【4】
「・・・で、川で溺れていた子供を助ける羽目になって、士度クンは都合よく頭を冷やせたというわけ。おしまい。」
ヘヴンはフッ・・・と溜息をついてアイス珈琲に口をつける。
「それは・・・」 事のいきさつを聞いた夏実が頭を抱えた。
「・・・士度さんが・・・」 レナがカウンター裏の扉を見つめた。
「悪い・・・の、かな・・・?」 銀次が珈琲カップに視線を落としながら冷汗混じりに呟いた。
「そう、でしょうか・・・?士度の発言は彼なりの気の使い方だと僕は・・・・」
花月が士度を庇うような発言をしたとき、バンッ!とカウンターが勢いよく叩かれた。
「士度さんが悪いよ!」 レンがガタンッと音を立ててカウンター席から立ち上がり、肩を震わせながら大声でそう叫んだ丁度そのとき、
カウンターの奥から士度がタオルで頭を拭きながら現れ、虚を衝かれたような顔をした。
HONKY TONKの常連客たちも彼女の発言に目を丸くしている。
それでもレンの勢いは留まることを知らない。
「どうして“出て行く”なんていっちゃったの!?オレ、士度さんの彼女には会ったことはないけれど、
誤解されるようなことを記事に書かれて、その人、きっと不安で一杯だったと思うよ!
不安な時ほど、大好きな人には傍にいて欲しいのに・・・。
“迷惑になる”とか“出て行く”なんて逆のこと言っちゃうなんて、士度さん酷すぎるよ!!」
目の前に現れた士度にそう捲くし立てるレンを、花月が「まぁまぁ、少し落ち着いて・・・」と窘める。
カウンターの隅に腰を下ろした士度の目の前に、「はい、ブレンド。お待ちどうさん。」と波児が滑るように珈琲を置いた。
波児に軽く目礼しながら、士度はレンの方をチラリと見た。彼女は一人憤然たる面持ちで士度の方を睨んでる。
「・・・レン。マドカはそれなりに有名人だから、俺の存在が外に露呈した時にまた今回みたいな記事を書かれかねないだろ?
だから俺は・・・」
「士度さん、彼女の傍にいる自分に自信がないんだ?」
レンの正直すぎるが的を射ている問いに、常連組は苦笑する。
「−−!!そーじゃねぇよ・・・・。別に離れることになったって、俺はマドカのことをいつも近くに感じて・・・」
士度のその言葉にレンが意外そうな表情をした。
一方、士度はヘヴンや夏実やレナがウンウンと頷きながら楽しそうに聞いているのに気がつき、
自分の台詞が気恥ずかしくなり最後まで言うのをやめた。
「とにかく、俺はマドカを妙なことで煩わせたくねぇんだよ・・・!」
「で、結果裏目にでちまってるじゃねぇか。」
士度の呟きに畳み掛けるように、蛮が煙草を咥えながら呆れたように揶揄した。
ちょっと・・・蛮ちゃん・・・!−−犬猿の仲の二人がまた争うことになると危惧した銀次の思いとは裏腹に、
「そーなんだよな・・・」
と士度は珈琲を口にしながら、蛮の言葉に同意する。
おや、珍しい・・・−−その場にいた誰もがそう思った。今回の士度のダメージは相当のようだ。
「でも、ねぇ。そんな記事でへこたれる程マドカちゃんは弱くないって、君が一番知っているんじゃない?」
「・・・あぁ。」
波児の台詞に士度は目を伏せた。
「そーよねぇ・・・今回だって彼女があんなに狼狽えたりしたのは士度クンのことを思ってのことよねぇ・・・」
「・・・そーだったのか?」
ヘヴンの言葉に顔を上げた士度の面を、レンが飽きれたように見つめた。
「女性の気持ちに関してはとことん鈍いってところは、士度は昔から変わってないね・・・!」
「え・・・?かづっちゃんそれって・・・え?士度ってそうなの?」
花月の言葉に興味津々に喰らいついてきた銀次の首根っこを掴みながら、
「よけーなこと言うんじゃねぇ・・・!」
