our Secret Garden〜春を愛でる人〜


【2】

村はずれの終点で二人と一匹はバスを降りた。

目の前に小高く、鬱蒼とした森が人を拒んでいる。

バス停の脇にその森の中へと続く小道がひっそり延びているが、

その入り口の左右にある木々に太く頑丈な縄が張られ、そこには

「私有地につき、立ち入り禁止」

と朱文字で達筆に書かれた木の看板がぶら下がっていた。

士度はその看板の前で何やら呟くと、その縄を身軽に飛び越し、

立ち尽くすマドカを縄越しに抱えて内側へ入れてやる。

何故か怯えて縮こまっているモーツァルトにもこっちへ来るように促すと、

彼は嫌々ながら大きな看板の下を潜った。


「あの・・・ロープがあるってことは、入ったらいけないってことなんじゃ・・・」


「俺らはいいんだよ。」


「・・・・なんだかモーツァルトが凄く怖がっているんですけれど。」


「そのうち慣れるさ。」


「私も・・・なんだかゾクゾクするんですけれど・・・。」


「・・・俺以外の人間がここへ入るのは久方ぶりのことだからな。」


え?とマドカが次の質問を士度に浴びせる前に、


「もうすぐ理由が分かるさ。」


と、士度はマドカについて来るように促す。

マドカはロープの内側へ入れてもらった途端、別の世界へ足を踏み入れたかと思った。

先ほどまで感じていた心地よい田舎の風と空気と気温が、縄一本隔てた先で一変した。

穏やかな春風は、静寂で、規則正しく木々を通り抜けているような微風に変わった。

農家や畑の匂いを含んでいた空気は、ヒンヤリと冷たく、全てを清めるような清漣さを感じさせるものとなった。

気温も一気に下がった気がしたが、身体を駆け抜ける寒さは、温度から来るものではないような気がした。

左右からは緑の匂いがしてくるが

二人と一匹が歩く小道には草一つ生えておらず、柔らかな土の感触だけがマドカの足元から伝わる。

森の木々の間から差し込む木漏れ日も、マドカの頬を掠める度に冴え冴えとした感触をもたらした。

森の中では必ずするであろう、虫の声も、小鳥の声も聞こえない。

何より−士度と愛犬の他には森の木々以外の存在を感じられないのに、

“見られている”気配だけは感じる。視線だけ−まるで観察されているような。

すぐ前を歩く士度の足音がマドカの耳にははっきりと聞こえてはいるが、

この異様な空間の中では、いつそれすらも消えてしまうか分からない−

そんな恐ろしい不安がマドカを襲い、

マドカは不意に歩を早めると士度の隣へ駆け寄った。


「士度、さん。ここは何だか怖いです・・・。お隣を歩いてもいいですか?」


士度はマドカの怯えているような顔を見て目を伏せた。


「・・・少し“気”がマドカには強すぎたみたいだな・・・。気付いてやれなくてすまなかった。」


マドカにはその言葉の意味の半分も分からなかったが、

士度はやはり怯えて尻尾を丸めているモーツァルトのハーネスを外してやり、

嫌がるモーツァルトを先へ行くように急きたてると、彼の変わりにマドカの手を取った。

マドカがその大きな手を握り締めた途端−フッと今までマドカを追っていた視線が消えた。

周りの空気もほんの少し心地よくなったような気がする。

その急激な変化に驚いて士度を見上げると、士度は


「気分、マシになったか?」


と微笑んで、更に歩を進めた。

ゆっくりと、マドカのペースに合わせるように士度は歩く。

マドカとモーツァルトが得体の知れない場所に気をとられているうちに、

だんだんと目的地に近づく“気”がする。


「・・・お友達が、ここにいらっしゃるんですか?」


恐る恐るマドカが訊ねてきた。ここは人が住まう場所ではないように思えたのだ。


「あぁ、もう会えるさ。紹介するぜ。」


士度がピタリ、と歩みを止める。

マドカもそれに合わせて立ち止まり、道の先の気配を探ろうとすると・・・

途切れたように、その先に開けた空間が、ない。

目の前にあるのはおそらく左右と同じような道無き森。


「士度さ−!」


マドカが士度を見上げると同時に、士度は鋭く獣笛を吹いた。

甲高く、澄んだ音が異端の森に木霊する。

長く延びて余韻を残しながら尾を引くその音が消えようとする正にその時、


ザッ!!


