「ねぇ、モーツァルト……内緒よ?」

ごめんね、でもちょっとだけ練習台になってね?

クゥン……とお座りをしながら彼女の目の前で首をかしげるモーツァルトの目線に合わせて彼女も座り、
愛犬をそっと抱きしめた。


良く晴れた都心の午後――今日のマドカは音羽邸の広い庭に一人。
気配を探ってみても彼は居ない――士度は出掛けているようだった。


彼女は広い庭の中央に愛犬を座らせると、

最近、時には眠れないほど考えていることを――例えば、

彼のことをもっと知りたい、彼ともっとお話したい、彼にもっと傍に……居て欲しい……。

日増しにつのる切ない想いを、短い言葉にして愛犬の耳に囁いてみた。


“好きです――士度さん”


たった八語のその言葉で、マドカの心臓の鼓動が急に早くなり、その愛らしい顔は火照り――
そう、呟いた言ノ葉も心と同じように愛に震えていた――

そんな自分に戸惑うマドカの声にモーツァルトは擽ったそうに耳をフルリと振ると、
彼女の頬をペロリと舐めて、

<ボクモオナジダヨ!>

まるでそう言っているかのように、フサフサしたシッポをパタパタと振っている。


「ね、内緒よ?」


士度のように動物の言葉が分からないマドカは、甘えてくるモーツァルトをもう一度抱きしめながら
自分に嘘を吐いた。
この言葉を彼に今、伝えるには――きっと自分たちの心の距離はまだ近くはなくて、
出会ってからまだ数週間しか経っていないし……
彼はちゃんと大人だけど、自分はまだ彼にとっては年端もいかない少女なのかもしれない――
それにもしかしたら――自分と居るより、彼は動物たちと居る方が楽なのかもしれない。

それに何より、大切な想いを愛犬相手に言葉にするだけで――壊れてしまいそうな今の自分では……
彼を目の前にして告げるなんて、到底できそうにもない。

しかしマドカは自分の本心を誰よりも知っていた――
互いに確認し合わずとも、もしそうなれば、彼との距離も縮まるかもしれない――
もっと彼のことを知って、お話をして、私のことも話して――そして、そして……
そうしたら、彼は
音羽邸ココ)にもずっと居てくれるかもしれない……。


(お願い、士度さん……)



私の心に気づいて



庭の奥にある高い木の太い枝の上で独り日向を楽しんでいた士度は、
テラスからマドカがモーツァルトと共に出てくるのを見て、
自分の気配を木々に溶け込ませるようにして、消した。

自分を見つけるたびに話しかけてくれる彼女――しかし毎度それでは彼女も疲れるだろう、といった彼なりの配慮だった。

そして顔を再び青空の方へ戻し眼を瞑る――今日の日の光は気持ちいい……

どのくらいそうしていただろうか―― 一羽の雀が士度の胸元に舞い降りた。
チュンチュンと愛らしい声を出しながら士度の顔の方へ近づいてきたので、
彼は武骨ながらも長い人差し指を差出し、お喋りをしたがっている彼に暫し付き合ってやることにした。


<マドカ、ガ>


その言葉に士度がチラリと彼女が居た方をみると、彼女はモーツァルトと共に再び屋敷の中に消えていくところだった。


<シドノコト、スキッテ、イッテタヨ!>


得意そうに胸を張りながらそう伝えてきた雀の言葉に、士度は一瞬、その細い眼を丸くしたが――しかし数回瞬きしたあと、
その口元にどこか困ったような笑みが浮かんだ。


「なぁ、お前……米とか食いもん好きか?」

<スキダヨ!>


「じゃあ兄弟や群れの仲間は?」

<スキダヨ!>


「天気がいい日は?」

<スキダヨ!>


「俺と話すことは?」

<スキダヨ!>


「……お前の
つがい)は?」

<ダイスキダヨ!>


「じゃあ、マドカが言った“スキ”って、どの“スキ”なんだろうな?」


<……ウーン、ドレカナ……ワカンナイヤ……>


小首を左右に何度も傾げながらの雀の答えに、士度は眼を細めながら彼の頭を掻いてやる。


<マドカニ、キイテクル?>


「……いや、マドカにはお前らの言葉、わかんねーよ……」


<ジャア、シドガキク?>


「それも、やめとこう――」


ナンデ?―――そんな表情を向けてくる雀の首を優しく掻いてやることで、士度はその話を逸らした。

やがてその雀は仲間たちに呼ばれてたので、チュン!と士度に元気よく挨拶するとパタパタと飛び立っていった――


「スキ……か……」


士度の視線は再び、緑の葉の向こう側にある青空へと向けられた。

ジブンタチハ、イツマデ、ココニ………居られるかどうか分からない。

音羽邸ココ)は良い場所だ。東京のど真ん中だっていうのに、花も木も土もある――動物たちも、この広い庭に馴染んでいる。
いる人間は良い奴らばかりだ。

けれど、けれど―――




「スキダゼ、マドカ………」




士度はただ小さく、唇で音だけを紡いだ。

言霊は、のせない――真実になったらアイツを困らせることになるから。

どのスキかも知らない――知ってはいけない――己の決意が鈍るから。



クッ…と士度の口から思わず苦笑が漏れた。
こんなことを考えちまうなんて、なんて平和な日々だろう――
自分はまだ――いつ危険が降りかかっても仕方がない状態にあるというのに。

忘れかけていた気持ちに知らない振りをすることで、
士度は考えるのを止め、眼を瞑り、陽に身を委ね、午睡に入った――


明日は裏でも表でも、仕事を探しに行こう。


このままじゃ平和すぎて―――死んでしまいそうだ………。



Fin.



後編的お話→100題45『居場所』(2012.3.10一部改訂)もぜひどうぞv
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