「あ・・・」
「どうした?」
「三つ編み・・・せっかく士度さんが編んでくれたのに解いてしまうなんて、なんだかもったいないです・・・・」
士度が彼女の髪を結ぶゴムに手をかけたとき、マドカが寂しそうに呟いた。
「・・・・いつでも編んでやるさ、お前が望むときに。」
そしてその言葉とともに、ゴムはスルリとバスルームの床に落とされ、
編んだ跡でウェーブが掛かったマドカの髪は
士度の長い指先で優しく梳かれた。
「午後の・・・・薔薇の香りがするな・・・」
カラリ・・・とバスルームの扉を開けながら、士度は湯船から流れる湯気に舞う彼女の髪の香りに目を細めた。
「それと、さっき食べた竹筒ご飯の匂いと、お魚と、焚き火と焼いたお芋に焼き林檎・・・・」
マドカはクスクスと笑いながら、カフェで捻り出した“お願い事”、今晩の士度特製夕食メニューを次々に、嬉しそうに上げていく。
「・・・・薔薇の匂いは錯覚か?」
「どれもとっても美味しかったです・・・!」
真新しい湯気の中で、マドカは無邪気に微笑みながらお湯の温度を確かめる――士度は苦笑しながらスポンジを濡らし、ボディ・ソープを含ませた。
広い浴室で二人の声はよく響く――
「この湯船、大きいからきっと二人で入っても大丈夫――キャッ!?」
マドカの背後に立っていた士度が不意に、彼女の躰を覆っていたバスタオルをハラリと落としたのだ。
そして抗議の声を上げる前に、グイッっと引き寄せられ・・・
予告もなく肩に当てられ、滑るスポンジの感触にマドカの躰は反射的に竦んだ。
「さて・・・どこから洗えばいいんだ?」
どこか楽しそうに紡がれた士度の言葉に、マドカは軽い眩暈を覚えた――
そして人知れず祈る。
どうか今夜はいつもより
「キャア!」
適度に火照った躰を心地よく思いながら着替え籠に手を伸ばしたマドカは、
急に指先を濡らしたザラリとした感触に小さな悲鳴を上げながら思わず手を引っ込めた。
「どうした!?」
彼女の背後で湯船のお湯を流していた士度が慌てて飛んできたが、籠の中を確認するなり大きな溜息を吐いた。
「お前等・・・・・」
<ニャア?>
見ると籠の中ではどこから入り込んで来たのか大中小の猫達が、程好い加減で当たる湯気にまどろみながら団子状態になっている。
マドカのネグリジェやランジェリーを当然のように敷布や布団代わりにしながら。
仔猫はマドカにしたように、士度の指先もペロリと舐めた。
思いがけない来客にマドカの顔も綻んだが・・・・
「あ〜これじゃ、もう着れねぇな・・・・」
士度が猫達の下から引っ張り出した寝巻きは、既に猫の毛まみれ。
替えをもってくる・・・待ってろ――自分の目線の高さの棚に置いてあったので辛うじて無事だったTシャツを着ながら士度がマドカの方へ視線を流すと、
お願いします――と、ニッコリ頷く彼女はバスタオルを一枚巻いただけの姿だ。
「・・・・・これ着てろ、湯冷めするなよ?」
士度は着ていたTシャツを行きがけに脱ぐと、マドカの方へと放った。
――あ、ありがとうございます・・・――突然の出来事に戸惑いながらも、マドカは自分の腕の中に上手い具合に落ちてきた洗い立ての白いTシャツを広げた。
(・・・・・大きいわ)
そして、身に纏っていたバスタオルを猫達の上にかけてやり、自分は彼のTシャツを頭からすっぽりと着てみた――
シャツの丈はマドカの太腿まで届き、肩幅や胴回りにも大分余裕がある。
(ワンピースみたい・・・)
マドカが戯れにクルリとターンをすると、その裾は小さくフワリと広がった。
彼女は嬉しそうにもう一度、クルリと回る。
そして彼の温もりを探すかのように・・・Tシャツの、マドカには広すぎる襟元を顔の方へと手繰り寄せてみると――
(洗剤の香りと・・・微かだけど、士度さんの・・・匂いがする・・・)
