【6】
案の定、廊下は真っ暗だ。
階下へ急ごうとすると、後ろから「士度さん!モーツァルトが・・・」と不安そうなマドカの声がした。
見るとカーディガンを羽織っただけの薄いネグリジェ姿のマドカが、自室から出てきていた。
「俺が見てくる、ガラスが散らばっていて危ないだろうから、マドカは部屋にいろ。」
士度は振り向きざまにそう言うと、マドカをそこへ残したままそのまま温室へと急いだ。
見ると温室の屋根には巨大な木の枝が突き刺さり、その割れたガラスの隙間からは雨が容赦なく吹き込んで
常春の室内は実に無残な有様だった。
<モーツァルト!>
士度が呼ぶと、ク〜ンと温室の隅で情けない声がした。
<無事か!?>
<ダイジョウブ。コワカッタ・・・>
士度は震えるモーツァルトを抱え、とりあえず隣のティールームへと運んだ。
すると離れから執事とメイドが懐中電灯を片手に駆けつけてきた。
皆寝着や部屋着に上着を羽織って、着の身着のまま急いで出てきた風だ。
「あぁ、士度様!どんな様子ですか!?」
士度を見つけるなり、執事の木佐が慌てて聞いてくる。
「結構派手にやられてるな。今のうちに応急処置をしておかないと、温室の草花全部ダメになるぜ。」
その言葉を聞くと執事は懐中電灯をティールームの窓越しに照らして温室の方を伺い、その悲惨な状況にギョッとする。
「大変だ!お嬢様のハーブが!!おい、物置にあるビニールシートとロープとザイルを、早く!君は電気系統を!」
メイドたちに素早く支持を出すと、彼は士度に向き直り、
「申し訳ございませんが・・・・」と助けを求めた。
「あぁ、手伝う。急いだほうがいい。」
士度は温室の方へ再び足を運びながら応えた。
折れた枝は切り口から温室につきささり、中途半端に宙に浮いていた。
既に温室にはかなりの雨が入っていて小さな水溜りをいくつかつくり、風で室内の草花が揺れていた。
「こりゃ上から引っ張り上げるしかねぇな・・・」
状況を確かめながら士度は呟く。
「しかし、この時間ではクレーンの手配はもう・・・」
その枝の大きさに唖然としながら言う執事に、
「俺が上から引き上げる。枝が抜けたらビニールシートを投げてくれ。」
と、士度は戻ってきたメイドからザイルとロープを受け取りながら言った。
そして執事の返事を待たずに風雨吹き荒れる外へまわり、地上から3〜4mはある温室の屋根に身軽に跳び乗る。
ワァッとメイドたちの口から思わず歓声が上がった。
横殴りの雨風が士度の身体を叩く。
何とかはずれないようにザイルを枝にくくりつけ、引っ張り上げよう両腕に力を入れた途端、左腕に鈍痛が走った。
・・・・そういえば怪我してたんだっけな。
今日受けた銃創に今更ながらに士度は気付く。
この枝を片手で引くとなると・・・擬態したら手っ取り早いのだが、
散らかった温室をセッセと片付けている使用人たちのうちの一人が、ご親切にも下から懐中電灯でこちらを照らしている。
さてどうしたものか、と黒い空を見上げながら一時作業の手を中断していると、
<シド、テツダウゼ。>
下から声がした。
見ると東屋やテラスや物置で雨宿りをしていた仲間たちが出てきて、下から士度を見上げている。
<お前ら・・・風邪引くぞ。>
<ナニ、アメカゼシノゲルバショニイルダケデモ、メグマレテイルサ。>
ライオンの言葉に、ソウソウ、と他の動物たちも同意する。
ライオンがささっとザイルを放れとばかりに顎をしゃくった。
<・・・そうだったな。悪ぃな。>
士度は心底感謝しながら枝を結んだザイルを数本、庭の仲間たちに託した。
ライオンと、その周りに集まった数頭の大型犬たちがそれを銜える。
士度は獣たちにザイルを銜えたまま左右に転回するように指示を出した。
ギリ、と折れた枝が揺れる。
士度も右手で要の部分を固定し、腕に巻きつけた。
<落ちてくる枝を上手く避けろよ!・・・・よし、引っ張れ!>
士度は合図を送り、自らも渾身の力でザイルを引いた。
階下から士度と執事とメイドたちの声が聞こえ、慌しく動く気配がする。
ときどきチャリン、と割れたガラスが蹴られる音もする。
・・・・確かに、今下へ降りていっても自分が手伝えることはなさそうだ。
暗闇の中は平気でも、散らばったガラスの中を歩くことは自分はともかく、他の人々に心配をさせてしまう。
メイドが何も言ってこないことからしても、モーツァルトは無事だろう。
執事と士度との会話から、士度が外へ出て枝をどけるようだ。
−こんなに雨が降っているのに・・・−
士度には部屋の中にいろと言われたが、マドカは廊下の自室の前で膝を抱えて座り込んでいた。
叩きつける雨と窓を揺らす風の音と、どうしようもない自分の、士度への想いに翻弄されながら眠れずにいると
突如飛び込んできたガラスが割れる音。
