【3】


「へぇ・・・!じゃあ、今のマドカちゃんはお子様で、士度さんはお父さんなんですね・・・!」

――士度さんに“お父さん”って言葉、なんだかシックリきちゃいますね・・・!――


夏実の言葉に続いたレナのとんでもない台詞に士度はガックリと頭を垂れたが、

「あ、やっぱり?俺もそう思った〜♪」

とHONKY TONKガールズたちと声を弾ませる銀次に、返す言葉も浮かんでこない。

マドカのご希望を叶えるために帰りに立ち寄ったHONKY TONK。執事の木佐は車の中で、あちらこちらに電話をかけてまわっている。
一方、いつもの連中はヘヴンからの一通りの説明に驚きながらも、心が幼くなってしまったマドカをあっさりと受け入れた。
波児は「・・・君も毎度何かと大変だね。」とほんの少し笑いながら、いつもの珈琲を士度に差し出す。

「テメェに“親父”なんか務まるのかよ・・・」――蛮は物憂げな表情で煙草の煙を燻らせた。

「――知るかよ、そんなこと・・・」――士度は苦く呟きながら珈琲に眼を落とす。

黒い鏡に映る自分の顔が、やけに情けなく見えた。

マドカは士度の隣に大人しく座っている。
車の中では“父様、父様”とじゃれついて、他愛の無いお喋りを舌足らずながらも一生懸命していたのに、
喫茶店に入ってからはまるで借りてきた猫のようだ。

「マドカちゃん、カボチャと苺とリンゴとメロンのケーキがあるけれど、どれがいいかな?」

小首を傾げながら小さな子供に話しかけるように可愛らしく問うてきた夏実に、

「イチゴ・・・・」

とマドカは小さな声で答えた。
そしてチラチラと隣にいる士度のことを確認している。
まるでその存在が消えてしまうことを心配するかのように。

「・・・・飲み物は、紅茶でいいか?マドカ。」

そしてマドカは士度が声をかける度に、安堵の表情を浮かべるのだ。

「ううん、オレンジジュースがいい・・・!」

――ソウ、トウサマノ、ケハイダケガ・・・ワタシヲ、アンシンサセテクレル・・・・――

そんなマドカの様子は、大人たちの目には痛々しく映る。

甘えることに、あまり慣れていない子供の瞳だ・・・・――そんな風に年長組は思った。

「きっと・・・父親にも四六時中甘えることができなかったんだろうな。」

―― 一緒のときには大事にされてたんだろうけどよ・・・・――珈琲を口につけながら士度がポツリと呟いた。
グラスを拭いていた波児が顔を上げ、煙草をふかしていた蛮がその視線を士度へと向けた。

子供のマドカあいつの甘え方は・・・時々とても一生懸命だ。」

自分の隣で、レナと夏実と銀次にケーキの食べ方をどこかぎこちなく教わっているマドカを見つめ、士度は少し苦しそうに言った。

――あぁ、そう言えば・・・・――

彼女の病院での様子をヘヴンは思い出す――父親が傍にいて当たり前――そんな雰囲気ではなかったのだ。
嫌がる検査を士度が宥めすかして受けさせたときも、医師の話を聞いていたときも、ロビーで大人たちが会話をしていた、そのときだって――
彼女は常に士度の――“父親”の存在を確認するような素振りを見せていた。
神経を彼の存在に集中させるかのように、その見えない瞳で彼を追い、彼からの答えを求めるかのように話し掛け・・・・。

(あの大きなお屋敷で使用人達だけと・・・・ってことが多かったのかな・・・)

そんな風に思いながらヘヴンが視線を落とすと、徐に蛮が口を開いた。

「・・・・しかし、何でまた“舞台から落ちる”なんて嬢ちゃんらしくねぇことを・・・」

何でだ?――蛮は士度に向かって方眉をあげてみせた。

「・・・・出来たばかりのホールで、マドカも初めての場所だったらしい。舞台の上には普段、盲導犬を上げていないからな・・・マドカは。
マネージャーの話によると、どうも記憶していた階段の場所を間違えたらしいんだと。・・・頭は打ったけれど掠り傷程度で、中身も異常がねぇってぇのによ・・・」

士度は遣る瀬無さに瞑目し、小さく溜息を吐いた。


「・・・オイ、テメェがそんなツラしてっと・・・・」


「父様・・・・」


蛮の台詞にマドカの愛らしい声が重なり、クン・・・とマドカが士度の服を引いた。
士度が彼女の方へ目を向けると、マドカがフォークに刺した苺を、士度へ差し出している。

「マドカ・・・」

士度が振り向いた気配を感じたのか、マドカの唇が弧を描いた。


「父様にこのイチゴあげるわ・・・・食べて?」


はい、アーン・・・――マドカはフォークを士度に近づけた。


「苺は・・・マドカの好物だろ?マドカが食べなさい・・・」


幼さが滲み出ている彼女のその行動に、士度は苦笑しながらも優しく答えた。

――あ、士度、なんだかお父さん口調だよ!!――そう言いながら跳ねた垂れ銀を、
――オメーは少し黙ってろ・・・!――と蛮が彼の首根っこを掴みながらカウンターに押し付けた。


士度の言葉にマドカは小さく、フルフルと首を振る。


「父様、何だかとっても悲しそうだから・・・きっとママがお空に行っちゃったからよね?
父様が一人で泣いていたとき、マドカがイチゴをあげたら、父様は“マドカのイチゴで元気になれた”って言ったでしょ・・・?
だから、コレ食べて、また元気になって・・・?」