マドカは目を細めながら、愛しい匂いを逃さぬように、シャツに顔を埋めながら大きく深呼吸をした――
しかし、浴室の熱気が湿気に変わり始め、マドカの身体にもまとわりつきはじめる。
マドカは風がそよぐ場所でこの束の間のワンピースを広げてみたいと思い、壁伝いへティー・ルーム側のテラスへと向かって行った。
「マドカ・・・・お前、風邪引くぞ・・・!」
彼女の部屋で寝巻き探しに手間取っていたら・・・・階下の庭から聴こえてきた、愛らしい鼻歌。
窓から覗いてみると、マドカがTシャツ姿のまま裸足で中庭に出て、月の光の下でくるくると踊っている。
バレッタで纏められている濡れた黒髪が、月の雫のように煌々と輝いていた。
士度は数多ある引き出しの中からようやく探し当てたネグリジェを片手に、
そして途中鏡台からドライヤーを掴むと、少し急いで階段を駆け下りた次第。
テラスに着いて見れば、庭の真ん中で微笑む彼女がいるわけで・・・・。
マドカは士度の声を聞くと、悪びれもせず無邪気に、弾むように戻ってくる。
そして甘えるように、ポスン・・・と士度の胸元にゴールした。
「・・・ほら、新しい寝巻き、持ってきたからさ・・・・」
――着替えろよ・・・――
胸元で揺れる、まだ濡れている彼女の髪を戯れに触れると、マドカはフルフルと首を振った。
「今日は・・・このTシャツを着て寝たいです・・・・」
――ダメ、ですか?――
士度の胴に手を回しながら、彼を見上げてくる彼女の漆黒の瞳は語る――お願い――と。
「いや、いいけどよ・・・・」
――お前にはでかすぎるんじゃねぇのか?
いいんです・・・――
士度からの了承を得たマドカは満足げに彼の胸元に顔を埋めた。
――・・・・クシュン!――
ドライヤーの風を彼女の襟足に当てると、彼女が小さくくしゃみをした。
「ほら、こんな格好で夜風にいつまでも当たっているからだ・・・・」
「・・・!!いいえ!士度さんのドライヤーが・・・・冷風だからです・・・!」
――スイッチをもう一回押してください!――
わざと膨れるようにマドカが言えば、――悪ぃ・・・――と士度はきまり悪そうにカチリとスイッチを鳴らす。
ブラシの忘れたので取りに行くと士度が言えば、何故か “そのまま乾かしてください・・・” と“お願い”され、
さっさと膝の上に乗られてしまう始末で。
士度の膝の上でマドカは機嫌が良さそうだ。
気持ち良さそうに、目を瞑り
耳を澄ましている。
ドライヤーの、風を送る音と
士度が燈した蝋燭の灯りが夜風に揺れる小さな音が、ティールームに静かに響く。
そして士度の長い指先が、
マドカの髪に分け入り滑る
ぬくもりの音。
そして、今日の
思い出の音。
彼女の白い素足が
蝋燭の暖かな灯火に黄金色に浮かび上がっていた。
髪が半分ほど乾いた頃、
マドカが士度の手を探り、カチリとドライヤーのスイッチを切った。
士度は彼女の意図を察したかのように
無言でドライヤーをテーブルの上に置く。
マドカの白魚のような指が
士度の長く、漢らしい指に絡まり
彼女は頭を彼の胸元に預けた。
「士度さん、私・・・・凄く幸せです」
彼の目元で灯る、蝋燭の熱と同じように優しげな眼差しに、マドカは目を細めた。
「だから、私・・・・」
マドカの頭を撫でていた士度の手が滑り、そのまま彼女の頤を柔らかに捕らえる。
「・・・・マドカ」
彼の顔が近づく気配がしたので
マドカはそっと
瞼を閉じた――
そう、お願い事も
我侭も
本当は私に必要ないもの。
だってあなたはいつも
一番欲しい
一番欲しいときにくれるから――
あなたが与え続けてくれる
この恋は
きっと
最初で最後の宝物。
そしてそれは
誰よりも
日頃お世話になっているあなた様へ愛を込めてv
恋する二人の内面を、頂いた萌要素の中に散りばめて書いてみました。
裏の月窟に完全完結編の“月露”があります。
お好みに合わせてお楽しみ下さいませ。