と小道の前の森から、何かが飛び出してきて、マドカの目の前に大きな気配が踊った。

と同時に大きくフサフサしたものがマドカの顔を撫で上げながら通り過ぎる。


「!?」


突然の出来事にマドカは悲鳴を上げ、士度の腕にしがみついた。

キャン!!とモーツァルトも情けない声を出して士度の背後に身を伏せる。

木々の合間からクスクスと笑う声がいくつも沸いてきて、森に響き渡った。


「オイ!あまり脅かすんじゃねぇ!!」


恐怖で泣き出しそうなマドカを抱きながら、士度が怒鳴る。


<おやおや、久し振りの再会だっていうのに、第一声がそれかねぇ。>


クククッと含み笑いをしながらの揄声が何処からともなく降ってきて、

フワリ、と士度の目の前に巨大な白狐が降り立った。


「久し振りだな、幸庵老。」


<きっかり一年振りだで、士度。初めて他人を連れてきたねぇ。>


これは可愛らしい娘じゃ、と幸庵と呼ばれた白狐は挨拶代わりにマドカに頭を摺り寄せた。


「こうあん、さん?初めまして、こんにちは・・・マドカです。」


その大きくフワフワした感触に多少吃驚しながらマドカは恐る恐る白狐の頭に触れて挨拶を返す。


<?おや、面白い“気”を持つ娘さんじゃな・・・もしかして我々の言葉も多少解かったりするのかの?>


「・・・はい、あの、士度さんほどではないですけれど・・・」


「もう、普通の魔里人と変わらないくらいだ。」


触れたマドカの“気”の感想を述べた白狐に二人は口を揃えた。


<まぁ、士度は特別じゃて・・・ほうほう、これは珍しい。もともと良い耳を持っておるらしいし、
やはり士度の“力”の影響が強いようじゃな。
士度、お前さんも昨今はいろいろと難儀な目におうたようで・・・。
関東の野狐連から逐一聞いておる。
鬼魔羅 はもう馴染んだかね?>


