my one & only....



湯浴みを済ましナイトガウンに身を包み自室に戻ってきた彼女は、
扉を開けた瞬間襲ってきた咽返るような花々の匂いに軽い眩暈を感じた。
マドカがバスルームにいる間に、彼女が今日、
誕生日プレゼントとして貰ってきた花束を全てメイドが活けてくれたらしい。

マドカは小さな溜息きながら窓辺へ近づくと、すでに施錠が済んでいたバルコニーの窓を開けた。
冬が近い冷たい夜風が彼女の頬を掠め、月夜に煌く白いカーテンにも挨拶をした。
そしてその風は花の香りを夜空へと運んでいく。

マドカは夜の
しじまに耳を澄ませた。

庭にいる子猫が、夜の冷えた空気に小さなクシャミをした。
今羽ばたいたのはきっと、いつも屋敷の屋根で眼を光らせている大鷹。
花の匂いをのせた風が、今は眠りについている樹木を揺らした。
そして街灯が微かに立てる音と、動物たちの寝息――


彼の人の聞きなれた足音は、一向に聴こえてこなかった。


彼女はその容貌に刹那、憂いの表情を浮かべると、
カーテンといつまでも遊び続けている風に微かに鳴る窓を開け放したまま、その軽い身体をベッドへ投げた。
スプリングが利いた柔らかなベッドの上から時計の方へ手を伸ばすと、
指先に何か柔らかいものが触れる。
あぁ、このテディ・ベアをくれた人は誰だっけ?

マドカは時計に触れる前にその熊を抱き上げた。
ふかふかと柔らかなお腹を押すと

<HAPPY BIRTHDAY!!>

高い道化声が、一人だけの部屋に響いた。

今日、何度も耳にした台詞だ。
たまたま誕生日と重なってしまったコンサートの、競演したオーケストラの面々は、
本番が終わった後、サプライズ・パーティーまで用意してくれていた。

それこそたくさんの花束と、プレゼントと、「お誕生日、おめでとう…!」という言葉を惜しみなく与えてくれて。
他の音楽仲間も大勢駆けつけてくれて、笑顔と音に溢れた盛大なパーティーだった。
そんな仲間たちからの祝福と心遣いは、涙がでるくらい嬉しかった…。
彼らとの語らいも、仕事抜きでの即興の共演も、美味しいお食事も…どれも純粋に楽しめたし、時間はあっという間に過ぎていった。
コンサートも大成功だったし、パーティーも大いに盛り上がったし…いつになく、とても満ち足りた誕生日。


――今までなら、単純にそう思えたはずなのに。――


笑顔の裏に寂しさを、踊るメロディーの中に恋しさを…


―― そう、彼の気配がしないから ――


マドカはそれらを心の小箱に押し込めたまま帰ってきたのだ。
彼女はテディ・ベアの手を戯れに使って、ナイトテーブルの上にある時計のボタンを押した。

<ゴゴ、ジュウイチジ、サンジュウイップン、デス。>

無機質な機械音声が刻を告げた。

カタン…と音を立てて、マドカの心の小箱が開いたようだった。
どうしようもない寂しさが彼女を内側から染めていった。


(…泣かないもの。士度さんは…お仕事なんだし…)


マドカは薄い唇を噛むと、手にしていたテディ・ベアをギュッと抱きしめた。

<HAPPY BIRTHDAY!!>

能天気な声が再び静かな部屋に木霊した。


士度とは三日前の朝、会ったきりだ。
その時も彼はただ、「三日後に戻る。」――そう言っただけだった。
あとは・・・“コンサートに行けなくなって、すまない・・・・”と。

「残念ですけれど・・・お互い、お仕事ですもの。頑張りましょうね・・・!」

笑顔でそう言ったマドカの頭を、士度は「そうだな・・・」と言いながら優しく撫でてくれた。
三日後の彼女の誕生日の話題は出なかった。彼の仕事の妨げになるかもしれないと思い、彼女もまた、その話題を振らなかった。
もしかしたら、
マドカ自分の誕生日のことなど忘れているのかもしれない…そんな寂しい考えが脳裏をよぎったけれど。

それに――連絡なく一日・二日仕事が長引くことも稀にある――今日もたまたまそうなのかもしれない…。

マドカは熊のぬいぐるみを片手に、ベッドへ身を沈めた。


(このまま寝ちゃおうかしら・・・そうしたら・・・・)