と士度は僅かに赤面しながら花月に小声で悪態を吐く。
「・・・でも、いずれにせよ士度さんの一言がその彼女を傷つけたんだから・・・・。
さっさと謝っておいた方がいいと思うよ?直接会うのが恥ずかしいなら電話ででも・・・」
「恥ずかしいって・・・レン、お前な・・・・。」
そんなことねぇよ・・・−−そう溜息交じりにぼやきながらも、士度は反射的にジーンズのポケットに手をやった。
−−しかし、そこにあるはずの携帯電話がない。
あぁ、そういえば着替えたときに・・・士度は紙袋を開けて、最初着ていたジーンズのポケットを探ってみた−−あった。
「〜〜!!士度クン!?アンタ携帯をポケットに突っ込んだまま川に飛び込んだの!?馬鹿じゃない!?〜〜あーあ・・・。
もうこれは駄目だわ・・・」
士度の手の中にあるずぶ濡れの携帯電話を引ったくり、その機能が沈黙していることを確かめたヘヴンはガックリと項垂れる。
「お、猿マワシの携帯がおしゃかか!?それじゃあ奪還依頼は暫く俺らGBの方へ・・・」
「士度クン!新しい携帯買いに行くわよ!!いざというとき士度クンが捕まらなかったら商売上がったりになっちゃうわ・・・!」
蛮の驚喜の声を綺麗サッパリ無視しながらヘヴンは士度の襟刳りを掴むと、貴重な収入源を急かし始めた。
いざという時ほどGBに声をかけてください・・・タレ銀次が涙を流している横で、蛮はヘヴンと恒例のバトルを始める。
士度は別に断る理由もないので、渋々と腰を上げた。
「そんな奴は放っておいて、さっさと行こうぜ仲介屋。俺も早く帰らねぇとまたマドカの機嫌を・・・」
・・・損ねちまう。
最後は聞こえるか聞こえないかの小さな声で呟くと、じゃあな・・・と言いながらカウンターに小銭を置いて足早に扉へと向かった。
「し、士度さん・・・!」
慌てて呼び止めたレンの声に、士度は立ち止まる。
「あ、あの・・・オレ、今日は生意気なことたくさん言っちゃったけれど、でも、オンナノコって、その・・・強いけど繊細っていうか・・・・」
「・・・レン、今度マドカに会いに来てやってくれ。・・・お前とマドカは話が合いそうだ。」
先程までの勢いは何処へやら、赤面しながら懸命に話すレンに、士度は短くそう言うと、
少し自嘲気味な笑みを残して扉の向こうへ消えて行った。
ちょっと!待ちなさいよ!!−−ヘヴンも慌てて支払いを済まし、士度を追って喫茶店を後にする。
半ば呆然と二人を見送ったレンは、チラリ・・・と隣にいる花月の方に目をやった。
その視線に気がついた花月は、「よかったね・・・」とでも言うように、軽やかな笑みをレンに向けた。
レンは溢れそうになる喜びの表情をかみ殺しながらストン・・・と再びカウンター席に腰を下ろす。
新しい友達ができるかもしれない・・・そんな期待と、花月が自分に向けてくれた華のような笑顔に、心は躍っていた。
「『帰る』って・・・士度は言ったね・・・」
アイス珈琲のストローを弄りながら、花月が誰に言うでもなくポツリと呟いた。
レンはそんな花月を不思議そうにみつめる。
「・・・やっぱり士度が『帰る』場所は、マドカさんのところなんだね・・・」
――そして彼女もきっと士度の帰りを待っているんだね・・・――
そう言いながら一人遠くを見つめる花月の表情に、レンの心がズキリ・・・と痛んだ。
自分の隣に座っている大好きな人の綺麗な貌を今彩っているのは、羨望と・・・寂しさ?
「・・・・皆にも、『帰る』場所があるだろう?」
波児の穏やかな声が店内に響き、花月の顔を放心するように見つめていたレンはハッと我に還った。
「・・・そう、ですね。」
そう答えた花月の瞳はしかし、何処か揺れているようだった。
(・・・・ドコだろう?花月さんが『帰る』場所は・・・・?)
