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♪ “ Reise,Reise....Ich suche nach dir, weil ich dich doch einmal sehen
möchte, weil ich deine Stimme hören will....Du musst so schön
sein,
wie deine Träume, die du mich wieder und wieder erzählt hast.....Ich
kann mir nur die vorstellen, ich kann nur an dich denken,
und ich träume davon, einmal dich zu fangen, dann werde ich dich so
stark umfassen.....Wo bist du denn eigentlich ?
Ich bin des Versteck schon überdrüssig zu spielen.....Komm jetzt
endlich her !
Wenn jemand dich quält, so merze ich die alle Kerle aus, mit
meiner gewaltigen Melodei ! ” ♪
「・・・・あかん、重症やわ・・・」
笑師は舞踏鞭片手にポリポリと頭を掻いた。
心地良い潮風に乗って流れてくる詩(うた)を、あぁ、士度はんって案外センチな詩人やったんやなぁ〜とその意外性に少し嬉しくなりながら聴いていたのに・・・・。
終盤徐々に荒々しくなってきたその詩のトーンと内容に、嫌な汗が吹き出てきた。前言撤回、これはそーとー苛ついとるわ・・・・。
隣ではビキニにホットパンツ姿のヘヴンが、お腹を抱えて笑っている。
「せっかく途中まではロマンチックで素敵な歌だったのにねぇ・・・。」
後半がそれじゃあ、女の子は逃げちゃうよ・・・・ 風の流れを確かめながら、波児はフッと溜息を吐いて彼らのリーダーの方を見つめた。
甲板に集合してそれぞれリラックスしている様子の男たちからも、忍び笑いやら賞賛の声やら好奇の眼差しやらが飛び交ってくる。彼らの目の色、髪の色、肌の色は千差万別で、まるで人種の見本市が開かれているような有様だ。
デッキの特等席でハンモックに揺られながら、鼻歌交じりに自作の詩を口ずさんでいた男がムクリ・・・と起き上がった。
その顔には“不機嫌”の文字が張り付いている。ハンモックの下では、黒光りするしなやかな身体を伸ばしながら、大きな黒豹が欠伸をしていた。
「・・・・士度様。」
その男の傍らに控えていた、流れる銀髪とサファイアのように青く煌く瞳を持つ背の高い美丈夫が、彼の主(あるじ)の名を呼びながら、スッと冷えた水筒を手渡した。
「最近外れが混んで、大分イライラなさっているのも分かりますが・・・・愛の詩はもっと優しく、穏やかに締めくくった方が良いかと・・・・」
私が言うのも何ですがね・・・と彼は苦笑しながら、主の少し寝乱れたバンダナを整えてやる。
・・・・ただ戯れに詠っただけで、別に愛の詩でも何でもねーよ・・・・ 士度、と呼ばれた男は、そう呟きながら水筒の水を一口含み、その冷たさに顔を顰めながら嚥下すると、ブラウ、お前の方が詩の才があるっていうのは確かだぜ? と言って、皮のそれをそのままその従者に返した。
「オレは好きですけれどね・・・・先程の士度様の詩。」
彼の足元でナイフを研いでいた別の男が静かに言った―― その風貌は、ブラウ、と呼ばれた男と寸分違わず、ただその眼だけは紅く閃くルビーの色。
特に最後のフレーズは、これからのオレたちに相応しい・・・・そう一人言ちながら彼は、手元にあるカタールの握り具合をもう一度確かめた。
「・・・それは、そうだな、ロート。」
弟の台詞に、ブラウも納得がいったように同意した。 「お頭(かしら)!――あと十分程で“赤蜥蜴”の船とかち合いますぜ!!」
見張り台から遠見の船員が声を張り上げた。その声に軽く手を上げることで答えると、士度はトッ・・・と身軽にハンモックから飛び降りる。
デッキで思い思いに過ごしていた男たちの目つきが変わった。それぞれが各々武器を取り上げる音が広い船の上で響きだした。
「・・・・首尾はいつも通りに。ただ今回の獲物は飛びっきりの下衆どもばかりだ。情けはいらねぇ。一人残らず叩き潰せ。あと親玉を見つけたら殺さずに俺のところへ引き摺って来い。」
「賞金が掛かっているからか?」
王都からの御達しじゃあ、生死を問わずだったはずだが・・・・ オールドタッチの立派な金の髭を蓄えた筋骨隆々の猛者が、士度に問いかけてきた。
「・・・・少し聞きたい事があるんでな。レーヴェ、奴等のどてっぱらに穴を開けるのは奴隷を全員こっちに移し終えてからな。それまでは奴等の大砲ぶっ壊して、銃撃隊で牽制してくれ。」
「アイサー、キャプテン。」 その砲弾長は人懐っこくウィンクをしながら軽く敬礼をした。
「通信班、監獄船は“血雨”号を呼んでおけ。あと薬屋にも寄らせるように伝達を。」 アイサー! 元気よく返事をした数人の若者たちが、鳩小屋へと駆けて行った。