「・・・まぁ、な。後でその事で話がある。」


士度の言葉にマドカは不安を覚え、彼を見上げて縋る手に力を込めた。

士度の心臓は−マドカを救う為にその灯を消した。

そして亜紋 の手によって鬼魔羅 が再び士度の胸に納まり新たな灯を燈したが、

それは魔里人と鬼里人のいわば“楔”。

その因果が、いつ再び彼を襲うのか誰にも分からないのだ。

そんな漠然とした不安を、士度もマドカも言葉にこそ出さないが心の奥底で抱えている。

士度はそんなマドカを見下ろすと、


「お前が心配しているようなことじゃねぇよ。」


と、安心させるように優しくその頭を撫でた。


<・・・ふむ、よかろう。ここで立ち話をしていてもなんじゃし、
“中”へ入ろうかね。お前さんと、娘さんと・・・あのチビ助はどうするかね。
喰ろうていいのか?>


士度の背後で小さくなっているモーツァルトを見据えながら舌なめずりをする幸庵の言葉に

マドカは蒼褪め、士度は小さくため息を吐き、哀れモーツァルトは震えて失神寸前だ。


「いや、コイツはマドカの“眼”だから、喰うのはちょっと・・・な。」


<おや、残念。おい、皆の衆、駄目だとよ。>


−アラ、ザンネン・・・−

− テキドニ、コエテイテ、ウマソウナノニ −

−コイツガ、コンカイノ、ミヤゲ、ジャナカッタンダ・・・−


モーツァルトにしてみればとんでもない声の数々が、頭上で木霊した。


<やれやれ・・・それでは士度、他の通行料を貰えるのかね?>


あぁ、さっきバスの中で士度さんが話していたことは本当だったんだ、とマドカは合点がいった。

一方士度は持っていたバスケットに手をいれて、少し大きめの包みを取り出す。


「これでどうだ?」


白狐の前に広げられたのは、美味そうに光る油揚げの束。

その量と匂いにほぅ、と白狐がため息をつくと、

周りの木々もざわめいた。

幸庵が徐にパクリ、とその中の一枚を賞味する。


<ふむ・・・大豆も上等なものをつこうておるな。味付けも絶品じゃ。
我は来年もこれを所望するぞ、士度。>


「・・・・これはコイツの家で使ってるモンだとさ。マドカんちの料理人に用意して貰ったんだよ。」


<ほぅ、そうかね。娘さん、スマンがしばらくの間コヤツを捨てんでやってくれんかのぉ?>


そうでないと毎年この美味い油揚げが食えんなる、と幸庵は至極真面目にマドカに謂う。


「!士度さんを捨てるなんて、そんな・・・」


「・・・俺は油揚げを釣るエサかよ。」


それぞれ別の方面に顔を曇らす若いカップルに、森は再び楽しそうに揺れる。


「・・・ほら、通行料は払ったぜ。いいかげん入れてくれよ。」


化かし合いはもういいだろうと士度がぼやくと、よかろうて、と幸庵がパッと身を翻した。


<今日は良い感じに吹雪いておるわ。
娘さんは士度に担いでもらったほうがいいの。そこのチビはなんとかついて来い。>


マドカが言葉を発する前に、士度は彼女を横抱きに抱き上げ、

モーツァルトは白狐の言葉にまたしてもウンザリ顔だ。


「どこへ・・・・」


とマドカが士度を見上げた瞬間、グラリ、と空間が歪んだ様な感じがして

次の瞬間には暖かい春風香る“何処か”へ着いたようだった。

士度はそっとマドカを下ろす。柔らかい土の感触が足から伝わると同時に

あの大好きな香りがマドカの鼻を、否、身体全体を包み込んだ。

その地は春爛漫。

士度とマドカの目の前には見事な桜の木々が

異世界へ導くがごとくの並木をなしており、頭上は高い青空が見えなくなるくらいの桜雲、

足元には花弁の絨毯が引きつめられ、そよ風に桜花が舞っていた。


「・・・・・綺麗。」


ポツリ、とマドカが呟いた。

彼女の“見えない”眼にも視覚を飛び越えてダイレクトに伝わってくる桜の園。

その馨が、その花弁の感触が、身を通り抜ける風の流れが、

この異郷をマドカに直に伝える。

タッっとマドカが桜の並木の中へ駆け出した。

それに続くモーツァルト。

桜吹雪の中をマドカは駆け抜け、スカートを翻して可憐に舞う。

花弁がマドカを歓迎するように天上から降ってくる。

マドカの動きに合わせて、足元の桃色の絨毯も波打った。


「士度さん!」


マドカは桜並木の入り口で立ち尽くしている愛しい人の名前を呼んだ。

桜の雨の中で踊るこの小さな桜人の美しさに心を奪われていた士度は、その声に我に還る。

彼女は、風に舞い散るその長い黒髪をかきわけながら士度の方に向き直り

そしてその桜唇から何か言葉が紡がれた−。


「−−−−−!」


