憂い顔


草木も眠る丑三つ時。

士度は自室の窓辺に腰を降ろし、一人杯を傾けていた。

目が覚めるように煌々と輝く十五夜の月が

夜風にはためく白いカーテンに士度の整った体躯を映し出す。

火照っていた身体は、冷えた秋風によってとっくに冷やされていた。

ここの夜空は少しくすんでいるが、

この月の煌きはあの頃と変わらない。

月下に宴を張り、詩歌を詠じ、季節の物を盛り、神酒を供え−

里での月の祭のことが士度の脳裏に浮かぶ。

やっぱりあの頃の俺たちはまだガキで、

静かに、ゆったりと催されている祭が退屈でしかたがなくて、

亜紋 と劉邦と一緒になって団子やら枝豆やら栗やらを祭の席から掠めて−

まだ小さかった薫流も、俺らの後をこっそりとついてきてたよな。

そしてススキが揺れる河原で、子供だけの宴を開いた。

その頃はもう、鬼里人との確執は激化を辿るばかりだったが

それでも、あの一刻は輝いていた−

亜紋 の弾む声が聞こえる…


−士度、もっと笑ってよ−


−あいつにはよくそう言われたな−

劉邦は神酒を一本くすねてきて、

一人ほろ酔い加減で日頃の修行の愚痴を零していた。

祭の席に戻ったとき、奴の酔いはまだ醒めていなくて

大人たちから大目玉を食らっていたっけ。

薫流はいつも黙って俺と劉邦の間に座っていた。

そして、三人の兄貴分のやることを逐一観察していたな…。

亜紋 は俺と同じように滅多に笑わない薫流を笑わそうと

躍起になっていたし、

俺は薫流に乞われるまま、よくいろんなことを教えてやった。

草笛の吹き方、木の実の取り方、薬草の種類、こんな夜に狐を呼ぶ方法…

俺たちは−

お互いの村のことを話したり、動物たちから得た知識を披露しあったり、

新しい技を試してみたり、くだらないお喋りをしたり−

夜だということを忘れさせてくれるような月明かりの下、

いつまでもいつまでも、

そんなことをして戯れ合っていた。

それぞれの村の長たちの朋友が

遠吠えで俺たちを呼ぶ、その時まで。

帰り道、疲れた薫流を背負うのはいつも劉邦の役目だった。

亜紋 は必ず先頭を切って駆けていた−

そして振り返り、次に会う時はとびっきりの新ネタを披露してやるとかなんとか言っていた。

−期待してねーよ−と答える俺と劉邦、それに反論する亜紋 の甲高い声、

劉邦の背中からやがて聞こえてくる、薫流の寝息…。



−もう、あの頃には戻れない−

魔里人の里は破壊され、生き残った僅かな者たちも

散り散りになり、今やひっそりと野山に暮らす−

薫流と劉邦もそれぞれ住処を変え、自然の一部となるべく生きている。

…亜紋 、オマエはここに−

俺の胸の中で脈打っている−

見えるか、亜紋 ?

あの月の輝きは−まるでオマエの笑顔そのものだよ−

そして俺は−

守りたいと思う女の傍にいつまでも居たいと思いながら、

いつか、あの頃の暮らしに還る自分を心の何処かで飼っているんだ…。

そんな俺を、笑ってくれ−亜紋 …



士度はうな垂れて、立てている肩膝に額をつけた。

今日の俺はどうかしている−

そう思いながらも、どうしようもない愁いが士度の心の中で渦巻き続けた。


「士、度…さん…」


不意に衣擦れの音がしたかと思うと、

数歩先のベッドで寝ていたマドカがいつの間にか起きていて、

ベッドの前で立ち尽くしていた。

彼女が目覚め、立ち上がる気配にすら気がつかなかった自分に、

士度は改めて自嘲の笑みを漏らした。

そして、彼女の顔が月明かりに照らされた−

−その表情は、悲しみを孕んでいた。

見えない彼女の瞳の奥には、不安が潜んでいる。

唇は僅かに震え、手は祈るように胸元で組まれていた。


「・・・どうして、オマエがそんな顔するんだよ…。」


「だって・・・士度さんが…」


言葉を紡ぎ終える前に、マドカは士度の胸元に飛び込んできた。

彼女の急な行動に、それでも士度は彼女を抱きとめたが、

手からは空になった杯が零れ落ち

コンっと音を立ててテラスに転がった。

彼女の行動の意味がが分からず、

士度はマドカの肩に手をかけて表情を伺おうとした−

すると、士度の背に腕を廻しその胸元に顔を埋めるマドカの

祈るような声が士度の耳に届いた−


<お願い、彼を連れて行かないで−>


士度さんを連れて行かないで−


その言葉に士度は驚愕した−

自分の不安定な心の内が、彼女に伝わったのか−?