――カナシイコトヲ・カンガエズニ・スムモノ・・・・――


マドカは思考を掠めた自分の言葉に、思わず目を見開いた。

そもそも
士度カレには・・・・自分はもちろん、他人の誕生日を祝うという習慣がないのだ。
そんな彼の事情を知っていながら、自分は彼に・・・・今日、傍にいてもらいたいと・・・誕生日をお祝いして貰いたいと思ってしまっている我侭。
お仕事だから・・・頭ではそう理解しているのに、心の片隅では彼に八つ当たりをしている貪欲さ。
そして・・・


一年に一度の日に
彼がココにいないということが、“哀しい”と想う・・・切なさ。


――こんな感情を私に初めてくれたのは・・・

そんなことを考えていると、不意に、香ばしいケーキの香りが彼女の鼻を掠めた。


――これ、私たちからです…!――

湯浴みをする前に、メイドたちが運んできてくれた抹茶ケーキだ。

――甘さ控えめにしておきましたので…士度様もご一緒に召し上がることができると思いますよ…?――

付き合いの長い彼女たちにはすでに、
女主人マドカが今日という日を誰と締めくくりたいのか、お見通しのようだった。

――ワインと紅茶もご用意しましたわ。蝋燭は士度様に点けてもらってくださいね?――

――お誕生日おめでとうございます、お嬢様…!――



(・・・・せっかく用意してくれたのに・・・・蝋燭を点けてくれる人は、まだ来ていないの・・・・)



マドカはもう一度、時計のボタンを押した。

<ゴゴ、ジュウイチジ、ヨンジュウロップン、デス>

彼女は時計からの返答を痛く耳に捕らえながらベッドを離れ、ティーワゴンに歩み寄った。
葉色の美味しそうな香りが鼻を擽った。
彼女は少し大きめのティーポットにつと触れる。
温もりの僅かな欠片だけが、マドカの指先に伝わってきた。


「・・・お紅茶、冷めちゃったじゃない・・・・士度、さん・・・」


マドカの唇が恋しい人の名を紡いだ刹那、それまで静かにその端を揺らしていたカーテンが大きく翻り、窓がカタリ・・・と小さく鳴った。
そして鳥が大きく羽ばたく音が――


「・・・悪かったな。」


不意に・・・心の中で反芻し続けていた愛しい声がマドカの耳を擽った。

――彼は、雲間から覗く月の光のように唐突に現われ、そのまま風のように静かにマドカの部屋に入ってきた。

あまりにも突然の出来事に瞠若したまま動けないでいるマドカを――
その風は優しく抱きしめた――外の空気は冷たいはずだったのに・・・風は温もりと緑の薫りを運んできた。
三日振りの彼の体温に触れてマドカは初めて、自分の体が冷えていたことを知った。
その優しい熱を逃がさぬよう、彼女は彼の背中を掻き抱く。
彼女の痩躯を懐かしむように撫でた大きな掌の感触がマドカの心を喜びに震わせた。
そして彼女の芳しい髪に口付けた士度の唇が、少し恥ずかしげに言の葉を紡いだ。


「誕生日…おめでとう。」


士度の胸元に顔を埋めていたマドカの漆黒の瞳が大きく見開かれ、その見えない瞳が彼を見つめた。
彼の眼が照れたように瞬く気配がした。


「・・・覚えていて・・・くれたんですね・・・」

――嬉しい・・・――


花のような微笑がマドカの貌から零れ、彼女は僅かに背伸びをした。


――お前の・・・誕生日だぜ?忘れるわけねぇだろう・・・――


そう呟いた士度の唇がマドカの薔薇色の唇を軽く啄ばんだ。
そして二人の頬に、鼻先に、額に降る、互いを慈しむかのようなバード・キス。
士度の指先がマドカ耳朶を掠めると、彼女は嬉しそうに、くすぐったそうに、クスクスと愛らしい声を上げた。

「遅くなってすまなかった・・・。」

士度は不意にマドカの手を取ると、彼女に掌に何かを握らせた。
久方ぶりの触れ合いに細められていた彼女の瞳がパチパチと瞬く。
鎖と…細工の中に丸い、小さな球体・・・ペンダント・・・?
空いた指先でその形を確認しているマドカに、士度が遠慮がちに話しかけてきた。


