチするロックオンを見下ろしながら呆れたようにそう思う――すると床に下ろされたオレンジ色のAIは、嬉しそうにピョンピョン跳ねながら機械音を発した――

<ロックオン、ティエリア、ナカヨク、ナカヨク!>

「………!?」「………!!」


ロックオンも一瞬、目を瞠ったようだった――しかし件のAIから思いがけず自分の名前が再び飛び出し驚くティエリアとは対照的に、緑の瞳を瞠った彼は次の刹那、少し困ったように苦笑した――


「だよなぁ……心配かけたよな……でも大丈夫だぜ?俺も、ティエリアもガンダムマイスターだからな……」

ああやってぶつかっても、お互いにすべきこと、向かう処、ちゃんとわかってるさ……――


「……………」

暗闇の中で彼の言葉に反応するハロの瞳の色を見つめながら、ティエリアは心のどこかで安堵していた――やはり、ロックオン・ストラトスは――他の二人のマイスターとは違い、ガンダムマイスターとしての自覚というものを真摯に受け止め、自分のものにしているのだ――
ティエリアは自分の頭を悩ます原因が一つ消えたことへの微かな満足感と共に、今度こそ自室に戻ろうとクルリと彼らに背を向けた――……それに機械は……“心配”などしないぞ、ロックオン・ストラトス……――そうティエリアが目を伏せたとき、彼の耳に届いたのは深く真摯な彼の人の声。


「……でも、な。俺やティエリアだって、今日みたいに頭に血ぃ上っちまうことあるさ……やっぱり“人間”なんだしよ――」


「………!!」


フラリと――ティエリアの足元が微かにグラついた――

まさか……気づいていないのか……?――

いや、そんなはずはない……“俺”はヴェーダと……――

けれど……彼は……――
ロックオン・ストラトスは“私”のことを“ヒト”だと……?――


奇妙な違和感がティエリアを襲う――……にしても、お前、どっか具合が悪いところとか無いのか?――ハロに話しかけるロックオンの少し低い声がやけに遠くに聴こえるなか、ティエリアは思考をザラリと撫でた彼の言葉を無意識に引き摺りながら、ますます重く感じる重力を背に一歩、また一歩と自室を目指した――

<ロックオン、ロックオン!!>

――あぁ、砂に塗れたもんな……。ちゃんとワックスかけて、綺麗にしてやるよ……


オレンジ色のAIが跳ねる音、ロックオンがデッキへと続く階段を上がる音が聴こえる――AIの機械音声がどこか嬉しそうに聴こえるのはきっと気のせいだ――機械音声は機械音声――機械に感情は不釣合いだ――“ヒト”の容を模して造られた“僕”は時折そんなモノに煩わされたりするのだが……――

自室の電子ドアを開けるや否や彼はベッドへ身を投げ、自身の思考をシャットダウンした――心の揺れはイレギュラーだ……――“ヒト”でいう“眠る”という行為をすれば明日の朝までにはこの妙な浮遊感も、“リスタート”されて………――……………――





しかし数ヶ月後――そのAIの、その機械音声の、その同じ音の羅列に――

ティエリアは生を受けて初めて――友を失う哀しみと絶望と後悔の坩堝に身を灼かれ涙することになる――

そして“彼”を守れなかった――失ってしまった――抑えきれない怒りと慟哭の衝動で“仲間”に声を荒げる自分を、その感情を――このときのティエリアはまだ知る由もなかった――


Fin.



次回
"sugar & spice ” フェルト、ハロ、ロックオン+α