それとも−

彼女にしか“見えない”何かが、作用したのか−


士度はマドカの顎を捉え、ゆっくりと顔を上げさせた。

マドカの目からはとめどなく涙が溢れ、

その筋は月の光を浴びて輝いていた。


「すまなかった・・・」


その涙に激しい罪悪感を感じて、

濡れた彼女の頬を優しく撫でながら士度は謝罪の言葉を口にした。

すると、マドカの目は驚いたように大きく見開かれ、

嫌々をするように首を激しく横に振ると、

思いがけず士度の首に抱きついてきて、

その低く言葉を紡いだ唇に自分の唇をあてた。

未だかつてないマドカのそんな行動に少し驚きながらも、

士度は彼女を抱きしめる腕に力を込めて、それに答えた。

最初は唇が触れ合うだけの軽いキスを…。

合間、彼女の頭を支える右手をスッと動かし、

性感帯の一部でもある彼女の右耳を優しく犯す。

ピクリ、とマドカの細い身体が揺れた瞬間、

士度は並びの良いマドカの歯列を、舌で割った。


「・・・んっ!」


深く差し入れ、難なくマドカのそれを探し出すと

絡めながら強く吸う。

マドカもおずおずと拙く、それでいて可愛らしく舌を動かした。

口蓋を掠る様にくすぐると、

士度の右腕にに添えていたマドカの左手が

ビクリと反応し、薄い士度の部屋着を握り締める。

ピチャリ、とお互いの唾液が混ざり合う音が

他に誰も居ない部屋を満たした。

まるで言い訳のように、士度は彼女が求める分だけ

唇に甘い疼きを与えた。



マドカの涙は止まらない−

彼女は士度に縋り付いたまま離れようとはしなかった。

涙の理由を聞いても、マドカはただただ首を横に振るだけ。

冷たい秋風から彼女を守るように両の腕に抱き、

窓の縁に腰掛けながら士度は途方に暮れていた。

そして助けを求めるように、月を見上げた。

すると−


−それでいいんだよ・・・−


どこからともなく、あの軽やかな声が聞こえてきた。


−君が彼女と歩む道が、きっとまた僕たちの新たな“目覚め”を生むんだ−


−オマエはそう思うのか・・・−


そうであればいい、と士度は思う。

いつしか、彼女が士度の中の魔里人としての核に触れたとき、

そしてそれを受け止めてくれるときこそ、

その“目覚め”の刻が訪れるような気が士度の中で漠然とある。

きっとそれはまだ先のことだろうけれど…


「・・・マドカ」


士度はその名前に愛しさを込めて呼びかけた。

パッとマドカの顔が上がる。

泣き腫らした目が、彼の気配を探るように揺れている。


「大丈夫だ・・・」


耳元でそう囁くと、士度は再び彼女を強く抱きしめた。


−きっと、大丈夫−


マドカは、そんな士度の言動に再び不安を覚える。

そして彼の背中越しに、太陽のような月を“見た”。

夜を貫く波動が、マドカの脳裏に直接流れてきた。


−きっと、この月のせい…−


−彼の気持ちが流れてくるのも、私がこんなに不安になるのも。


−彼は、渡さない−


そして私がこんな風に思うのも。


憂いに押し流されるように

やがて絡み合う二人の恋人たちを

月だけが笑って照らし出していた。



 Fin.


              ススキの花言葉:心が通じる・勢力・生命力・憂い

                 再び温くてスミマセン…;
                 情緒不安定な二人を書いてみたくて。
                 ちょこっとしか出てきませんでしたが、
                 士度が酒を飲むシーンはまたやってみたいところです。
                 士度と魔里人(亜紋 ・薫流・劉邦)話は管理人的にかなりツボなのですよ…。
                 書いていて楽しいです♪