<Photo by (c)Tomo.Yun>

【3】


(あ、犬だよ〜!大きいね!!)(あれって盲導犬って言うんだよね!)(コラ!授業に集中しなさい!!)(カッコいいなぁ〜)

隣のクラスからざわめきが聞こえてきた。
母さんが来たな、と士音は思った。
父さんが母さんの為に選んだ、さながら番犬代わりのジャーマン・シェパードのシベリウスは、いつも威風堂々と彼女の隣を歩いている。
家にはもっと大きな奴等もいるけれど、外の人たちからみればあれでも十分に大きな部類に入るのだろう。
やがて、カラリ、と4年3組の教室の後ろのドアが控え目に開き、マドカと盲導犬が入ってきた。
そして、すでに後ろに並んでいる他の父兄と静かに挨拶を交わし始める。

「士音、お前のかーちゃんだろ?美人だよな!」

犬もカッコいーしっ!と士音の隣の席に座っている孝太が、うちのとは大違いだぜ・・・と小声で話しかけてきた。
だろ?と士音も少し得意げだ。

「ねぇ、でも今日はあの素敵なパパは一緒じゃないの?ほら、運動会のときは来てたじゃない?」

後ろの席の麻弥がやはり小声で訊いてきた。私もう一度見たかったのになぁ、と。

そーいえば・・・士音はもう一度チラリ、と母親の方に眼をやった。
その気配を感じたマドカはニッコリと微笑む。足元にはシベリウス――隣に父親の姿はない。
学校行事は苦手だ―― そうなんだかんだ言いながらも、よっぽどのことが無い限り、キチンと出てくる父さんなのに・・・・。
今日は仕事上がりに駆けつける、って言っていた。仕事が長引いているのか、?まさか大怪我でもしたのか?
でも母さんの顔に不安は無いし・・・・。

「――では、冬木君、54ページを読んで下さい。」

女教師のその声に、士音の意識はようやく授業に戻された。

(7行目からよ。)

麻弥が後ろでウインクをする。
士音はサンキュ、とボソリと礼を言うと、「『長靴を履いた猫』という童話はフランスの・・・」とゆっくりと上手に朗読し始めた。
猫が長靴なんて履くわけねぇだろ、馬鹿が・・・そんな可愛げがないことを、内心思いながら。
途中、ボソリ、と誰かの父兄がマドカに「今日はご主人はご一緒ではないんですか?」と訊く声が聞こえてきた。
先生はもちろん、他の児童たちにも聞こえないような小さな小さな話し声だが、
マドカ譲りの耳を持つ士音にとっては少し耳を澄ませば聞こえるくらいの声だった。
「鬼の霍乱ですわ。」「あらあら、それはお大事になさってください・・・・」

オニノカクラン?なんだそりゃ?父さんに角でも生えたのか?

そんなことを思っているうちに、授業は半ばまでさしかかり、マドカが教室の外へ出て行く気配がした。
隣の4組にいる琴音の教室に行く為だ。ついに士度はやってこなかった。
琴音は父さんが来るのを楽しみにしてたから、きっとこのあとベソをかくんだろうな・・・黒板の文字をノートに写しながらそう思っていると、

「ねぇ、今度士音くんのお家に遊びに行ってもいい?」

後ろから鉛筆で士音をつつきながら麻弥が囁いてきた。
その声に、士音の四方にいる同級生たちの視線もチラチラと彼に注がれる。

「あ〜・・・父さんと母さんに聞いてみるよ・・・。」

うちにはデッカイ猫(ライオンとも言う)もいるし、どーするよ・・・・内心冷や汗を掻きながら士度は答えた。
やがていくつかのノートの切れ端が教室のあちこちから士音に回って来た。
『新宿の風見どりの家だろ、オレも行きてー』『わたし、クッキー焼いていくからv』『おまえんち動物ランドってホント?』

「〜〜!!北嶋さん!56ページを読んで下さい!」

参観日だというのに余計な事をし始めた児童たちに先生は半ば切れ気味だ。
後ろの保護者たちからはクスクスと笑い声が聞こえてくる。
慌てて立ち上がる麻弥に

(8行目。)

と士音は呟いてやる。麻弥はペロリと舌を出すと、「この他にもペローの童話は・・・」と何事もなかったかのように読み始めた。
そーいえば家に友達なんて呼んだことがなかったよな・・・それよりも、父さん、どうしたんだろう・・・・。
士音が教室から見上げた青い空に、不吉な影は見当たらなかった。
後20分で授業が終って、帰りの会があって、そしたら保護者の待合室に行って母さんに父さんのことを聞ける・・・。
それからの士音は教室の時計ばかり気にしていた。



