【1】
パタン・・・・
リムジンのトランクが静かに閉められた。
「忘れ物はないか、マドカ?」
士度が玄関でメイドと話しているマドカに問うと、
「ハイ、大丈夫です!」
と、元気な声が返ってくる。
「それでは皆さん、ゆっくりしてきてくださいね。」
「ありがとうございます、お嬢様もお気をつけて!」
そんな遣り取りをメイドと交わしたあと、マドカは朝の優しい日差しをその背に浴びながら、士度の元へと駆けて来た。
執事の木佐が、スッと黒塗りの車の扉を開ける。
士度は彼女の背を軽く押してやりながらマドカが車に乗り込むのを手伝うと、すぐに自分も後部座席に身を滑らした。
彼の後に続いてピレニーズの雑種とゴールデン・レトリバー、ボーダー・コリーが乗り込む。
庭に住まう犬も数頭連れて行ってあげたい、というマドカの希望で愛犬たちの決をとったところ、
車で6時間の長旅と聞いてか皆あまり乗り気では無く、結局好奇心旺盛のこの三匹がお供をすることになった。
新幹線だと1時間ほどで着く距離になのに、料理の材料や食器、マドカの荷物、大型犬の同伴で結局はリムジン移動だ。
やがて車はゆっくりと走り出す。モーツァルトとボーダーは早速運転席側の座席を陣取り、惰眠体制に入った。
ピレニーズとレトリバーは足元に寝そべり、ご満悦。
マドカと士度はトランク側の座席に隣同士で座った。
大人が六人腰掛けても広いはずの車内が、愛犬たちのおかげで狭く感じる・・・
苦笑する士度の傍ら、マドカは足元のレトリバーの頭を膝の上に乗せて微笑んでいる。
向かう先は軽井沢―― マドカの提案で士度の誕生日を彼女の別荘で過ごすことになったのだ。
そう予定が決まってからのマドカは、至極ご機嫌だった。
今日という日を指折り数えて待っていたようだ。
他人の誕生日に対してどうしてそこまで思い入れを持てるのかと士度は不思議でならなかったが、
それがまして自分の誕生日となると、まんざら悪い気もしなかった。
嬉しい・・・・そう表現してもいいのだろうか、この気持ちは?
マドカと出会うまで、誕生日なんて気に掛けたこともなかった。
毎年その日に、また一つ歳を重ねる、ただそれだけの目安となる日。
誕生日を祝う―― そんな習慣など士度やその周りには無かった。
誕生日を訊かれた時、士度がマドカにそう答えると、マドカは意外そうな顔をした。
そして次の瞬間、花が咲くような笑みを湛えながらこう言ったのだ。
「じゃあ、私は士度さんのお誕生日をお祝いできる、二番目の人になるわけですね。」
二番目?
「だって、誰よりも先に士度さんの誕生日をお祝いしたのは、士度さんのお父様とお母様ですもの。」
素敵な誕生日にしましょうね、ずっと思い出に残るような・・・そんな誕生日に。
そう言いながら何時に無くはしゃぐマドカを見るのも、新鮮だった。
別荘地の様子、持っていくワインの話、森の中でバイオリンを奏でる心地良さ・・・彼女は前の夜、そんな話を飽く事無く続けた。
そして自分だけで料理をつくるのだと張り切っていたマドカは、その材料を揃えることに前日まで余念がなかった。
士度も高級スーパーへの買い物に付き合わされた。
マドカに言われるがままに食材を買い足していくと、籠の中身は士度の理解の範疇を超えるカタカナだらけの材料で一杯になった。
これだけの材料をマドカが一人で捌ききれるとは、とても思えない。
どうせ俺や執事が手伝うことになるのだろうけれど・・・両手一杯の荷物を抱えながら士度はそう思った。
さらに、マドカはともかく屋敷のメイド達も心なしか少し浮かれているようで、音羽邸全体の雰囲気がいつもと違った。
お抱えの運転手は孫の顔を見に行くとかで昼過ぎには姿を暗ましたし、執事とペット・シッターなる者が念入りに何か打ち合わせをしたりしていた。