その瞬間、つむじ風がマドカと士度の前を横切り、彼女の言葉を掻き消した。

桜の壁が士度とマドカの間に一瞬割って入る。

そして風が通り過ぎ、舞う花弁が晴れたとき、士度の目の前には誰もいなかった。

−数ヶ月前、鬼里人に彼女を攫われたときと同じ悪寒が士度の背を駆ける。


「マドカ!!」


切羽詰った声で士度はマドカの名を呼び、彼女が居たところまで慌てて駆け寄ると、その足元で


「どうしたんですか?」


と、愛らしい声が聞こえた。

見るとマドカは桜の海に身を浸し、その花弁が彼女の可憐な指先で踊っていた。


「・・・・なんでもねぇよ。」


士度は密かに安堵のため息を吐きながら、

照れ隠しかドサリ、と少し乱暴にマドカの横に腰を降ろした。

そう、ここには俺たちを狙う敵なんていやしない・・・なのに・・・。


「?変な士度さん。」


クスクスとマドカは無邪気に笑い、その身をスッと士度に寄せてきた。

桜雪がハラハラと静かに、二人の元に舞い降りる。

桜の匂いと、暖かな春風と、花弁が舞う音しかしない、静寂の時。

その中に色づいているのは、寄り添う二人の穏やかな鼓動。


「士度さん・・・」


マドカがそっぽを向いている士度に呼びかけた。

士度がマドカを見やると、彼女は俯きながら問うてきた。


「あの・・・さっき、幸庵さんが・・・士度さん、初めて他人を連れてきたって・・・」


あぁ、そのことか、と士度は再び眼を桜に戻しながら答えた。


「ここは元々・・・四木族の冬木の長が代々受け継ぐ隠れ里だ。
中に立ち入ることを許されるのは、本人と、その直系の家族と、
いずれその番(つがひ)となることを、ここの守狐に認められた者のみ。
長が生きているころは毎年一緒に来ていたが、村が焼かれ、長が死んでからは
俺がここを受け継いで一人で・・・。まぁ、そんなところだ。」


「!じゃあ、私・・・・」


マドカは自分の体温が上昇したのを感じた。

あぁ、それはいつか士度さんと−−。

向こうを向いたままの士度の表情がもっと知りたくて、彼の顔へと手を伸ばす。

自然と、彼女の身体が士度の上へ乗る形となった。

触れた彼の顔も、熱い。


「!あ、あのな、今回は幸庵が勝手にそう決めただけで、
お前がそのことについてどう思っているとかは
全然考えて−−−!」


「−−嬉しい・・・です。」


士度が早口にまくし立てる言い訳を遮るように、マドカはそう言の葉を紡ぐと、

その桜の花びらのように柔らかな唇をそっと、士度の唇に重ねた。

身を乗り出したマドカに押されるように、士度は彼女と共に桜の中にその体躯を沈める。

ピチャリ、と二人の口元から甘い音が漏れ、周囲の空気を赤く染める。

士度は素早くその身体を入れ替えると、

 桜の中に綺麗に弧を描いて広がる彼女の黒髪を掬い、口付けた。

マドカのその艶めく唇をそっと指で触れると、マドカは恥らいながらも士度の長い指先を口に含くむ。

士度がその媚態につられるようにマドカの首筋に顔を埋め、

彼女が身を捩じらせ甘い吐息を漏らした瞬間−−



<マドカ〜オナカスイタァ〜>


モーツァルトがもう我慢できないと訴えながら、快楽を捕らえかけたマドカの顔をペロリと舐め上げた。


「!!モーツァルト!」


マドカは愛犬の突如の乱入に赤面しながら我に返り、

士度はガックリと桜に顔を埋めて肩を震わせている。

桜の木々の間で気配を消しながら固唾をのんで

若い二人の事の成り行きを嬉々として見守っていた幸庵をはじめとする眷属たちも

思わず深いため息を吐いた。


「〜〜!お前、ちょっとは遠慮しろよ!」


<ナニヲサ!オヒルノジカンハ、トックニスギテルヨ!>


モーツァルトの首根っこを掴み叱る士度に対し、小さな盲導犬も正論をもって反撃する。


「ごめんね、着いたらお昼にしましょ、って言ったものね。
皆さん、ご飯にしましょ。」


マドカはスッと立ち上がり、バスケットの元へ駆け寄る。

狐さんたちもどうぞ、とチラチラと気配を出し始めた眷属たちにも、マドカは声をかけた。

春の園で、穏やかなランチタイムが始まった。



 


まぁ、このくらいだったら未遂なので表でもいいかなぁ・・・と(笑)
管理人、狐ラヴでございますv狐うどんも狐そばもお稲荷さんも妖狐も好きです(・・?)
夢は京都の伏見稲荷大社を詣でること・・・とか。
狐は神秘的な動物ですので、魔里人にとってもきっと特別なものがあったのでは、
と、勝手に思っておりまするv

士度が縄の前で呟いた言葉は結界を一時的に解く呪文、
桜吹雪の中マドカが士度に向かって紡いだ言葉は−ご想像にお任せいたします☆