「ママ!!パパは!?」

帰りの会が終るや否や、琴音は学校の一階にある保護者待合室に飛び込んできてマドカに抱きついた。
待合室では他の親子も、いつもと違う場所でのスキンシップに花を咲かせている。
しかし母親のマドカより僅かに背が高い琴音がマドカに涙ながらに甘える姿は、一見妙な光景だ。
それでも琴音はまだ小学四年生。まだまだパパとママに甘えたいお年頃。

「今日はこの後、ネコネコランドに行って、メインクーンの子猫見て、琴音と相性がよければ連れて帰ってもいいってパパ言ったもん!
 そしてベイをお散歩してダッツでアイス買って帰るって約束したのに・・・・どうしてパパ来てないの!?」

琴音はやっぱり半分泣きそうだ。
すると士音が少し遅れて入ってきた。一緒に来た麻弥と孝太もそれぞれの両親の元へ飛んで行く。

「マジでどうしたの?父さん。仕事で何か・・・・」

「!!ヤダッ!パパ、怪我でもしたの!?」

琴音の眼に涙は溜まる一方だ。
大きな子供たちに囲まれて矢継ぎ早に質問されても、小さなマドカは落ち着いて穏やかに答えた。

「父様、ちょっと具合が悪くて・・・。でもホント、大した事じゃないのよ。お家であなたたちの帰りを待っているわ。」

具合が悪い?父さんが?と士音は眉を顰めた。だれよりも丈夫なはずな父さんが具合が悪いなんて、大事じゃないのか?
琴音も同じように思ったらしい。士音のパーカーをギュッと握り締めながら蒼褪めた顔をしている。

<坊ちゃん、嬢ちゃん、心配すること無いさ。士度はちょっとばかり擬態から戻れなくなっただけで・・・>

「「え!?」」

仰天した二人の視線は足元で寝そべっていたシベリウスに注がれた。
そのままここでシベリウスと会話をしかねない二人を見かねて、マドカは、とりあえず帰りながらお話しましょう、と
子供たちを促して学校を出ることにした。そして他の保護者たちにも挨拶をしながら席を立つ。

「士音くん、今日言ったこと、考えておいてね〜v」

「楽しみにしてるぜ!」

後ろから聞こえる麻弥と孝太の声に適当に手を振りながら、<どーゆーことだよ、シベリウス!?>と士音は盲導犬の仕事の邪魔をしている。

<帰れば判るさ。坊ちゃん、廊下は静かに歩かなきゃ。>

とジャーマン・シェパードは涼しい顔をして答えた。
ママァ、どうしよう・・・・、どうして・・・・と琴音はグスグスと落ち着きが無い。
大丈夫、そんなに心配しないで・・・そう言いながらマドカは子供たちと校庭を抜け、迎えに来てもらったリムジンに乗り込んだ。
そしてそこでようやく、事の顛末を士音と琴音に説明した――。




「お帰りなさいませ。」

「ただ今戻りました。士度さんは?」

屋敷のエントランスで三人を迎えた執事の木佐に、マドカは開口一番に尋ねた。

「書斎でお休みになっておられます。」

それはもう、ぐっすりと・・・・と答える木佐の脇を、士音と琴音が駆け抜けて、一目散に二階の書斎に向かった。

「父様のお邪魔をしてはダメですよ!」

そんなマドカの声に適当な返事が返ってくる。

「・・・・あれからずっと、お休みなんですか?」

眠りが浅い士度にしては珍しい・・・とマドカが訝しがった。

「ええ。私がお部屋に入っても目を覚まされないほどでして・・・」

その言葉を聞いて、一抹の不安を感じたマドカもシベリウスを伴って書斎へと足を向けた。

すると書斎の扉の前では士音と琴音が中の様子を覗き込んでいる。
その気配から、士度はまだ眠っているようだ。
そして二人は書斎の中へ・・・マドカも二人の後を追った。




ノシッ・・・胸の上に誰かが乗っかった。
反射的に動こうとする両手を、士度の理性が辛うじて押さえ込む。
重い瞼を持ち上げると、そこには自分を覗き込んでいる琴音の姿が・・・・。
ドッと嫌な汗が士度の背中を伝った。自分の勘と理性に、士度は初めて感謝をする―― ここで琴音に怪我でも負わせていたら、
恐らく自分は首でも吊っていたことだろう・・・。