「・・・・ジャッカル呼ぶの?アンタもそーとキてるわね。奴さんは大喜びでしょうけど・・・・」
ヘヴンが麦藁帽子で自身を扇ぎながら呆れたように言ってきた。・・・・奴等も地獄ってもんを見りゃぁいいんだよ―― それより今日は怪我人が増えそうだからな、テメェも気ぃ引き締めとけよ!―
そんな士度の言葉にヘヴンヒラヒラと手を振りながら、 でも皆なるべく怪我しないでね〜v と武器を手にする男たちに投げキッスを送った。群れからは返事の代わりにいくつかの口笛が飛んで来た。
「・・・・赤蜥蜴のボスと・・・もう一つの賞金首を確保したら、借金チャラになるのか、波児?」
「チャラどころか、船をまた修理に出してもお釣りがくるよ。途中借金作ってまでして進路変更した甲斐があるってことさ。」
しかし海軍も気がきかねぇよな・・・・何が特例課税だ、バカヤロウ―― 波児の言葉に重ねるようにして文句を言う士度に、丸い黒眼鏡の航海長は苦笑する。
「こっちの射程距離に入りました!」 見張り台から声が飛ぶ。
士度がスッと手を上げると、男たちは素早く戦闘配置についた。
「よし!奴等の巨砲を狙え!―――撃ぇ――!!」 レーヴェの合図と共に黒いギャリオン船が火を噴いた――― 開戦の狼煙が上がった。
「――― 思う存分魔の歌を歌って来い、野郎共!!」
若き頭の喝に一同から雄叫びが上がる。
「ほな、行きまっせ〜〜!!」
笑師の合図と共に、突撃隊が前に出た。いくつもの長い鞭が撓り、紅塗りの船を捕らえる。
奪還屋グループ、シリウスの母船、黒塗りのローレライ号から十数人の男たちが鞭をロープ代わりに巧みに使いながら勢い良く、海賊団“赤蜥蜴”の本船に乗り込んて行った。
「一人目!!」
誰かの声と共に血飛沫が上がり、鮮血が青空に舞った。銃弾が飛び交い始め、士度の背後にあった予備マストに向こう側から撃ってきた大砲の弾が直撃する。一方敵方の主帆は既に先の一撃で赤く燃えていた――。男たちの祭りが始まった――
怒号と硝煙が二つの船を往復し始めた。やがて漂ってくる血の臭い。剣の交わる音が士度の野生を駆り立てる。獲物を狙う狼の如く鋭い眼光で彼は戦況を見極めると、自分の両サイドに控えているブラウとロートに、まるで散歩にでも誘うように言った。
「さて、俺達も行くとするか・・・・」
ブラウは優しい眼差しで士度を見やり、手にしていた長槍を多節鞭の形へと変化させた。ロートの紅い瞳がギラリと光り、両の手に収まっているカタールもそれに呼応するかのようにその存在を主張した。士度がタルワール(反身の長剣)を肩で担ぐようにすると、足元で寝そべっていた黒豹がムクリと起き上がって、戦場に向かって唸り声を上げる。黒髪の青年のバンダナが風に翻った。
そして彼らは銃弾の雨を巧みに縫いながら、血煙の中に飛び込んで行った―――。
バシュッ・・・・
返り血が白いシャツを濡らした。士度は顔色一つ変えない。そして次の刹那には、その手にした刀はすぐ隣で剣を振り上げていた十数人目の犠牲者の腕を切り落としていた。遊撃隊のハキムのチャクラムが空を飛び、一瞬で数人の敵の喉元を切り裂いていくのが見えた。変則的に動く飛び道具にも関わらず、決して味方に当てることがないその手腕は何時見ても鮮やかだ。今度その使い方を教えてもらおう――
敵の剣を刀身で受け、ドゥサック(二次短剣)でその腹を払いながら士度はそんなことを考えていた。すると、隣で海賊の喉仏を食いちぎっていた黒豹、アマデウスの動きが止まった。耳をピンと立て、鼻をヒクヒクさせている。
<シド、ハナノニオイガ、スル・・・・>
「あ゛ぁ!?」
海上で花なんて、何言ってるんだテメーは・・・・自分にだけ聞こえる相棒の台詞に士度は溜息を吐く。そして士度もその人並み外れた嗅覚を研ぎ澄ましてみるが、鼻に飛び込んでくるのは、汗と血と硝煙の臭い・・・・しかしまぁ、コイツが嗅ぎつけたモノでハズレは滅多に無い。豹のくせに人間以上に光物が好きな奴の鼻は、金銀財宝の臭いを余す事無く拾ってくる。今回も飛びっきりのお宝の臭いを嗅ぎつけたのかもしれない。それが悪名高いこの海賊グループの船上でなら尚更だ。各地で略奪と殺戮の限りを尽くしてきたこいつ等は、きっと宝庫以外の処にも何か価値あるものを隠していることだろう。動いている敵の数も目に見えて減ってきた。それに比べてウチの連中はまだまだ元気だ。この船が堕ちるのも時間の問題だろう。それに敵の肉を感じるのもそろそろ飽きてきた頃だし・・・・
「オイッ!コイツと一緒にちょっくら宝探しに行ってくる。」
長剣を一閃して目の前にいた数人を薙ぎ払いながら、自分の前後で同じく返り血に塗れているブラウとロートにそう告げると、士度は彼らの返事を待たずに駆け出すアマデウスを追った。主人の声を聞くや否や、ロートは目の前の敵を無視して士度の後に続く。ブラウも弟の後始末をしながら、血煙の中主人を見失わないように目を細めた。歯応えがある敵や満足のいく収穫が最近少なかったせいで斜めだった彼の機嫌を直してくれるようなものが、見つかればいいが・・・・。主人を追いながら一瞬視線を絡ませた青と紅は、そんな互いの気持ちを読み取って苦笑する。彼の人が黒豹に導かれるまま、船尾楼から続いている地下へ降りていくのが見えた。仮にその下に敵が居たとしても、彼は難なく一蹴することだろう――
