to his beard


-side M-



それはある甘い夜のことでした――


その夜は互いに遅い帰宅だったので、日付が変わる間近に使用人達が下がった後、久し振りに本当に二人だけの夜のお茶の時間を楽しむことになりました。
そんな些細な、二人きりの時間が彼女にはとても嬉しくて――二人分の珈琲を(キッチンにキチンと準備されていた挽かれた豆とポットのお湯を使っただけでしたが)用意してくれた彼にちょっとおねだりをしてみて――今宵の貴重な珈琲タイムを彼の部屋で過ごすことにしてもらいました。
一緒に珈琲を飲むこと――彼にとっては夜のお庭で飲もうが、ティールームで飲もうが、客間で飲もうが、キッチンで飲もうが――彼女が隣にいれば同じだったのですが――パジャマに着替えるついでに愛犬を早々に自分のお部屋に引っ込めた彼女は、飾り気の無い静かな雰囲気漂う彼の部屋にオーナメントのように置いてある少し脚の高い小さな丸テーブル上に、端に丸みを帯びた縦長の焼き菓子がのった小さなお皿をどこか嬉しそうに用意しました。
そして珈琲をテーブルの上に並べ、ソファに落ち着いた彼の膝の上に――その細長い焼き菓子片手にチョコンと座ってきます。
こんな風に積極的に――甘えてくる彼女は珍しい――彼は刹那目を丸くしながらも、やがてどこか優しげに目を細めると、彼女が膝の上でバランスを取りやすいように、その細腰を片手でそっと支えてやりました。


一度、してみたいことがあったんです――


彼女のその台詞に不思議そうな顔をする彼を他所に、彼女は手にしていた焼き菓子の端を口に銜えると――片方の端を彼の方へと向けてきました―― 瞬間固まり、絶句する彼に向かって、その漆黒の瞳は柔らかに微笑みます。
そしてゆっくりと目を瞑ると――早くと言わんばかりに、フルリとその焼き菓子を小さく揺らしました。

いくら男女の戯れ合いについて疎い彼でも――流石にこの状況下では――彼女が彼に求めている行為を瞬時にして理解することができました。
いったいどこでこんな悪いことを覚えてきたんだ――小さな溜息混じりにそんなことを考えていると、彼女の小さな手がトンッ…彼の胸を叩き、焼き菓子がもう一度、催促するようにフルリと揺れます。


………――


サクリ…


――彼が無言で焼き菓子の端に口をつけたとき、彼女の目は嬉しそうに細まりました。
しかし――


サクッ…サクッ―サク……


彼は三口で焼き菓子を端から平らげると、あっという間に彼女の唇まで到達し、その柔らかな丹花を奪うついでに最後の一口までも攫っていき――予想とはかけ離れた彼の行動に目を丸くする彼女に、そのまま深い
接吻くちづけ を落としました。

吐息を全て飲み込むかのような彼からの唐突なキスに、彼女が彼のシャツをつかみ、脚をバタつかせながらささやかな抗議を示すと――彼の少し硬い唇は名残惜しそうに彼女からゆっくりと離れます。
彼女は急に奪われた空気を取り戻すかのように呼吸をしながら、見えない瞳で愛らしく彼を睨み付け――


も、もっとゆっくり!ロマンチックに両端から食べるんです……!!――


そんなことを言いながら彼の胸をポカポカと叩きました。


菓子ひとつ食べるのに何が“ロマンチック”だよ……――


どうせ仲介屋か誰かから、からかいついでに吹き込まれたんだろう……?――己の唇に残った後味を味わうかのように彼はペロリと軽く舌舐めずりをしながら少し呆れたような――それでも慈愛の篭った視線を彼女に向けると、膨れっ面をしている彼女をそっと抱きしめます――
彼からの、珍しくも彼女の心を揺らすような甘い行為に、彼女は目を瞠りながらもやがて――その首筋に顔を埋めました。

そして次の刹那、感じる
deja vuデジャ・ヴ ――おやおや、どうして今まで気にならなかったのでしょう――そういえば先ほど、唇を盗まれるときも、刹那感じた――そして今も、顔を少し上げて、彼の頬に自分の肌を触れ合わせれば感じる――僅かに“ザラリ”とした感触……――

どこか物珍しそうな表情で顔を上げた彼女を、彼は少し不思議そうな顔で見下ろしました――そして……



―――!!?



彼女の――普段は魔法の音を惜しみなく奏でる白く長く美しい人差し指が――唐突に彼の顎をサワサワとなぞりました。
彼女に―― 一度たりとも想像したことがなかった思わぬところを急に触られたので、彼は思わず反射的に――その凛々しい顎を少し後ろへ引きました。
しかし、触れた彼の顎から伝わる感触に目を丸くした彼女は――どこか懐かしそうな顔をしながら、ついにはその細い両腕を彼の頬へと伸ばしました。彼が目を白黒させるなか――彼女は白魚のような指に神経を集中させながら、サラリ、サラリと彼の頬や顎を撫で続け――そして少し弾んだ声で呟きました。


