魔里人今昔物語 〜血雨〜




青年は
やしろの階段を駆け上がった。

途中振り返り、その高台から見渡すと、村のあらゆる処で火の手が上がり、村の中心では辛うじて生き延びた戦士達が
おさの元へ身体を引きずりながらも集う光景が見えた。

青年はその景色に眉を顰めると、残りの階段を上り、閉ざされた社の戸を乱暴に開けた。
事後の
えた臭いと、血の匂いが彼の鼻に飛び込んできた。

床には一人のものではない量の血飛沫が赤黒くこびりつき、
血塗られた神聖なる部屋の中央では女が一人、横たわっていた。

この社の主である一族の巫女。

その衣服は切り裂かれ、血に
まみれ――


「――!!おい・・・!!」


思わず発せられた青年の声に、その手がピクリと動いたような気配がした。
彼は彼女に駆け寄った、しかし――その姿の凄惨さに息を呑む。

足は砕かれ、手と躰は刃傷で紅く濡れ、頭蓋から流れ出る血に顔は半分染まっていた。

そして腹部には大きく裂かれた痕が――

女の眼が青年を捉え、僅かに細まった。

青年は黙って彼女の傍らに腰を下ろした。


「・・・見苦しい姿を・・・・お目に掛けることを・・・・・・」


――お許し下さい・・・・――


傷が痛むのか、女は瞼を震わせながら苦しい息の中呟いた。


――気にするな・・・・――


青年は抑揚のない声でそう言うと、彼女の顔を染めている血を、自らの袖で拭ってやる。
そして腰につけてある布袋から小さな薬の包みと水筒を取り出した。

女の眼が見開かれた。


「・・・痛みを止める薬だ。飲め。」


辛うじて上がる女の手が、弱弱しくそれを拒絶した。

死に逝く自分には最早必要がないもの・・・・それは目の前の彼こそが、これからの
戦場いくさばに要するものだ。

青年は抵抗する女の手を払いのけると、自ら薬と水を口に含み、徐に彼女の顎を捉え
口移しで半ば無理矢理その薬を嚥下させた。


―― この女は助からない ――


それは彼女の躰に刻まれた無数の深い傷と、流れ出た血の量を見れば分かること。

しかし

――痛みの中で彼女を死なせるのは余りにも忍びない――


彼の心の奥底にあるそんな心理が取らせた、
無意識の行動だった。



青年の行動と喉を通る薬の感触に

女の目から涙が零れた。


「・・・・じきに痛みが止まる。」


唇を離すと青年はそう言いながら彼女の雫を拭ってやり、
室内の片隅にあった掛布を、彼女の露になっていた躰に掛けてやった。


「村の・・・人々は・・・・」


女の掠れた声が青年の耳に届いた。


「女子供と年寄りは・・・安全な場所へ逃がした。・・・何故お前も来なかった?」


身を砕かれ、陵辱されようとする中でも、彼女は必死に抵抗したのだろう、
血糊が着いた小太刀が青年の目に酷く映った。


――この村の為に最後まで祈りを捧げるのが、私のお役目・・・・――


青年の言葉に女は緩く微笑みながらそう答えた。


「・・・・次の一波で、この村は堕ちる。だが俺たちは、滅びない。」


――お前の祈りは通じる・・・・――


変わらぬ表情のまま、青年は自身に言い聞かせるように、淡々と述べた。
女は優しい眼差しで青年を見つめていた。


「鬼の里の者たちは・・・・業に心を蝕まれているが故・・・・祈りに怯えておりました・・・・」


だから巫女を穢しさえすれば、その祈りが絶ち消えるとでもいうのか――!


青年の脳裏に浮かんだ、この場の残虐卑劣な行為に彼は唇を噛んだ。

奴らは・・・・いくら業に屈したとは言え――力を持たない女にまでも刃を立て、嬲り者にする――そんな堕ちた奴らなのか。

そんな奴らが本当に――元は我らと一つであった民なのか・・・・?


「ああ――今宵は、ほんに・・・・冷えますなあ・・・・」


女は震える手を青年の方へ伸ばした。

まだ陽は高い。

社の小窓からも光が射し込んでいる。

そして
咽返むせかえるような熱を発している真夏の午後だ――


青年は彼女の手を取りながら黙ってその上身を起こしてやると――そっとその痩躯を抱き寄せた。

女の身体は氷のように冷たく、その目はすでに見えていないようであった。


「何か・・・・望むことはあるか。」


青年の胸に身を凭せ掛けながら安堵の溜息を吐く女に、彼は問うた。

誰かに伝えたい言葉などかあれば・・・・
ことづけぐらいはできると。


「それでしたら、最後の我侭を・・・・・」


女はクスリ、と小さく微笑みながら青年を見上げた。


「私の名を・・・呼んでくださいますか・・・・貴方様の声で・・・」


青年は瞠目した。

巫女の名は神聖――その名を呼ぶことは禁忌とされていた。

生まれる前から巫女となるべき宿命を帯びていた彼女は名こそ持っていたが――親兄弟からもその名を呼ばれることは無かった。
彼女の名は常に文字として、共にあった。


「その言霊を持って・・・・私は・・・・」



「― ― ―」



青年の唇が低い声を伴って彼女の名を紡いだ。


女の蒼白い頬に、涙が伝った。


彼の声がもう一度、その名を発した。


囁くように、疾うに感覚の無くなった痩躯を抱く手に力を込めて。

震える吐息が、女の唇から漏れた。



「士度、様・・・・・貴方は本当に・・・・・」



――
あたたかい・・・・――



青年の手から女の手が滑り落ち、パタリ・・・と床に小さく音を立てた。


硝煙と火薬の臭いと――静かな蝉の声が――青年の本能に警笛を鳴らしていたが――



彼は、動かなかった。



彼女は目を瞑り――とても安らかな顔をしていた。


女の顔を見つめる青年の瞳には、涙は無かった。


彼は血で張り付いた女の髪を、ゆっくりと梳いて整えてやった。



誰かが社に火を放った。


蟲達がざわめく音がする。


青年は女をそっと横たえ、胸元で腕を組ませると、立ち上がった。



「これが・・・お前が視た未来か・・・・?」



青年の問いかけに、彼女が微かに微笑んだような気がした。



炎が迫る。



――そして貴方は・・・――



――生きて・・・・――



いつか女が紡いだ願いが、青年の内側に響いてきた。



青年は踵を返した。



そして赤く燃え盛る扉を破り、外へ出る。




最初に目の前に広がるのは、雲ひとつ無い蒼い
そら



そして業に身を染めた者たちの無数の刃が青年目掛けて突き進んでくる。




戦士の咆哮が天高く木霊した。




彼は女の血で染まった手を拳に変え、焼き尽くされた灰色の地に新たなる紅をもたらした。





紺碧の空に血の雨は降り続ける――青年の慟哭の代わりに断末魔が森を揺らした。







闇と光が出逢う気配を、彼はまだ感じられずにいた。









Fin.












Web拍手で公開中の御礼SS「魔里人今昔物語」其の一・其の四・其の五関連話でした。(これで一応ひと段落・・・かしら)
合わせてご覧いただけると幸いです。
士度の魔里人時代にはこんな辛い経験もあったのでは・・・?と思い、このシリーズを繋げてみました。
(時列的には其の四→其の一→「血雨」→其の五になりますが、Web拍手の順番→「血雨」でもご理解頂けるかと思います)
「血雨」は内容が内容だけに月窟に掲載することに相成りました。
*Web拍手の御礼SSは06.3.14から表でも公開中です*
ご感想など頂けると励みになります・・・!