そう判断した双子は、主人を煩わせる輩からその出入り口を守ることが自分たちの任務と瞬時に判断し、再び華麗にその武器を振るい始めた。
この船に捕らわれてからも何度か戦闘行為はあったのだが、今日のは明らかに様子が違う・・・耳を覆いたくなるような悲鳴や怒号は止む事無く、船も心なしか傾いているように感じる・・・・。マドカは扉に手をかけてみた。やはりいつも通りシッカリと施錠されていて、重い扉はビクともしない。上から聞こえてくる悲鳴の数が多く、近くなってきた・・・。海賊船が海賊船に襲われているのだろうか?もしそうだとすると、自分はここに閉じ込められたまま船ごと沈められてしまうのではないか、という恐怖がマドカを襲った。たとえ発見されたとしても、別の海賊に捕らわれて・・・・。この攻撃は、海軍のものではない・・・そうマドカは理解していた。騎士道を重んじる海軍は、攻撃を仕掛ける前には必ず宣戦布告をするということを父から教わっていたし、直前までマドカを陵辱し、慌てて出て行った男たちの様子からすると、相手の出現は不意だったようだ。なにより、ローレライ号というその船の名前・・・そんな名の海軍船にマドカは心当たりがなかった。だとすればやはり・・・・。マドカはもう一度渾身の力を振り絞って扉を引っ張ってみたが、結果は同じだった。自分はここで、死ぬわけにはいかない・・・・いくらその身を穢されようと、いくらその誇りを傷つけられようと、今日まで耐えて生きてきたのは、再び父とあの優しいメイドに会うためだった。そして、婚約者であった公爵様に手紙を書くため・・・・そう、もうこの穢れきった身体では嫁ぐことなどできやしない。せめて、自分の気持ちとお礼だけでも、最後に伝えたい・・・。そして父と、メイドのコリーナと、あのノイオプダハで静かに暮らして一生を終える・・・そんなささやかな希望を胸に、心を殺してきたのに。この船が沈めば自分も死ぬ。マドカは開かない扉を思いっきり叩いた。お願い、ここから出して!誰か助けて!誰か・・・・外からは相変わらず剣の交わる音や大砲が唸る音が聞こえるのに、誰からの返事も返ってはこなかった。硬い木の扉をマドカは叩き続け、叫び続けた。
――どのくらいそうしていただろうか。やがてその檻はマドカの柔らかい肌を傷つけ、血に濡らした。彼女の愛らしい声も枯れ果ててしまった。そして、拉致される前よりも極端に落ちてしまった体力では、この扉に縋ることすら長時間できなくなってしまっていた。腕が、上がらない。声も、もう出ない。悔しさと悲しさと寂しさから大声を出して泣いてしまいたいのに、でるのは嗚咽と涙だけ。マドカは苦しい息の中、数歩先のベッドへと戻って行った。そしてその身にシーツを巻きなおす。着る服も与えられていなかった自分にとっては、この布こそが死装束だと思って・・・。すると、扉の向こうから微かに声が聞こえた。若い男の声だ。足音は一つしかしないのに、誰かと話をしている・・・。
「・・・・なぁ、花っていったって、海の上じゃすぐに枯れちまうんだぜ?潮風にやられてな。だからこんな海上で生花なんて・・・・オイ、鍵がかかっているじゃねぇか。面倒臭ぇな・・・え?枯れた花には用はない?なんだよ・・・じゃあ後だ後!上を片付けてから、後で銃でも持ってきて鍵壊そうぜ。」
鍵がかかっているんだから、花じゃなくても何か特別なものがあるかもしれないしな・・・男が踵を返す気配がした。待って!!ここにいるの!!そう叫んだつもりだったが、掠れた声が喉の奥で鳴っただけだった。マドカは痛む身体を押して、扉の前まで這って行く。そして渾身の力を込めて、もう一度その厚い扉を叩いた。手の骨がきしむ・・・・この騒ぎの中では、こんな小さな部屋のことなど忘れ去られてしまうかもしれない・・・。そしたらもう、父様にもコリーナにも会えない、公爵様へのお手紙も書けなくなる・・・・海賊でも誰でもいいから、ここから出して・・・お願い気がついて・・・・。それでも遠くなっていく足音に絶望を感じたそのとき。
「何だよ・・・やっぱり何かいるって?オマエなぁ・・・分かった分かった確かめてやるよ・・・エサにでもなる鼠でもいればいいよな!!」
ガンッ!!剣が鍵に振り下ろされる音がした。畜生、刃が傷むじゃねぇか・・・・男が文句を言う声がした。マドカは慌ててベッドへと身体を移動させる。内開きのこの重い扉に万が一にでも当たったりしたら、自分は一たまりもないだろうから。ガンッ!ガンッ!ギンッ・・・・!何度目かの鋭い響きの後、ゴトリ、と南京錠が落ちる音がした。と同時に、バタン!!と勢い良く扉が開いた・・・・そこには鋭い眼光を持った逞しい青年が一人立っていた。
精悍な顔立ちに、無造作に立てている黒い髪。額には見たことがないような紋様のバンダナを巻いていた。彼が着ているシャツは血に赤く染まり、刃渡り一メートル程の長い剣にも血糊がついている。その剣を一目見て、マドカの脳裏にノイオプダハで襲われたときの光景がフラッシュバックした。自分は、また、ここで・・・・。外に出られる、と一瞬思った儚い希望がマドカの中でガラガラと音を立てて崩れていった。もしかしたら彼の横にいる見慣れぬ獣の餌にされてしまうのかもしれない。その口元にはべっとりと血がついている。ベッドの上で震えているマドカを見てその男は片眉を上げた。
