【2】
「あぁ、士度様・・・良かった!!私も今着いたばかりで・・・・!」
士度とヘヴンは病院の受付前で、音羽邸の執事の木佐と合流した。
「マドカは・・・怪我の具合はどうなんだ!?」
看護師の先導でマドカがいる病室へ向かいながら、士度は思わず焦燥感を声に出した。
「怪我の方は幸い大したことは無いようなんですが、少しご様子が・・・」
木佐が顔を青くしながらそこまで話したとき、個室の病室からマドカの泣き声が聞こえた。
「音羽先生・・・!しっかりなさってください!!・・・私のことが分からないのですか・・・!?」
「せ、先生って・・・マドカ、先生なんかじゃないもの・・・!!」
医師や看護師、そしてマネージャーに囲まれたマドカは、ベッドの上で一人身を震わせていた。
先ほどからの彼女の言動に、医師が眉を顰めた。
一方のマドカは、年甲斐も無くしくしくと涙を流すばかり。
――知らない部屋、“みんな”知らない人、知らない空気・・・誰かが私のことを「先生」って呼ぶのは何故?
ここはどこ・・・・?お薬の臭いがする・・・・
頭が、痛い・・・・
お家に――帰りたい・・・・――
マドカは漆黒の闇の中、涙を浮かべながらも懸命に“知った気配”を探った。
すると、廊下の方から無数に聞こえてくる足音の中に、彼女は突如光を見出す。
――あ・・・この足音・・・・知っている・・・・大好きな・・・・――
「――マドカ!!」
士度が彼女の名を呼びながら少し足早に病室へ入ってきた。
涙で濡れた彼女の顔がパッと明るくなる。
――この気配・・・!!暖かくて、大きくて、優しくて・・・・私のことを「マドカ」って呼んでくれて・・・・
私の心が“大好き”って叫んでいる、この人は・・・・私の・・・・――
マドカが両腕を士度の方へと伸ばした。
思ったよりも元気そうな彼女の姿に少し安堵した士度も、彼女に乞われるがままに、その痩躯を抱きしめる。
しかし、彼女の次の一言に、彼も、そして周りにいる大人たちも愕然とするしかなかったのだ。
「
明らかに士度に向けられたその明るい声が、病室の気温を一気に下げた。
腕の中で安堵の表情を浮かべるマドカを、士度はただ呆然と見つめるしかなかった。
「記憶・・・障害?」
医師からの説明に士度は瞠目した。
彼の傍らに立つヘブンと木佐も眉を寄せる。
マドカは・・・診察用の椅子に座ったまま、不思議そうに士度を見上げた。
「ええ・・・検査の結果、CTにも脳波にも異常は見られませんでした。頭の怪我は軽いものですし、神経の異常も認められません。
ただ記憶が・・・退行しているのです。そうですね、彼女の場合は・・・5歳児程度にまで。
ようするに『子供がえり』ですね。一時的なものだとは思いますが・・・・」
あまりの結果に士度も木佐も声を出すことができない。
絶句したまま硬直する男性陣を尻目に、ヘヴンが声を上げた。
「“子供がえり”って・・・・!どうやったら元に戻るのよ!?」
「それは一概には何とも言えませんな。とりあえず様子をみることにしましょう。」
それで駄目なら投薬治療に・・・
士度の耳には医師のすげない言葉がやけに遠く聞こえた。
頭の中で情報を整理しようとしても混乱するばかりで、上手くいかない。
すると不意に・・・マドカが士度の服の裾を引っ張った。
「・・・父様、マドカ、お家に帰りたい・・・」
そうだ、何故彼女は・・・・
「どうして・・・・」
士度はやけに乾いている喉から声を振り絞った。
「どうして彼女は、俺のことを“父親”だと・・・?」
病室には医師や看護師など、士度や彼女の父親と同じ年格好の人達がいたはずなのに。
「それは・・・・」
――どうしてでしょうね・・・・?――
医師は士度とマドカを見比べながら不思議そうな顔をした。