一抹の寂しさがレンを襲った。
(オレも・・・いつか・・・・士度さんと、士度さんの彼女のような・・・・)
かけがえのない存在の場所に『帰る』ことができるのかな・・・『帰る』場所に・・・なれるのかな・・・。
「私の『帰る場所』はココ・・・だから。」
レンの瞳が花月の横顔を捉えて離さないでいると、レナがそう言いながらガチャガチャとわざと音を立て俯き加減でお皿を洗い始めた。
「私も・・・皆がいるもの。」
豆、取ってきますね・・・!夏実がカウンター裏に姿を消した。
「俺は・・・」
銀次はチラリ、と蛮の方に目をやった。
「・・・・なんだよ。」
蛮は相変わらず不機嫌に煙草をふかしている。
「・・・・あ、いや・・・」
(蛮ちゃんの隣で・・・いいのかな・・・?)
銀次は目を泳がせながら残りの珈琲を嚥下した。
「〜〜!!ったく、何で皆猿マワシの辛気臭い雰囲気にやられてるんだよ!!オラ、銀次!ビラ配りにいくぞ!!」
「え、えぇ!?今から〜?あ、ちょ、ちょっと待ってよ、蛮ちゃん!!――かづっちゃん、またね〜!!」
蛮と銀次は騒がしくHONKY TONKから出て行った。銀次に手を振った後、花月はフッ・・・と短く溜息を吐く。
(花月さん・・・?)
士度が出て行ってから何となく元気がない花月の様子が、レンは妙に気になった。
「さて・・・僕らも行こうか、レン?」
花月が徐に立ちあがったので、う、うん・・・と返事をしながらレンも後に続く。
(今、花月さん・・・・『行く』って・・・『帰る』じゃなくって・・・・)
彼の一挙一動が、レンの心を大きく揺さぶる。
そして、こんなとき・・・例えば、二人で何処か別の場所へ移動するとき。
士度さんは彼女の手をとったりするのだろうか?あの堅物そうな彼が。
レンは自分と花月の手の間にある空間を刹那的に見つめ、慌てて頭を振った。
そして、
「マスター、ごちそうさま!」
と、努めて明るく言うと、先に扉のほうへ向かった花月の後を追った。
(そう、オレは・・・この人の傍に、ずっといたい・・・・)
今日、士度に向けて発した言葉の数々は、自分の内なる叫びだ・・・・
「お先にどうぞ。」
カフェの扉を開けて花月はレンを恭しく促す。
(こんなことも・・・士度さんは彼女に毎日しているのかな・・・?)
ありがと・・・レンは僅かに赤面し、短く礼をいいながら外へ出た。
「またおいで。」
そう言った波児に花月が会釈を返している。
(花月さんは・・・オレの気持ちに気付いているのかな・・・。)
士度さんと、士度さんの彼女・・・花月さんと、オレ・・・・
(士度さんの彼女も、オレが時々花月さんに感じるみたいに・・・“遠い”って、思うことがあるのかな・・・。
あ・・・だから今日士度さんは失敗したんだっけ・・・)
「・・・レン?行こう。送っていくよ。」
ボンヤリとそんなことを考えていたレンに、花月が声をかけた。
我に還ったレンは、慌てて花月の方に向き直る。
「か、花月さん・・・!」
「うん・・・?」
「あ、あの・・・ここ、連れてきてくれてありがとう!いい喫茶店だね・・・で、できればまた・・・」
・・・一緒に来たいな。
「そうだね・・・また一緒に来よう。今度は士度にマドカさんも誘ってもらって。いいお嬢さんだからきっとレンも仲良くなれるよ。」
レンが最後の言葉を言う前に、花月の綺麗な声がレンの耳に届いた。
その言葉にレンは目を丸くする。そして満面の笑顔で大きく頷き、花月と共に無限城に向かって歩き出した。
(――今はまだ・・・一緒にいられること・・・こうやって隣を歩けることが嬉しい・・・。それでいいんだ。)
隣を歩く花月との距離を縮めながらレンは花月の髪飾りの鈴の音に歩調をあわせた。
管理人は士度&花月、花月×レン、そして士度&レンも密かに応援しております・・・!
レン&マドカ話も書きたいところ。伏線になるかしら。