「女・・・・?」
血塗れた剣を片手に、彼はゆっくりと近づいてきた。
「女・・・・?」
薄暗く、黴臭い部屋の中央にあるベッドの上で、シーツを身に纏った少女が震えていた。士度の横でアマデウスが大きな溜息を吐く。
<ナンダァ・・・ニンゲンノ、メスカァ・・・。イコウ、シド?ツマンナイヨ。>
<いや、お前案外いい仕事をしたのかもしんねぇぜ?>
士度は上から下から観察するように少女を眺めると、ごねるアマデウスに、そこで待ってろ、と言って、ベッドの上に小さく咲いている枯れかけた花に近づいた。そしてその頬にそっと触れる・・・ビクリ!と華奢な体が大きく揺れ、彼女はその身を一層縮こまらせた。
「お前、名前は?」
男からの思いがけない問いに、マドカは瞠目した。そして恐る恐る顔を上げると目の前には、無表情な瞳で自分を見つめている、凛々しい男の顔があった。
「名は何という?言葉は分かるか?」
もう一度、今度はゆっくりと、男は問うてきた。マドカは声を絞り出そうと精一杯身を伸ばしたが、カラカラに乾いてしまった喉からは痛みと、ヒュッと引き攣れたような音がでるだけ。
「・・・・?喋れないのか?声が・・・でないのか。」
喉元を押さえながら困惑するマドカの状況を察した士度は、もういいよ、と小さく言うと、彼女の血に濡れた手を見て眼を見張る。さっきはシーツに隠れていて気がつかなかったが・・・・。
「手ぇ、どうしたんだ・・・・。あーあ、綺麗な手がもったいねぇな・・・・」
手を徐にとられたことに驚きながらも、マドカはチラリとその視線を彼が入ってきた扉へ流した。士度もその目線を追う。扉の其処此処には赤い模様ができていた。
そうか・・・出たかったんだな・・・・士度はその汚れた扉に目を細めると、彼女の方へと向き直り、自分の手にすっぽりと納まってしまっている彼女の白い手に舌を這わせた。そしてピチャリ、と鮮血を舐め上げる。ビクンッ!とマドカはその男の唐突な行動への驚きと、傷口を舌が直接這う痛みから身を震わせ、慌てて掴まれている両手を引っ込めようともがいたが、そのか弱き抵抗は男の力の前では全くの無力だった。じっとしていろよ・・・男はそう呟くと、マドカの手の傷口をゆっくりと舐めていく。銃と剣の音が遠く聞こえる中、その小さな部屋の中ではピチャリ、ペチャリ・・・・と丁寧に血を舐めとる音だけが響いた。両の手を交互に、まるでその血が流れ出ていくのを惜しむかのように・・・・。すでに数多の男たちの舌でもって躯中を蹂躙されつくされていたマドカだったが、不思議と彼のこの行為には、いつも身を這う嫌悪感を感じなかった。慈しみを感じるのは気のせいだろうか・・・・。
マドカがそんなことをボンヤリと思いながら、なすがままにされていると、ピタリ、と彼の動きが止まった。そして彼女の傷口を観察すると、「よし、棘や破片は入っていないようだな・・・」そう言って彼女の手をパタリと落とす。そしてマドカが身に纏っているシーツの裾に手をかけた。その突然の行為にマドカは驚愕し、その身をベッドの端の方へ慌てて逃がす。士度は彼女の驚き様に呆れたような顔をすると、深い溜息を吐いた。
「そのシーツの端をもらって包帯作るだけだよ・・・何されると思ったわけ?ったくハナから信用ねぇな・・・」
彼のその言葉を聞いて、サッとマドカの顔が朱に染まった。自分は彼の親切心になんという思い違いを・・・失礼にも程がある。この部屋に入ってきてから彼は、乱暴な行為や言動を一度も自分に投げかけなかったではないか。それなのに自分は・・・。マドカはおずおずとその身体を元の位置に戻した。そしてシーツの端を彼に差し出す。それを受け取った士度は、その白いシーツの端を長く引き裂きながら、溜息混じりに呟いた。
「ま・・・それだけ酷い扱いを受けてきたってところか・・・」
そして俯いて罰が悪そうな顔をしている少女に、気にするな、と声を掛けてやると、両手の傷口に簡易で作った包帯を巻いてやる。
「士度様!!大丈夫ですか!?」
いつまでも上がってこない士度を心配したロートの声が遠くから聞こえてきた。「おう!!もう戻る!」士度も大声でその声に返した。そして立ち上がり、マドカに背を向ける。そんな彼の行動に、マドカはどうしようもない不安と、何故だか、寂しさを感じた。
彼が一歩扉の前に近づいた。置いていかれる!!そう反射的に思ったマドカは、慌ててベッドから身を乗り出した。すると、彼はくるりとマドカの方を振り向いた。
「さて・・・俺はもう行かなきゃなんねぇが・・・・お前も一緒に来るか?」
士度、と呼ばれた男はそう言うと、マドカに手を差し出した。彼の眼は・・・・とても優しくマドカには映った。
その姿が、彼女がいつか見た公爵の幻影と重なった。
マドカは恐る恐る手を伸ばした・・・・そして、その震える小さな手が、士度の大きな手に収まった。彼の姿は壊れない。消えてなくなってしまわない・・・・。
ツ・・・・とマドカの頬に光るものが伝った。そして涙の下には幸せそうな微笑が・・・・その姿に驚いて士度は眼を見張った――。
「おい、お前・・・・」
士度がその小さな手を掴んで彼女を引き寄せたとき、マドカは意識を手放した。
躯も、心も、痛いところだらけなのに・・・・この心地良さはなんだろう?