慌ててカーディガンを羽織って廊下に出ると、すでに階下へ降りようとする士度の気配を感じた−
電気系統がすっかり落ちてしまっているので夜間暖房も効かず、廊下もすっかり冷え込んでいる。
マドカは徐々に冷えてくる自分の体を両手で抱きしめた。
−風雨に晒されながらも、この家の為に自ら進んで動いてくれている士度のことを思うと、マドカの心は熱くなる。
彼に今纏わりついている自然の涙に比べれば、こんな寒さなんて、なんでもない・・・。
ザッ!と引かれた枝とその葉が擦れる音がして、太い枝が温室から離れる。
そしてズンッと響く音を立ててそれは温室の真下に落ちた。
士度がすぐさま下へ飛び降りると、獣たちが駆け寄ってきた。
使用人たちがこちらへ懐中電灯を向ける。
<皆、大丈夫か!怪我はないか?>
<ヘイキ、アンガイラクナシゴト、ダッタワ。>
レトリバーが尻尾を振りながら士度を見上げて言った。
<サテ、コンヤハ、モウ、ヤスマセテモラウヨ。>
士度の腰に額を擦り付けるようにしながら、ライオンがオヤスミを言った。
<あぁ、皆、ご苦労だったな。ありがとう。>
仲間たちも士度に挨拶をすると、それぞれの寝床へ戻っていった。
−さて、と、こちらはもう一仕事だ。−
士度はもう一度屋根に跳び乗ると、下にいる執事にビニールシートを放ってくれるように言った。
そして受け取ったそれを風が邪魔をする中なんとか広げて、ロープを使い温室の屋根の四隅にある杭に結びつける。
穴の真下にあった大事な草花はもうどけてしまったようだし、この家のことだ、明日には早速ガラスを入れ替えるだろう。
今日のところはこの処置で十分、と判断した士度は雨を吸って重くなったパーカーに不快感を感じながら屋根を降りた。
士度はそのままティールームへ入ろうとしたが、上着から滴る雫を見て、足を止めた。
このまま入ったらこの部屋の上等な絨毯が台無しだな・・・
多少面倒くさく感じながらもとりあえずテラスで始末をつけることにする。
温室から執事とメイドたちが急いでこちらへやってくる。途中、執事がメイドの一人にお湯と包帯を・・・と言う声が入る。
そういえば・・・と士度はパーカーを脱いで自分の左腕をみると、真っ白だった包帯も雨を吸ってすっかり変色していた。
士度は絞ったパーカーをそのままテラスに置き、
その下に着ていた黒いシャツもずぶ濡れだったので脱ぐ為に裾に手をかけた。
執事やメイドたちがティールームに入った途端、士度の逞しい肉体が露になる。
その身体は全く無駄の無い筋肉で覆われていて、見事に引き締まっていた。
そして暗闇ではよく見えなかったが、広い背中をはじめ身体の彼方此方に古傷の痕があるようだった。
若いメイドの一人がこの暗がりの中で密かに赤面しながら、「・・・あの、タオルをどうぞ。」と士度差し出す。
「悪いな。」と短く礼を言って士度はそれを受け取った。
すると執事が士度の前に進み出て律儀にも礼を述べる。
「士度様、どうもありがとうございました。
おかげでお嬢様のハーブ類の鉢も無事に移すことができました。他の草花も大丈夫でしょう。
それで・・・先ほどの停電で電気系統が全てダウンしてしまいましたので、シャワーが使えない状態です。
誠に申し訳ございませんが、今日のところは身体を良く拭いてお休み下さいませ。明日朝一番で復旧させますので。
傷の方を消毒する分は、幸い浄水器に湯が少々残っておりました。こちらで手当てをいたしますので、どうぞ・・・」
十かそれ以上年上の執事に懇切丁寧に頭を下げられて、士度は僅かに戸惑う。
「・・・別に俺はたいしたことしてねーよ。礼なら外にいる連中に明日にでも温かいミルクでもやってくれ・・・。
あぁ、今日は適当に休むさ。」
メイドから替えのタオルをもう一枚受け取り、包帯を外しながらそれでも士度は答えた。
念の為傷口を確認してみる−広がっていない。薬も残っている。
士度が新しい包帯を手にすると、数時間前と同じようにメイドがそれを手伝った。
見ると、自分が着てたパーカーと黒シャツはメイドによってすでに回収されている。
傷の手当てが終ると、士度は乾いたタオルを首に掛け、「じゃあな。」と言って踵を返した。
「御苦労様でした。おやすみなさいませ。」と頭を下げる執事とメイドたちに「あぁ」と返し、士度は自室へ向かった。
長の子として他人に傅(かしず)かれることはよくあったが、こういうことは未だに−慣れない。
士度が階段を上がりふと目を上げると、マドカの部屋の前で当の本人が座り込んでいる。
「!マドカ!!」
とっくに部屋で休んでいるものと思っていた彼女を眼にして、士度が驚いたように声をかけると、
彼女は士度がいる方向へ顔を向けて、嬉しそうに微笑んだ。
もう少し続きます・・・。