「俺・・・馬鹿だからよ・・・お前に何をやったらいいのか、てんで分からなかったんだ・・・」

――俺はお前から大切なものを・・・沢山貰っているのにな・・・――


そう自嘲気味に言う士度の言葉に、マドカは懸命に首を振った。


――私だってそうよ、士度さん・・・あなたは私に沢山の宝物を惜しみなく与えてくれているわ・・・――

誰かを愛おしいと思う心も、キスの柔らかさも、触れ合う肌の温もりも、そばにいないと哀しい――そんな風に想う心も。

みんなみんな、あなたに恋してから初めて知った宝物。



しっとりと指先に触れた円球から、マドカは何故だか仄かな優しさを感じた。
問いかけるような表情を士度へ向けたマドカに、彼は静かに答えた。


「真珠の、首飾りだ。古いもんで悪りぃが・・・お袋の形見でさ・・・」

「――!!士度さん・・・」


――お前に何か・・・キレイなもんをやりたかったんだが・・・街を探してみても何だかピンとこなくてさ。これくらいしか思いつかなくてよ。――
――無限城に持っていって失くすといけないと思ったから、里の方に隠していたんだ・・・取りに行ったから時間、かかっちまった――


マドカの驚きの声をよそに、士度はばつが悪そうに付け加えた。


「そんな・・・そんな大切なものを私が――」

「――大切なものだから・・・お前に持っていてもらいたいんだ。俺の、我侭なんだが・・・お前が貰ってくれれば、嬉しい。」


ペンダントを握り締めながら差し出してきたマドカの手を、士度は大きな掌でそっと包んで彼女の胸元に戻した。


――お前さえよければ、頼むよ――


祈るように呟きながら、ペンダントを握った彼女の手に口付ける士度の真摯な気配に、彼の想いにマドカの目頭は自然と熱くなった。


「士度さん・・・大事にします・・・」

――ありがとうございます・・・――


そう言うとマドカはもう一度、士度の首筋に顔を埋めた。
――今日貰ったどのプレゼントよりも・・・嬉しいです――
そう彼の耳元で囁きながら。
士度は――そうか。――と安堵したかのように肩の力を抜いた。


「これ・・・私につけて下さいますか?」


マドカは真珠のペンダントを士度に手渡すと、月夜に輝く艶髪をそっと両手で持ち上げ、白い首筋を露にした。
触れた彼女の肌の冷たさに、士度は改めて瞠目する。


「お前、こんなに冷たくなって・・・。この寒い夜に窓なんか開けているから・・・」

「・・・こんな夜は、それに特に今夜は・・・王子様は直接窓から入ってきてくれるかなって、ちょっと期待していたんですよ?」

――まさか本当に来てくれるなんて・・・吃驚したんですから・・・!――


似合いますか?――背後で留め金がとまった気配がすると、マドカはクルリとターンをして、士度に微笑みかけた。
彼女の白い胸元に金の飾りと真珠の煌きが美しく冴えていた。


「あぁ、よく似合う――」

――マドカ彼女自身がまるで真珠のようだ――

月光の中で微笑する彼女の姿をそんな風に思いながら、士度は答えた。

そして彼女の台詞から浮かんだ、小さな疑問。


「しかしお前、王子様って・・・俺がか・・・?」


以前マドカに見せてもらった絵本に出てきていた、あの奇妙奇天烈な服を着た貴族のことを言っているのだろうか?


「そうですよ?私の王子様は士度さんだけですもの・・・!」


目が見えないが故、絵本の中の王子様の服装など感知しないマドカは、月の光を取り込み輝く真珠のペンダントを撫でながら頬を染めた。


「・・・・じゃあ、マドカはお姫様か?」


たしか“王子”は姫を求めてやまないはずだった・・・・。


「お姫様は、いつも王子様が大好きなんです・・・!」


コクコクと頷きながら恥ずかしそうにそう言うと、マドカはティーワゴンへ近づいた。


「蝋燭に灯りを・・・燈してくださいますか、王子様?」


彼女はシルクのナイトガウンの両端を持って可愛らしくお辞儀をしながら士度にお願いをした。


「そうだったな・・・。願い事をするんだったな・・・。」


士度はマッチを擦りながらチラリと時計を見た。
日付が変わる5分前だ。

――やがて彼女の歳の数だけ灯りが点され、彼女はその灯火を映し出すペンダントに手を添えながら目を瞑り、祈りを捧げる。

そして願いを込めた吐息によって、蝋燭の火は吹き消された。


「――何を願ったんだ?」


士度の優しい眼差しが、ケーキを挟んだ向こう側から感じられた。


「私の願いは――ただひとつですよ・・・・」


――あなたに出逢えてからは、ずっと――


(いつまでも、
士度さんあなたと一緒にいられますように・・・・)