トサリ・・・と自らの腕に倒れこんできたマドカを士度は驚き半分、不思議半分の顔をしながら支えた。刹那・・・・彼女の微笑を綺麗だと思った――泣いていたはずなのに・・・。士度は少しの間考える素振りを見せたが、すぐに彼女を肩に担ぎ上げると、アマデウスを伴って未だ血生臭い匂いが漂うデッキへと戻って行った。
「・・・士度様、何ですかそれは?」
目の前にいる敵を薙ぎ払いながらブラウは士度の肩に担がれている白い物体について一応訊いてみた。
「ん?今回の俺の戦利品。」
そう士度は何でもないように答えると、洋剣を片手で巧みに操り敵を牽制しながら、アマデウスに告げる。
<走るぜ!船尾だ!行け!>
アマデウスが駆け出した。その直ぐ後ろに士度が続く。牙を血で濡らしながらデッキを走る猛獣に寄ってくる馬鹿はいない。士度は空いた道を易々と駆けながら、サイドから顔を出してくる邪魔者を片付ければいいだけだ。そんなことは片手で事足りる。赤塗りの敵船の船尾にはローレライ号の船首が張り付くように止まっていた。そこではレーヴェが戦況を窺いながら主砲を打つタイミングを計っている。
「レーヴェ!受け取れ!!」
「!お頭ッ、もうそろそろ・・・・・!!?」
突然、空から長い黒髪の小さな身体が砲弾長の前に振ってきた。レーヴェは慌てて手を伸ばし、すんでのところでその物体を受け止める。見ると、気を失っている美しい少女が腕の中にいた。
「な、なんだぁ!?お頭・・・!!」
「俺の今回の獲物だ!どっか安全なところに転がしておいてくれ!!」
そう言うや否や士度は再び乱闘の中へ戻っていく。
「!猫の子じゃあるまいし、レディをこんな風に投げちゃいけませんぜ!!」
(ツッコミどころはそこじゃないと思う・・・・) (猫の子だって投げられちゃ気の毒だよなぁ・・・)
上司たちの遣り取りにそんなことを思いながら、射撃隊の面々は鷹の眼を働かせ続けた。狙うべき獲物が減ってきている。決着は近い・・・。
それから十数分後・・・主砲が火を噴き、赤い船は炎に包まれた。そしてその禍々しい色をした巨船は、ゆっくりと水面へと飲み込まれて行った。
「は、離せ!!・・・ッグハ!!」
暴れる敵方の大将の腹をロートが容赦なく蹴り上げた。毛むくじゃらの男は、自分を攻撃した男を睨みつけたが、その紅蓮の瞳に睥睨され、慌てて眼を反らした。すると、その俯いた顔を、別の男のブーツの切っ先で容赦なく跳ね上げられた。目の前には若い男の姿が――。額にバンダナ、足元に黒豹、両サイドに控えるのは青と紅の白い魔物――ビーストマスターだ。
「どーも、大将さん。ハジメマシテ。」
お噂はかねがね・・・抑揚の無い声でそう言いながら、青年は組み敷かれている男を見下ろしている。
「・・・ビーストマスターがこんな若造だったとはな。畜生、貴族の狗め!!・・・グ!!」
男が鬼の形相でそう吠えるのと同時に、ロートの蹴りが再びその腹を抉った。士度は顔色一つ変えず話を続ける。
「貴族の狗ってなぁ・・・別にこっちは海軍なんかと違って縛られてない自由業だぜ?仕事は金次第、だから依頼主も自然と貴族共が多くなるだけの話だろ?・・・まぁ、そんなことはどうでもいいや。」
フッ・・と士度は溜息交じりに一息つく。
「・・・・ノイオプダハ襲ったの、アンタら?」
士度の声の調子を聞いて、彼の背後でその様子を窺っていた笑師と波児の視線が動いた。
「だったら・・・何だって言うんだよ・・・」
奪還屋風情が何を訊いてくるかと思えば・・・と話の流れが読めない男が答えた。
「ノイオプダハのトーンフェーダー嬢に賞金掛かってるの知ってるか?彼女の婚約者殿から、さ。生きてたら3000万ターラー、死体にはその半分。」
「!な、何だと!?」
その金額に男は目を見開く。城が一つ買える値段だ・・・。あの小娘の何処に一体そんな価値が。
「・・・そんな奇特なことをしている馬鹿貴族は一体どこのどいつだ?」
誰だっけ?と士度がわざとらしく波児に訊けば、
「ヴォルフガング・ヴィンターバウム公爵殿だよ。」
と地べたに這い蹲っている男に向かって彼は気の毒そうに答えた。
「!?あの・・・北の狼か!?」
中央に王を、その側近として四大公をかざすトイフェルドルフ王国。その中でも北は安住の地として知られていた。しかし、それはその領域を侵す者に対して容赦なくその牙を振るうヴィンターバウム家の力があってのこと。一度その公爵家に眼をつけられた悪党は、二度と再び世にでられないという・・・。――
知っていればこっちの身分を隠してさっさと引き渡していたぜ・・・と自嘲気味な笑みを浮かべながら男は頭を垂れた。
「・・・と言う事は、この船の奴隷の中にいるんだな、トーンフェーダー嬢は。」
士度の言葉はもはや問いかけではなく確信。どいつだ?と奥の方で固まっている解放奴隷の女たちに向かって顎をしゃくる。
「・・・・あの中にはいねぇ。別室で可愛がってやってたからな。」 「・・・・船尾楼の、船倉でか?」 「・・・・・・」
男の無言の返事を士度はイエス、と取った。すると男がククク・・・と徐に笑い出した。
「・・・・なんだよ。」
その下卑た笑いが気に入らず、士度は不機嫌に問いかける。
「いや、貴族って奴は本当に馬鹿だと思ってよぉ!昼夜を問わず毎日男を銜え込んでいた女に、3000万ターラー!?攫われた時点でそうなることも予想がつかなかったのかよ!?ホント、オメデタイ奴等だよなぁ!」
死体にまでその半分出すって、婚約者の遺体を飾るつもりでもいたのかよ!・・・後ろ手を捕られながらも男の笑いは止まらない。男を再び黙らそうと身構えたロートを、士度の片手が制した。
「ふーん、お前もお楽しみだったって事か?」 「そりゃあ、生娘の味は極上だったぜ!せっかくそこで転がっているんだ!!お前も試してみろよ!」