「・・・・琴音。」

「パパ、汗かいてるわ・・・具合でも悪いの?」

琴音は無邪気にも聞いてくる。

「いや・・・。琴音、擬態の俺に急に近づくのはやめてくれ。いろいろと危ないからな・・・・。」

諭すように言う士度の言葉に、琴音は「はい。」と真面目に答えると、徐に士度の顔を覗き込んできた。

「パパ、お部屋の中でサングラスなんて、変よ。」

そう言いながら琴音は士度のサングラスに手をかけた。

「・・・ッ!琴音、やめなさ・・・・」

「凄ぇ!見ろよ、琴音、この爪!猫擬とはダンチだぜ!!」

士度の声と重なった士音の興奮した声に、琴音の注意は逸らされた。

「父さん、俺にも早く虎爪擬教えてくれよ!」

士音は士度の手を掴んで、その爪の鋭さに眼を輝かせている。

「・・・・この爪の扱いとバランスが難しいんだよ。猿擬をマスターしてからな。」

えぇ〜!?と文句を言う士音に、手を切らないように気をつけろよ、と注意する士度は、
両手を士音に捕まれ、琴音には跨われて、身動きがとれない状態だ。

「・・・・その爪があったらパパ琴音のことギュッってできないじゃない。後で琴音が爪切りで切ってあげる。」

琴音は士度の長い爪が気に入らないようだ。
爪切りでは絶対に切れないだろう・・・むしろ危ない、と士度はこの後琴音から逃げ回る方法を模索し始める。
すると琴音は再び士度に向き合う格好になってサングラスに手を伸ばした。

「琴音・・・眼も虎になっているから・・・あまり・・・」

「!!じゃあ余計に見たいわ!」

そう言うや否や、琴音はパッと士度のサングラスを取り外してしまった。

「〜〜ッ!!」

急に入ってきた大量の光に、士度は思わず眼を瞑る。
鋭い頭痛が一瞬頭を駆け抜けたので、少し頭を振ってそれを振り払おうとした。

「!・・・ごめんなさい!パパ・・・・眩しかった?」

「士度さん!」

士度のそんな様子に、彼等の気配を静かに追っていたマドカも慌てて駆け寄ってきて、
覗き込むような姿勢で、士度の顔にソッと触れてきた。士音も心配そうにこちらを見ている。

「いや・・・・大丈夫だ・・・」

そう言いながら、開かれた士度の眼は、まさしく猫科の動物のもので・・・。
明るい室内の為、瞳孔が縦に長くスリット状になっている。
虹彩の部分は金色に輝き、瞳孔の周りは薄く、透明に近いエメラルドグリーンだ。
うわぁ、と琴音が感嘆の声を上げて、士度の顔を更に覗き込んできた。

「ほら、見たってただの猫の眼だろ?サングラスを返してくれ・・・」

「どうして!?とっても綺麗よ、パパの眼!皆に自慢したいくらいだわ!」

ねえ、士音ちゃん?と琴音は眼を輝かせながら士音の同意を求めた。

「・・・・確かに猫擬のときより、鮮やかだよな。でもお前、自慢するってどうよ?
 うちのパパは擬態パパって言うのか?」

それもいいわね〜v・・・・やめておけよ・・・・。

そんな風に自分の上でじゃれ合う二人の子供たちは愛らしいことこの上ないが・・・そろそろ重くなってきた。
寝起きの身体には少々酷だ。

「ほらほら、あなたたち、父様はこれから汗を流さなきゃならないんですから、もうそろそろ解放してあげてくださいな。」

士度の様子を察したマドカが子供たちにそう言うと、士音と琴音は「「はーい。」」と返事をして、渋々ながら士度から離れた。

「・・・・父さん、その爪でどうやってシャワー浴びるのさ?」

「それはもちろん、母様がお手伝いするのよ。」

当然でしょうvとマドカは息子に胸を張った。

「・・・・俺が手伝えば済むことじゃない?」

「・・・・そうかしら?」

息子の至極尤もな答えにマドカは少し残念そうだ。「じゃあ、琴音も手伝う〜!」と娘に抱きつかれた士度は、
背丈も胸も、大人のそれに近い小学四年生の琴音に対して、どう答えたらいいのか分からない。

「飯は?どうやって食べるんだ?」

「それはもちろん、母様がアーンvって・・・・」

「爪を箸代わりにすればいいんじゃないか?」

「・・・・!・・・・そんなお行儀が悪い真似は母様がさせないわ!」

「寝るときは?パパ今夜は書斎で寝るの?」

「・・・あぁ、そうなるだろうな。」

誤ってマドカを引っ掻くわけにはいかないからな・・・・そう答える士度に、マドカは少し不満そうだ。

「でも、まずはシャワーね!パパ、行きましょ!」

「だから俺が一緒に入れば問題ないって言っているだろ!」

「でも、やっぱり母様が・・・・」

妻と子にガヤガヤと押されながら、士度は助けてくれと、シベリウスに眼をやった。
<いいじゃないか。楽しそうで・・・>そう細目で笑いながら大きな盲導犬も尻尾を振ってついてきた。




長かった一日がやっと終わり、士度はグッタリとその身体をカウチソファに預けていた。
シャワーに昼食・午後のお茶に夕食・・・・たったそれだけのことに不自由するこの身に対して、
妻子三人がかりで世話を焼いてくれたのはありがたいが、その分こっちの神経も磨り減った。
これは・・・明日元に戻っていなかったら大事だ。
どんな手段を使ってでも元の身体に・・・・・。