願いを逃がさぬよう声には出さず、唇の形だけで紡がれた言の葉を読み、
士度は刹那、眩しげに目を瞑った。


「新しい花の香りがします・・・・」


マドカは士度の方へ手を伸ばしながら訊ねた。


「――里から降りてくる頃には街の花屋も閉まっているだろうと思って・・・山に咲いていたのを、摘んできた。」


彼女の手を取り、その痩躯を背後から再び抱きしめると、士度は彼女の首筋を撫でた。


「この香りは・・・ルピナス――?」


ティーワゴンの上に無造作に乗せられていた花を一輪手にすると、そっと顔へ近づけながらマドカは彼の腕の中で目を細めた。


「洋名は知らんが・・・・
登藤ノボリフジだ。――お前、まだ冷えているな・・・・」


僅かに身を屈め、彼女のなだらかな肩口に口付けをしながら士度は囁いた。


「士度さんが・・・・・暖めてくれるのでしょう?」


甘い疼きに微かに身を震わせるマドカの唇から、優しく艶めいた声が生まれた。

そしてその声に魅かれたような熱い
接吻キスが、マドカを溶かす。

二人分の重みで震えたベッドの上から、テディ・ベアが鳴きながら転がり落ちた。


「士度・・・さん・・・・ルピナスの・・・ン・・・花、言葉・・・・知っていますか・・・?」


徐々に上がってくる躰の熱に浮かされながら、マドカはたどたどしく言葉を紡いだ。
香る紫の
登藤ルピナスをその手に持ったまま。


「いや・・・何だ・・・・?」


ナイトガウンの帯に手を掛けていた士度の動きが止まり、マドカの恍惚とした貌を覗き込んできた。


恋色に染まったマドカの可憐な唇が優美な弧を描くと、士度の耳元で吐息と共に囁く。



―― 貴方は私の安らぎ ――



一瞬目を見張った士度を、マドカはそのまま優しく抱きしめた。
やがて穏やかな微笑が彼の貌に浮かんだのを感じ、マドカの口元も悦びに綻んだ。




そして花々の優しい芳香に包まれながら、二人はもう一度深い
接吻くちづけを交わす。

月の灯火に輝く真珠が金の鎖に引かれながら、はにかむようにマドカの胸元を滑っていった。



一晩中空け放してあった窓から入り込んだ冷気は、二人の熱を奪えずに、そのまま月夜へ戻っていった。

放り出されたテディ・ベアがしっとりと朝露に濡れるまで、その夜カーテンは静かに踊り続けていた。









Fin.





“one & only”=(誰よりも)愛する人、本当にいとしい人。

ケーキとワインはおめざにでも・・・・。
なんとか間に合った
11月2日のマドカ嬢のBirthday記念(元)FreeSSでございました。

登藤=ルピナスは11/ 2の誕生花でもあります。
士度とマドカにぴったりだと思い、花言葉エピソードを入れてみました。
ちなみに“ルピナス”は“狼”という意味のラテン語だそうです、狼≒士度というイメージがある管理人にはこれまた嬉しい豆知識。
そして文字通りの“one & only”台詞を王子様エピソードとして遊んでみたり。
プレゼントとして士度が渡した真珠のネックレスは、弊サイトのSSにすでに一度登場していたりもします。

この物語の前話になる士度サイドのストーリーとしてrequest作品“月夜の晩に”がございます。
さらに本作品の続編的SSとして裏話“睦言”も月窟に追加致しました。
(こちらをご希望のかたはを通り裏ページ月窟までどうぞ。尚、注意書きをよくお読みの上お入り下さいませ。)
宜しければ合わせてご覧くださいませ・・・!

マドカ嬢、お誕生日おめでとう・・・!士度と同様、アナタのことが大好きな管理人より愛を込めて・・・!




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