「士度さん、おひげが生えてます」



「………―――そりゃ生えもするさ……」



――こんな夜分にもなるとな……。



しかし、そんなに気にされるほど、無精になっていたのだろうか――そんなことを思いながら、士度は自らもその武骨な指先を己の頬にあて、相変わらずマドカの指が踊るその場所を確認してみます――しかし、自分の頬も顎先も――いつもとなんら変わった様子はありません。生えている髭の量だって――きっといつも通り、翌朝剃れば済む程度のもの――士度は皆目理解できないといった貌をすると徐に――膝の上で楽しそうに彼のおひげをサワサワと触り続けるマドカの手をとると、


そんなに気になるなら今すぐ落としてくるさ――


そう言うなり立ち上がるため、膝に乗っている彼女の身体を支えながら少し身動ぎをしました。


「――!!あ、あの……違うんです……」


彼の言葉を耳にするや否や――マドカは自分の好奇心の矛先に微かな恥じらいを感じ、仄かに頬を染めながら彼のシャツを掴むことであらぬ彼の誤解を解こうとその動きを制しました。


「――?」

「あのっ……その……ちょっと子供の頃を思い出して……」


刹那訝しげな気配を醸し出しながらも――やがて再びソファにゆっくりとその身を沈めた士度に、マドカはもう一度彼の頬に――今度はそっと手をあてながら、愛らしい安堵の表情をみせました。


「子供の頃、か――?」


「はい……!」


未だ状況を把握できていない士度に、マドカはにっこりと微笑みました。


「昔、こうやってお膝に抱っこされながら……父様にお髭を“ジョリジョリ”されたのを思い出したんです……」


――……ジョリジョリ?


――聞き慣れない言葉に士度が眉を顰めました。


こうです…!!――――!!?


そんな彼にマドカは唐突に抱きつくと、その柔らかな頬を彼の硬い頬に擦り付けてきました――
濃すぎず、薄すぎず――頬は短く、顎先はほんの少し長く――程よいチクチク感でお肌を気持ちよく刺激してくれる士度さんのお ひ げ――
普段はお淑やかな彼女から仕掛けられた奔放なお肌の触れ合いに――目を丸くする彼のアリアリとした気配が、マドカには何故だか嬉しくてたまりません。

分かった…分かった……!!――そう言いながら士度がギブアップをするまで、マドカは戯れつく仔犬のように、ほんとうにほんとうに嬉しそうに――彼のおひげを堪能しました。


「そんなに楽しいのか……」


髭が……――

「はい……!!」


子供の頃はもっともっと楽しかったような気がします……!――慣れないスキンシップと刺激に戸惑い、すっかり弄られてしまった髭を少し気にする素振りをみせる士度をよそに、マドカは満面の笑みを湛えながら士度のおひげに気持ちよさそうに触れてきます――こうやって、お膝の上に座らせてもらって……おひげの硬さを感じていると――

マドカは士度の薄い髭の上を人差し指の項でしっとりとゆっくりとなぞりながら――どこかウットリと言いました。



――士度さん、なんだか……






「父様みたいです。」



「〜〜〜〜!!!」



女の子らしい可愛いらしく弾んだ声のエコーの中で、

瞬時に石化し、ピシリと何かがヒビ割れる音が……――

気配までも急におとなしくなってしまった士度にマドカは愛らしく首を傾げました。

すると彼の頬がヒクリと動き――獲物を狙う肉食獣のようにその薄い唇がうっすらと怪しげな笑みをつくりました。



「士度、さ―――!!?キャアッ!!」



マドカは彼女を横抱きに抱えたまま急に立ち上がった士度の行動に大きなおめめをさらにまんまるくしましたが――そのまま・・・・ポスンッ・・・・とベッドの上に放り出されてしまいました。

背後に唐突に感じたベッドのスプリングと、サマーブランケットのフワリとした感触にマドカが目をパチクリさせていると――真上から突然、彼の顔が降りてきて――

ほら――そんな低い声とともに彼のおひげが彼女の頬を掠めたので、マドカは擽ったそうに、嬉しそうに肩を竦めました――無防備に左右に投げ出されていた彼女の嫋やかな両腕は、彼のその雄雄しい両手でいつの間にか緩く拘束されてしまっています。
クスクスと甘えるようなはしゃぎ声を小さく上げながら――彼女は彼のおひげに触れられるたびに誘うようにわざと逃げ、お顔同士の追いかけっこを楽しみました。
しかし――



――そんなに髭が好きならな・・・・・


――?


マドカの戯れにつきあっていた士度の動きがやがてピタリと止まり――彼女は再び不思議そうに瞳を瞬かせます。





一晩中、好きなだけ可愛がってやるよ・・・・・――



一度、自分の顎髭をその大きな手でザラリと撫でた彼は

二人の唇が触れるか触れないかの刹那の距離でひどく漢らしく囁きます。



――ただし、
俺の・・やり方でな・・・・・・・




そんな彼の一言で――彼女はようやく自分の失態に気がつきました。


しかし刻すでに遅し――発しようとした弁明は今宵二度目の
接吻くちづけ に熱く遮られ――







その夜、彼女は彼のおひげを存分に堪能することができましたが――最後にその可愛らしいお口からどんな感想が漏れたのかは




二人だけのひ み つ。








Fin.

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"toO's beard " =“〜の面前をはばからずに; 〜に面と向かって” という意味もあります。
今回は“to beard” と二つの意味を掛け合わせてみましたv
髭ネタ&髭萌え&髭属性提供共有覚醒御礼!!(笑)