そんなことを思っていると、コンコン、と小さなノックがして、寝巻きに着替えた士音と琴音が入ってきた。

「パパ・・・明日は元に戻るよね?」

琴音が心配そうに訊いてきた。

「・・・・レディ・ポイズンはそう言っていたぜ。」

腕に絡み付いてきた琴音に、士度は優しく答えてやる。

「擬態パパもカッコよくて好きだけれど、やっぱり普段はいつものパパが琴音はいいな・・・・一緒にお散歩できないじゃない?
 抱っこも無理だし、何よりママがちょっと寂しそうだったわ・・・」

だから早く元に戻ってね・・・そう琴音は言いながら士度の頬にお休みのキスをした。

「・・・・俺も、明日は教えてもらいたい組み手とかあるし、さ。ずっと擬態で神経使っている父さん見るの、何だか辛いよ。」

オヤスミの挨拶も出来ないじゃないか、これじゃ・・・・と士音はハイタッチをする素振りを見せた。

「そうだな・・・擬態は必要な時だけで十分だな。」

そう士度も苦笑すると、こんなこと恐らく一生に一度の経験さ、と爪を鳴らしながら呟いた。

そして二人にオヤスミ、を言って書斎から送り出す―― 一人になって出てくるのは大きな溜息。
この家で、普段の自分はどれだけのぬくもりに抱かれていたかを思い知らされる。
そしてそれに触れられない悲しさと寂しさも。
俺は―― いつからこんなにも変わってしまったのだろう?
たった一日、目の前にいる愛しい者達に触れられないだけで、心はこんなにも乾いてしまっている・・・・。
士度は目を瞑り、眠りを待った―― 明日、この魔法が解けていることをひたすら願いながら・・・・。




「・・・・さん、士度、さん。」

マドカに揺さぶられて、士度は覚醒した。
彼女の気配に気がつかないほど、こんなに深く眠るなんて、やっぱり今のこの身体はどうかしている・・・そう思いながら。
窓の外は深い闇の気配・・・・こんな夜中にどうしたんだ、と士度が問いかける前に、スッとマドカが彼の手を取った。

「――!!おい、危ねぇ・・・・!?」

「爪、引っ込んだんじゃないですか?」

確かに・・・マドカの手の中にある自分の手は、いつものものだ。
長く鋭い爪は付いていない。眼も元に戻っている。

「・・・・よく分かったな。どうしてだ?」

「士度さんにしてはよく眠るので、ちょっと心配になって時々気配を探りに来ていたんですよ。
 そしたら今来たとき空気が少し変わっていて・・・手を持ち上げたら、爪があるときよりも軽かったものですから。」

そうニッコリとマドカは微笑むと、両の腕を士度に差し伸べてきた。
そして二人は一日振りの抱擁を交わす―― あぁ、この温もりが、懐かしかったのだ。

「・・・お前、ほとんど寝てないんだろう?」

「これから士度さんが眠らせてくれるのでしょう?」

魔法が解けてよかったですね・・・その小さな額をコツン、と彼の額に合わせながら、
優しい女神は微笑んだ。
明日は大変ですよ・・・・琴音がパパとのデートを楽しみにしていましたから・・・・。
そう言いながら欠伸を噛み締めるマドカを士度は横抱きに抱くと、寝室まで運んでやった。
そして自分もゴロン、とベッドに横になる。

クスリ、と微笑みあうと、二人は手を取り合い、互いの温もりに包まれながら、共に静かな夜に身を委ねた。
翌朝、二人の子供たちの喧騒が、目覚ましとなるその時まで――。










「ねぇ、パパ。私も擬態習ったら、あの綺麗な瞳を時々出せるのかな?」

「・・・・琴音は女の子だからあまり外見が変わるのはやめておいた方がいいと思うぞ。」

「じゃあ、あまり外見がかわらない兎聴擬で、赤くてルビーみたいなオメメになってみようかな。」

「俺ら母さんと同じくらい利く耳もっているのに、何で兎聴擬が必要なんだよ・・・」

「士度さん、擬態したら耳とか尻尾とかは出てこないんですか?」

「・・・・・触りたいんだろ、お前。」

「それは、もちろん♪」

「・・・・・・」

「あ、士音ちゃんは猫擬態だせるのよね!琴音にも教えて!」

「じゃあ母様にも・・・・」

「「・・・・やめておけ!!」」

Fin.





UMI様からの突発リクエストで「擬態が戻らなくなる士度パパ」でした♪
双子の出番はちょい少なくなってしまいましたが、双子の学校生活が書けて楽しかったですv
あとマドカママも初登場!冬木ファミリーの話はまた書きたいと思っておりますので、
気長にお付き合いしてやってくださいませ!