【4】

      昨夜は柄にもなく、かなりうなされていたらしい。
      暗闇の中、パッと点く灯り、「士度さん、士度さん」と俺を呼ぶマドカの声、
      いつの間にか来ていたメイドが、慌しくタオルやら洗面器の水やらを取り替える気配、
      看護師が慌てた風にやってきて、勝手に何かを打ちやがった。
      畜生、たかだか肋骨が六・七本折れて、肺に穴が開いて、打撲傷が数箇所あるだけじゃないか。
      それなのにこのザマは何だ。全快したらすぐさまこの鈍った忌々しい身体を鍛えなおさなければ・・・。

      まだズキズキと痛む朦朧とした頭でそう考えながら、士度は迎えのリムジンにやっとのことで乗り込み、
      シートに身を沈める。後から乗り込んできたマドカも心配そうだ。

      思ったよりも具合が悪そうな士度の様子に、執事の木佐も運転席から思わず声をかけた。


      「士度様、お身体の方は・・・」


      「・・・あぁ、大丈夫だ。こんなの、少し休めば・・・ッ!」


      喋ったとたん、ズキリと傷が疼いた。マドカは士度の手を握り締めると、


      「木佐さん、車を出して下さい。」急いで、と指示を出した。


      ・・・・ットに情けねぇ・・・。動く風景を見つめながら、士度は自己嫌悪の渦の中にいた。



      今朝早く音羽邸に戻ってきてから、士度は身体を駆け抜ける痛みとずっと闘っていた。
      苦しみの中ひっきりなしに額に浮かぶ士度の汗を、マドカはこまめに拭いてくれた。
      そのヒンヤリと濡らされたタオルと、マドカの気配だけが妙に心地良かった。

      窓のテラスには鳥達が集まり、心配そうにこちらを覗き込んでいる。
      庭の動物達も士度のただならぬ様子を察してか、ソワソワと落ち着きがなく、
      時折心配そうな鳴き声が窓の下から聞こえた。
      マドカはベッド脇に置いたアンティーク調の椅子に座って、士度の変化を漏らすまいと頑張っていた。
      すると、「お嬢様、お電話です。」とノックをして入ってきたメイドがマドカに告げた。


      「今は出られません。後からかけなおします。」


      マドカは振り向きもせずそう答える。


      「あの・・・ヴィスコンティ様から来月のコンサートの件なのですが・・・」


      メイドの口から遠慮がちに出された恩師の名に、ピクリ、とマドカの肩が揺れた。


      「行けよ・・・。」


      士度は痛みを堪えながら優しく言う。
      けど・・・、と逡巡するマドカに、

      「恩師は大事にするもんだぜ。」

      と、苦しい息の中微笑みかけた。
      マドカは握っていた士度の手に力を込め、はい・・・と呟くと、ちょっとだけ行ってきます、
      と言って心残りがある素振りをみせながら席をはずした。


      マドカとメイドが去っていく足音を聞きながら、士度はため息を漏らす。
      もう、このまま無理にでも眠ってしまおうか・・・そう思ったとき、
      ふいに懐かしい香りが士度の鼻をくすぐった。
      初夏の午後の光が緩やかに差し込んでいる窓が、カタン、と開いて、
      春風が部屋に舞い降りた。


      「よぉ・・・」


      士度は痛む半身を起こしベッドヘッドに背を預け、目を細める。

      庭の木々がそよ風にざわめく音の中、その訪問者は慈愛の表情を士度に向けた。