ね・・・?――小鹿のような無垢な瞳を士度に向けながら、マドカは微かに首を傾けた。
長く細い濡れ羽色の髪が、サラリと彼女の細い肩を流れた。
士度は彼女のその言の葉に驚駭し、その姿に目を奪われ――暫く言葉を発することができなかった。


――あぁ、マドカは小さいときから・・・・こうやって誰よりも素直に、優しく・・・・人の心を感じることができたのか・・・・――


「・・・・そうか。そうだったのか・・・・」


士度はマドカの頭をゆっくりと撫でながら、柔らかな微笑をその貌に乗せた。

その場に居た者は皆、めったに見ない彼の表情に虚を衝かれたが、ただマドカだけが、素直な喜びを顔にのせた。

そして士度は瑞々しく光る苺を彼女のフォークから拝借すると、ゆっくりと咀嚼した。


「どう?父様・・・?」


心配そうにマドカが士度を覗き込んでくる。


「あぁ・・・マドカの苺で元気になれたよ・・・」


――よかった・・・!――士度の柔らかい声を追うように、マドカの安堵の声が狭い店内に輝いた。


――そうだ・・・マドカがこんなときだからこそ・・・俺が情けなねぇツラしてたら、いけねぇよな・・・――


たとえ“父親”としてでも、マドカは俺を必要としているのだから――マドカがくれた苺の爽やかな酸味が・・・士度の身の内に巣食っていた、ぎこちない戸惑いを洗い流してくれたかのようだった。


――どんなマドカでも・・・・俺は彼女コイツを守ってみせる・・・・――


そうだ、それはきっと、永遠の誓い――


穏やかになった士度の気配にマドカが手を伸ばそうとしたその時――

「士度様・・・少し宜しいでしょうか?」

喫茶店の扉を半分開けながら、執事の木佐が士度に声をかけてきた。
その声に士度が「あぁ・・・」と返事をすると――マドカが急に口を開いた。


「・・・・どうして?」


その場にいた一同の視線がマドカに向けられる。


「どうしてお兄さんは父様のことを・・・“士度様”って呼ぶの?父様は・・・・“父様”か“だんなさま”でしょ・・・?」


――士度様って・・・だあれ?――


マドカが最後に付け加えた一言が、その場に一瞬にして緊張を走らせた。

「マ、マドカちゃん・・・!」

ガタンッ・・・と大きな音を立てながら銀次が急に立ち上がった。

「ほら!ブルーベリーがまだ残っているよ・・・!食べちゃわないと俺が食っちゃうよ・・・・!」

マドカの関心は刹那、銀次の方へ向けられたが、士度がカウンター席から立ち上がる気配がすると、慌てて彼のシャツを掴んだ。

「父様・・・!」

――置いていかないで・・・――

マドカの眼がそう語っている。

士度はマドカの頬を優しく撫でた。


「大丈夫だ、マドカ・・・“父様”は少し外で話をしてくるだけだ・・・・」


彼のその言葉にヘヴンと木佐は目を見開き、銀次と夏実とレナは息を呑んだ。
マドカはまだ不安そうな顔をして、士度のシャツから手を離そうとしない。


「すぐに戻るから・・・ここでいい子で待っていなさい。」


頭に優しく手をのせられながら静かにそう言われ、マドカは「・・・はい。」と呟くと、渋々とその手を降ろした。

士度はクシャリ・・・とマドカの頭を撫で小さく微笑むと、木佐と共に外へ出て行った。

カラン・・と扉が閉まる音に、マドカが悲しそうに眉を顰めた。

「あ、マ、マドカちゃん・・・!ほら、このチョコクッキー美味しいから食べてみて・・・!」

夏実が慌ててクッキー・ボックスを開いてマドカに差し出した。

「わ、私カボチャゼリーなんか作ってみたんだけど・・・ちょっと味見してみて・・・!」

レナが黄色いゼリー状のものを急いで冷蔵庫から出してきた。

「ちょ、ちょっとレナちゃんそれは・・・・やめといた方がいいと思います・・・!」

垂れ銀がビチビチとマドカの周りを飛び跳ねる。

一気に騒がしくなった店内に、マドカは目を白黒とさせるばかりだった。


一方、大人組の間には暫しの沈黙が流れた。

波児はかしまし組の遣り取りにサングラスの奥で優しく目を細め、ヘヴンは心配そうに、扉の向こうを見つめている。

蛮が新しい煙草に火をつけながら一人言ちた。


「“父様”・・・ねぇ?いい覚悟じゃねぇか・・・・」


そしてフゥ・・・と紫煙を天井に向かって吐き出した。

そんな蛮に、波児が何か言おうと口を開きかけたとき、カラン・・・と再び扉が開く音がして、士度が一人で入ってきた。
その顔は心なしか蒼い。

そんな士度の様子を感知せず、マドカは士度の気配だけを汲み取ると、「父様・・・!」と明るい声を上げて、自分の隣の椅子を叩いた。

士度はそんなマドカに相槌を打ちながら蒼い顔のまま、彼女の隣に座った。


「・・・どうしたんだい?」


お冷を士度に手渡しながら波児は小声で士度に訊いた。


「いや・・・・この場合、当たり前っちゃあ、当たり前なんだが・・・・」


冷たい水を一口、喉に流し込むと、士度は搾り出すようにして声を発した。


「明日の夜・・・・マドカの親父が帰ってくる・・・・」


(((((・・・・〜〜〜!!?))))))


士度の言葉に一同瞬時に石化した――そして次の瞬間沸き上がってきたのは、士度に対する同情の念。


「――?父様!“オヤジ”ってなぁに?」


マドカの無邪気な声だけが、狭い店内にやけにクリアに響いていた。





 



士度の受難はきっとこれから・・・。