「彼女は目が見えないので視覚的な認識はあり得ませんし、他の人たちのことはまるで覚えていないようですし・・・。」
―それも様子を見ていくうちに分かることでしょう。―
てんで役に立たない医師の声に、士度は耳を塞ぎたい気分だった。
「ねぇ、父様ぁ・・・・」
そしてあどけない表情から発せられる彼女の甘い声に、眩暈を誘われるような気がした。
「ねぇ、父様・・・・父様は今日、お仕事無いの?」
士度と木佐とヘヴンが今後どうするかを病院のロビーで話し合っているとき、士度の耳元でマドカの声がした。
「あ、ああ・・・今日はもう、ない・・・」
ロビーの椅子に腰掛けている士度の背後から遠慮なく覆いかぶさりながら訊いてくるマドカに、士度はしどろもどろに答える。
マドカの綺麗な眉が嬉しそうに上がった。
――マドカちゃ〜ん、いい子だからここへお座りしてね?――
あやすようなヘヴンの言葉にとマドカは、「は〜い・・・」と小さくお返事をすると、士度の隣にチョコン、と腰を下ろす。
「じゃあ、父様・・・明日もお仕事ない?」
マドカはヘヴンと木佐を無視して士度にべったりだ。
そんな彼女の言葉に、士度はチラリとヘヴンを見た。
ヘヴンは士度の目を見ながら頷き、了承の合図を送る。
「あぁ・・・明日もマドカの傍にいる・・・。」
マドカの顔がますます明るくなった。
「父様がお休み沢山なんて、久し振りね・・・!」
――マドカ、嬉しい・・・――
頬を紅潮させながら士度の腕にすがるマドカに、士度はかける言葉がみつからない。
外見は十八歳、中身は五つ・・・ただでさえ女・子供の扱いに不器用だと自覚している士度は、
今のマドカをどう扱えばよいのかさっぱり分からなかった。
しかも“父親”としてなんて、尚更だ。
「良かったわね〜!マドカちゃん♪」
急に相槌を打ってきたヘヴンの高い声に、マドカは少し士度の後ろへ隠れる素振りを見せた。
「・・・お姉さん、だれ?」
俯き、時々上目遣いでヘヴンの様子をチラチラと確認しながら、マドカは小さく小さく問うた。
――やっぱり覚えていないのか・・・――
その場にいる大人たちは心の底から頭を抱えたい心境になる。
「お、お姉さんはね・・・え〜と・・・マドカちゃんのお父さんと、お仕事を一緒にしている人よ!」
―よろしくね・・・!―
ヘヴンに頭を撫でられ、マドカの顔が少し綻ぶ。
「じゃあ、お姉さんとはお話してもいいのね・・・?父様は・・・“知らない人とお口をきいてはいけません”っていつも言うの。」
――ねぇ、父様?――
彼女は幼少の頃からその辺りは厳しく躾けられてきたようだ。
「・・・・そうだったな。」
士度もとっさに彼女の話に合わせ、マドカの頭にポンポン・・・と手をのせた。
擽ったそうな笑顔が返ってくる。
そして彼女はチラリ・・・・と木佐の方を伺った。
「・・・私はお嬢様の家の執事で、木佐と申します。」
―よろしくお願いします・・・―
木佐が手を差し出すと、マドカは彼と短く握手をし、急に何かに気がついたようにパッと手を引っ込めた。
「嘘よ・・・木佐さんは・・・・“おじいさん”だもの・・・・」
――だから木佐さんのお手てはもっと、シワシワだもの・・・・――
木佐は細い目を見開いた。
ヘヴンと士度が問いかけるように木佐を見つめる。
「・・・お嬢様が七つの頃まで、私の祖父が音羽家の執事を務めていたんです・・・。」
マドカの今の状況を決定付ける木佐の言葉に、二人はただ息を呑むしかなかった。
「父様、マドカちょっと、お腹が空いたな・・・」
――ケーキが食べたいな・・・・――
マドカの暢気な声に、三人はもう一度深い溜息を吐いた。
思いつくがままにやってしまいました・・・。
マドカの運命やいかに・・・・!そしてどうする、士度・・・・。
とりあえず絆編より後の話として・・・マドカを十八歳設定にしてあります。