別荘へ行く―― ただそれだけのことで、どうしてこんなにも周りの雰囲気が変わるのか・・・ここ数日士度はそのことが少し気になっていた。
「私どもは、二日間のお暇を頂いておりますから。」
他愛のないお喋りをしたり軽食を途中挟んだりしながら、一行はのんびりと車の旅を楽しんだ。
後一時間ほどで目的地、というところまで差し掛かったとき、
士度が、ここニ・三日の使用人達の様子の妙を話ついでに、運転する執事に訊いてみたところ返ってきた答えがこれだった。
「・・・木佐さん、アンタも?」
「はい、私も今日の午後から丸二日間、お休みを頂いております。」
「・・・・・」
「メイドさんたちは皆で温泉に行くんだって、張り切っていましたよ。」
マドカの無邪気な声が士度の耳に届いた。
「そう、か・・・・」
執事がバックミラー越しに士度の様子を窺うと、彼が少しこちらを睨みつけているように見えた。
その眼は語る――。
― アンタ、何考えているんだ?―
実直そうな彼の、予想通りの反応だ――。執事は再び前方を向いて運転に集中した。
そして、これから訪れるであろう彼の心の葛藤を少し気の毒に思った。
居候殿が、シートに深く身を沈める気配がした――。
彼の気配が硬くなったことを心配した女主人が、彼に労わりの声をかける。
「大丈夫だ・・・・」
そう彼女に答えたきり、彼は黙り込んでしまった。
ピレニーズが彼の心内を心配するように、クーン・・・と喉を鳴らした。
別荘に着いたのは昼過ぎだった。
車が止まるや否や、モーツァルト以外の愛犬たちは窮屈な車内から飛び出して、森の中へと駆け出した。
「暗くなる前に戻って来いよ!」
そう彼らに向かって叫んだ士度の声の調子はいつも通りだったので、マドカは少し安心した。
別段、車に酔ったわけでもなさそうだ・・・慣れない車での旅の疲れが、きっと少し出ただけなのだろう、
そうマドカは自分を納得させた。
暫くの間、士度は執事と共にリムジンから荷物を運び出すことに忙しかったので、
マドカも彼らの邪魔はすまいと、自分は久しく使っていなかった各部屋のチェックをすることにした。
別荘地の管理人が定期的に空気の入れ替えをしてくれていたお陰で、一年ぶりの訪問にも、どの部屋からも違和感を感じなかったし、
今回も事前に連絡しておいたからか、空調やベッドメイクまでホテル並に完璧に仕上がっていた。
マドカが二階のベランダで心地良い夏風に眼を細めていると、下から声がした。
「お嬢様!荷物は全て運び終わりました。ガスや電気系統も問題無いようです。それでは、私はここで失礼致します。」
「ありがとうございました!良い休暇をお過ごし下さい。」
ベランダから声のする方へ返事をすると、マドカは士度を迎えに行こうと階下へと急いだ。
途中、士度と執事が何か小声で話している気配がした―― そして士度の困ったような溜息。やがてリムジンが走り去る音。
マドカが階段を降り終えたとき、士度が丁度玄関から入ってきたところだった。
「・・・・あの、木佐さんが何か失礼なことでも・・・・?」
さっき微かに聞こえた士度の切羽詰まったような声に不安を覚え、マドカは恐る恐る訊いてみた。
「・・・・いや。何でもないさ。それより、結構イイ別荘だよな。吃驚したぜ。中を案内してくれるか?」
いつもの彼の声、いつもの彼の気配だ。
マドカはそんな士度の様子に安心すると、彼の手を引いて家の中を案内して回った。
―あとで木苺やハーブを摘みに行きましょうね・・・・それに森の空気を吸えば、長旅の疲れも吹き飛んでしまうはずだから。―
そんなマドカの声に耳を傾けることで、士度は邪念を振り払おうと必死だった。
彼と彼女の、長い一日が始まろうとしていた。
100のお題の“最後の夜”の続編、でございます。
全六話を予定しております。七月中旬までには完結予定。