甲板の端で未だ気がつかないマドカを介抱していたヘヴンが顔を顰めた。そして士度の顔を窺ってみる―― とても静かな表情をしている・・・・こういう時の彼は、危険だ。
その時、低い汽笛が辺りに鳴り響いた。黒い監獄船がローレライ号に横付けしたのだ。二つの黒き船が隣り合う―― それはまるで死神たちが語り合っているような光景だった。身柄をローレライ号に移されていた赤蜥蜴の生き残りの者たちから恐怖の悲鳴が上がった。先ほどまで醜く笑い続けていた男の顔も青くなる――
海軍や奪還屋によって海で摘発されたならず者たちを、裁判にかけるべく王都へと運ぶのが司法省直属の監獄船の役目。しかし、この血雨号に乗せられた者は・・・・王都に辿りつく頃には大半の者が絶命、そして残りの半分は生きる屍と化しているという。この船の船長であるジャッカルのやり口は司法省はもちろん、国王の耳にも届いているはずなのに、何故か野放しにされていて、今日もこうして“仕事”をしている。その謎を知るのは、中央でも限られた者だけであって、彼を最も恐れている海賊たちの知るところではなかった。
「これはこれは、ビーストマスター・・・・お久し振りですね。」
久々の御指名、嬉しく思いますよ・・・・ 眼深に被った黒い帽子を押さえ、漆黒の長いコートを翻しながら、血雨号の船長は機嫌よく渡り板を歩いてきた。
笑師は鳥肌を立ててコソコソと波児の後ろへ隠れる。ロートとレーヴェは彼をチラリと睥睨し、ヘヴンはヤレヤレ、とマドカの介抱を続けた。
「・・・・生きが良い奴等が沢山手に入ったんでな。最近要塞三つ潰した赤蜥蜴だ。可愛がってやってくれ。」
「随分と荒稼ぎをしたものですね・・・・最近大人しく小さな仕事をしていると思っていたら、狙いはコレでしたか。まぁ、ぜひとも捌いてみたい人たちだと私も思っていたので、助かりましたよ。」
ヘヴンの足元に横たわるマドカと、今は小さく縮こまっている猛者たちを横目でチラリと見ながら、ジャッカルはいつになく饒舌だった。そして、「この御人も連れて行ってよろしいのですか?」と足元にいる赤蜥蜴の大将を見下ろした。
「いや・・・コイツはここでサヨナラだから。」
士度がブラウからタルワールを受け取った。彼の言葉と様子に敵軍のボスは慌てる。
「ち、ちょっと待て!!生け捕りにした海賊は監獄船に乗せる決まりだろうが!!それを破ったらお前も海軍に眼をつけられるぞ!?」
そう唾を飛ばしながら叫ぶ男に、一枚の許可書が投げつけられた。
「・・・・タイヒザック、オーバーフェルト、そしてノイオプダハ。三つの要塞、いわば国防庫を闇討ちで荒らしたんだぜ、お前等?しかもノイオプダハでは島民殆ど全員殺しやがって。挙句の果てに国王が仲人を務める貴族令嬢掻っ攫うたぁ、たいした勇気だな・・・・。で、国王とヴィンターバウム公爵は怒り狂って、海軍と奪還屋にソイツをばら撒いたのさ。赤蜥蜴の拿捕とその大将の身柄に500万ターラー、ただし大将は “Dead
or Alive”。」
早い者勝ちで首さえ持っていけば、俺らに500万入るってこった・・・残念だったな―― 士度はそう言うと、長剣を高く掲げた。
「ま、待ってくれ!命だけは助けてくれ!!そうすれば俺らの隠し財産の場所を・・・・!!」
「お前、はしゃぎ過ぎたんだよ。」
そしてタルワールは振り落とされた。血の帯を引きながら高く飛んだ塊は、数秒後ゴトリ・・・と音を立ててデッキに転がった。解放された女たちから悲鳴が上がり、彼女たちはその光景に一斉に顔を背けた。ローレライの船員たちはただ静かに船長の行動を見守ると、やがてそれぞれの持ち場と仕事へと戻って行った。
パン、パン、パン・・・・と乾いた手袋の音だけがデッキに響き渡る。ジャッカルが薄く笑みを浮かべながら一人拍手をしていた。
「相変わらず鮮やかな太刀筋ですね・・・・それに、私は好きですよ、あなたのその眼・・・・」
人を斬る時のあなたのその眼光がね・・・・そう言いながらクスリと笑うジャッカルを、士度はその冷たい眼のまま睥睨する。ロートは黒服の男に掴みかからんばかりの怒りを身の内から溢れさせていたが、ブラウが彼の肩を抱くことで辛うじてそれを押し留めていた。
「薬屋も来るんでな・・・さっさとこいつ等乗せて船退けてくれ。」
こっちは予定が混んでるんだ・・・士度は顔に散った返り血を鬱陶しそうに拭いながら冷めた声でそう言うと、書記班に手続きの指示を与えながらその場を離れた。ブラウは運搬の為塩漬けにすべく、転がっている首を拾って士度の後に続いた。
「やれやれ・・・相変わらず、つれないお人だ。」
そう言いながらも、ジャッカルは大して気にした風ではない。そして手続きを秘書に任せて、士度の後姿を見ながらもう一度クスリ、と笑うと、
「ヴィンターバウム公に宜しくお伝え下さい・・・」
そう言い残して自分の船へと戻って行った。ジャッカルの最後の言葉に士度は唇を噛む。公爵・・・・“奴”こそが今一番の障害だ・・・・。
士度が顔を曇らせていると、アマデウスがその足に額を擦りつけてきた。
<シド〜!イイモノ、ミツケタ。ボクノクビニ、ツケテ!>
押収した宝箱を先ほどまで漁っていた愛豹の口元にキラリと光るのは、鳥籠の中で蒼い星が揺れている小さなペンダント。銀の鎖は千切れていて、ペンダントヘッドが辛うじて引っ掛かっている状態だ。
<・・・確かに、上物だな。お前もホント、好きだよなぁ・・・>
士度はその眩しく光る星を暫く見つめ、呆れたように呟いたあと、何処からか革紐を取り出すと、その銀の鎖に器用に結びつけてそのペンダントを首輪代わりに相棒に付けてやった。アマデウスは至極ご機嫌だ。<ミンナニ、ミセテクル!>そう言うや否や、黒き獣は甲板上を徘徊し始める。
「あんた!ノイオプダハの連中が皆殺しにされたって本当かい!」
士度がアマデウスの相手をし終わった直後、解放された女たちの中から一人の中年の女が彼に声を掛けた。マドカが拉致されてからずっと彼女の世話をしてきたアンナだ。もっとも、彼女が捕らわれてから十日もすると、アンナの口からマドカに自分たちのことが洩れるのを嫌がった海賊たちの邪魔立てもあって、マドカの部屋へは必要最小限の出入りしかできなくなっていたが・・・・。
「・・・・あぁ。大怪我をしながらも辛うじて生き延びた数人の村人を除いて、全滅さ。」
そしてその数人も王都に移された・・・・苦味を堪えるような口調で士度は答えた。
「じゃあ、あのお嬢ちゃんのお父様って人も・・・・」
「残念ながら、な・・・・」
「嘘よ!!」
士度の言葉に、小さな、しかし叫ぶような声が重なった。士度が後ろを振り向くと、マドカがヘヴンに支えられるようにして立っていた。その身体は震え、眼には涙が溜まっていた。
「だって、だって・・・・私さえ大人しくしていれば、お父様や島の人たちには手を出さないって、あの人たちは言ったもの!一月経ったら島へ帰してくれるって・・・・お父様にまた会えるって!」
「・・・・お嬢サン。アンタには酷な話だが、トーンフェーダー提督のご遺体をこの俺も確認した。だからアンタの身柄はこれから王都に・・・・」
「嘘・・・嘘でしょ・・・・?」
そう呟くと同時に、何処にそんな力が残っていたのか、マドカはヘヴンを振り切って甲板を駆け出した。――ちょっと!待ちなさい!! ヘヴンは叫び、士度も慌てて彼女を追ったが、マドカは監獄船の為に用意されていた渡り板に続く木製の短い階段を駆け上がった。そして今は海に突き出て揺れる渡り板の端へと向かう。
「オイ!何やってんだ!?戻って来い!!」
士度は階段に足をかけて精一杯その手を伸ばした。自分が渡り板に体重をかければ、彼女は・・・・。騒動を聞きつけた船員たちが集まってくる。
マドカは久し振りに浴びる太陽に眼を細めた。そして眼下に広がる暗い海を見つめながら、追いかけてきた人に問うた。
「・・・お父様、もう、いないの?コリーナも・・・?あの島にはもう誰も残っていないの?」
虚ろな声が、士度の耳に届いた。
「大丈夫だ・・・お前は一人じゃない。だから・・・・」
彼女の痛いほどの声に顔を顰めながら、戻って来い―― そう告げようとした士度の目の前からマドカの姿がフッと消えた。そして海に人が落ちる派手な音が甲板に響いた。
「あ〜!!3000万が!!」思わずそう口に出して言ってしまった笑師の頭を、波児とヘヴンの拳骨が捉える。
「―――!!」
そして彼らの眼に飛び込んできたのは、ブラウの制止を振り切って渡り板から飛び込む士度の姿――
「士度!」「士度はん!?」「士度クン!!」「士度様!!」「頭ァ!!」
ちょっと!!あの馬鹿!!ここは鮫の巣窟よ!! そうヘヴンが叫ぶと同時に、レーヴェが船員に、銃を持って来い!!と怒鳴った。
主人の姿が水面下に消えると、ブラウはロートに目配せをした後、何の迷いも無く士度の後を追った。「ちょ、!えぇ!?も〜!!馬鹿ばっかり!!」ヘヴンが金切り声を上げながら慌てて救急箱を取りに行く中、兄の意図を察したロートは直ぐに滑車の用意に取り掛かった。
誰かに名前を呼ばれたような気がした―― でもきっとそれは気のせい。もう私の名前を呼んでくれる優しい人はこの世にいないのだから。
あぁ、海の中ってこんなにも暖かく、綺麗だったんだ・・・・・
マドカは身体を沈むに任せながら、そんなことを思った。遠く上の方から差し込む日の光の煌きが、キレイ。
果てしなく私を包む青が、キレイ。
マドカが身に纏っているシーツの端が海中に広がり、まるで彼女を引き込むかのようにその周りで揺れた。
無駄だったのだ・・・・何もかも。お父様、コリーナ、ごめんなさい。私はあなた達の死を悼む間も無く、傍に行くから。
ねぇ、早く私の意識も、命も、この海に溶かして―― もう、痛いのも、苦しいのも、悲しいのも、嫌――。
「!?」
青の中を揺れている腕が誰かに捕まれた。そしてただならぬ力で引き上げられ、遠くなっていた水面の煌きが一気に近くなる。
やめて・・・・!!私は、もう、戻りたくない・・・・!!
空に近くなっていた肺の中に新鮮な空気が急に流れ込み、マドカは激しく咳き込んだ。そして再び海の中に戻ろうと、掴まれた両手を自由にしようと、がむしゃらに暴れる。
「オイ!何やってんだよ!!」
「離して!!父様のところへ行くの!!」
再び海に身を任そうとするその痩躯は、たやすく引き戻される。知らない男に、死に行こうとする間際まで身体を操られている事実が、どうしようもなく惨めで悔しかった。
「いいかげんにしろ!!」
もがく身体を背後から抱きすくめるようにして押さえ込まれる。男の体躯の大きさと、力強さに竦みあがりながらも、マドカはあらん限りの声で叫んだ。
「お願い!!死なせて!!」
「―――ッ!黙れよ・・・・お前!!」
自分の声ではない、苦しそうな声がマドカの耳に届き、彼女の叫びを飲み込むように唐突に口付けられた。
瞬間、ビクリッと身体を震わせた彼女は、そしてその大きな眼を見開く。
―― こんな優しいキス・・・私は・・・シ ラ ナ イ――
ゆっくりと口腔をなぞる、労わるようなやさしいキス。
マドカが男の濡れたシャツを縋るように掴んだとき、彼の唇は離れていった。
そして彼女を顔を両手ですくい上げるようにして覗き込みながら告げる。
「――死ぬ、なんて、簡単に言うなよ・・・」
そこでマドカはようやく、自分を海から引き上げてくれた男の顔を見た。あぁ、自分をあの部屋から連れ出してくれた人だ。この大きな手を差し伸べて・・・・。でも、どうして?
苦しいのも悲しいのも私なのに、どうしてあなたがそんな顔をしているの・・・・?哀しそうな、叫びだしたいのを堪えるような、そんな表情―――。
・・・痛い。
「いた・・・いの。」
「?・・・あぁ、悪りぃ、強く掴み過ぎた――!!お前、その身体!?」
彼女の身を辛うじて隠しているシーツの此処其処に、いくつもの赤い染みが浮かび上がっていた。急に動いたせいで、その華奢な身体を走っていた傷のいくつかが開いたのだ。そしてその傷が海水で洗われ、痛くないはずはない。少し落ち着いたマドカの心は、痛覚を急激に呼び戻した。両手に巻かれた包帯からも、再び鮮血が滲み出ていた。刺すような痛みがマドカの躯を駆け巡り、彼女の意識を徐々に奪っていく。
「ヘヴン!!」
士度は頭上にいるはずの船医の名を叫んだ。「わかってるわよ!!」高い声が返ってくる。
「士度様!!鮫が来ます!!」
ブラウが短剣を片手に士度の前に回りこんできた。マドカの身体から流れる血の匂いを嗅ぎつけた、人肉を好む者たちの背ビレが十数翼、士度の眼にも飛び込んでくる。
「彼女と一緒に上がってください!早く!!」
船上からマスケット銃が一斉に火を噴いた。それでもその銃弾をかいくぐった海の獣が、獲物めがけて踊りかかってくる。
「行って下さい!!早く、士度様!!」
ブラウの腕を牙が掠めた。
「チッ!!」
士度は滑車台にマドカだけを乗せると、上げろ!!と見下ろしていたロートに命令した。逡巡するロートに、早くしろ!!と怒鳴る。 マドカが揺れる台の上で力なく伏しているのを眼の端に止めると、士度はブラウの元へと泳いで行った。そして彼の背後から襲いかかろうとする鮫を、小刀で一閃する。
「!?何をやっているのですか、士度様!!」 「うるせぇ!!さっさと退路確保して上がるぞ!!」 「しかし・・・・」 「お前も黙れ!!」
畜生、どいつもこいつも勝手なことばかり抜かしやがって・・・・・士度はやり場の無い怒りを、襲い掛かる鮫を切りつける手に籠めた。“力”を使うタイミングを逃し、部下を危険な目にあわせて、鮫を殺す破目に落ちいっている自分自身に対して、一番大きな憤りを抱きながら。
船上からの一斉射撃が続いた。士度はブラウの襟首を掴むと、再び降りてきた滑車台に彼を強引に上がらせ、自分もその端に手を掛けた。ぶら下がる士度の脚に鮫が食いつこうとする――その鮫の眉間に、ロートが上から投げた短刀が突き刺さり、鮫はもんどりを打ってその巨体を再び海中へと沈めた。
しかしそれでもさらに彼の足元には鮫が屯してくる―― 顔を突き出してきたそのうちの一匹の眼を士度は睨みつけた。するとその鮫は弾かれたように身を翻し、尾を揺らしながらその場を離れた。そして数多いた鮫たちもそれに続いて、潮が引くように退却していく――
銃撃が止んだ。
血に染まった海が静かに凪いでいる。背後でブラウが身体の力を抜く気配がした―― 士度も人知れず静かに溜息を吐いた。
「・・・・ッ」
「士度はん、大丈夫かいな・・・?」
笑師は濡らした布で士度の目の辺りを押さえながら心配そうに彼を覗き込んだ。久し振りに“力”を使ったのが堪えたようだ。
「・・・・大した事ねーよ。それよか、ブラウの傷は・・・」
「大丈夫です。単なる掠り傷です。」
ブラウの代わりにロートが答えた。
「士度様、助けていただいてありがとうございます・・・ですが、お願いですから、私の為などにあんな無茶はもう――」
「あー、小言は後にしてくれ・・・・なんかもー疲れたから少し休むわ。そのお嬢サンの事と怪我人の手当て頼んだぜ、船医殿?」
ブラウの懇願するような声に士度の適当な声が重なった。ヘヴンは苦笑しながらも「了解。」と冗談交じりの敬礼をする。
「波児、王都に賞金首二つ確保したって伝えておいてくれ・・・・皆もご苦労。」
士度の言葉に一同が姿勢を正し目礼した。波児も、アイサーと答えると、紙とペンを取りに書斎へと向かう。
士度はヘヴンの足元で気を失っているマドカをチラリと目の端に止めると、そのまま笑師とアマデウスを伴って自室へと向かった。
船に上がると同時に、ヘヴンが開口一番「彼女の傷の事は心配しないで。」と言って来たので、大丈夫だろう。
しかし―― 気分が悪い。一仕事終えた後の爽快感が、今日はない。身の内に重い錘でも引っ掛けられたかのようだ。
数年振りに人の首を撥ねたからか・・・ジャッカルの余計な一言のせいか、それともあのお嬢サンが原因か?
頭痛を払うように頭を振った士度を見て、笑師は「ちょっと氷貰ってくるから待っててな!」と言うと、船上では至極貴重品であるものを取りに厨房へと駆けて行った。
士度は足元にあった箱に、とりあえず腰を降ろした。アマデウスが甘えるようにその膝の上に黒い頭を載せてきた。士度は彼の耳の後ろを掻いてやりながら、水平線に沈む夕陽に目をやった――
同じ赤でも、今日飽きるほど浴びたものより、こちらの方がやはりいい・・・。
「・・・・あの身体の傷から推測するに、彼女けっこう拷問めいたこともされているみたいなのよ。あと避妊の為の強い薬も飲ましてたって、世話女が言っていたし。加えてお父様やノイオプダハのこともあるでしょ?だから、あまり乱暴に扱わないで、優しい言葉の一つや二つかけてやって・・・・」
「俺は“女”にはいつも“優しい”つもりだがな・・・・」
不満そうに士度が呟いた。そんな彼の答えにヘヴンはフッと軽く溜息を吐く。
「あの子は箱入りの貴族のお嬢様!あんたが普段相手にしているタフな女達と違って、温室育ちの花のように繊細なのよ!?そこんところをちゃんと考慮して扱わないと・・・・」
「あ―・・・・面倒くせぇな・・・・――!!あの馬鹿!!」
「え?〜〜!!あ゛――!――ッ士度クン!!」
マドカが休んでいる部屋を士度とヘヴンが覗いた、正にその時、再び事件が起こった――。
ラベンダーの香りがする・・・・サラリとしたシーツ、肌に優しい絹の寝巻き、ふかふかの羽毛の掛布―― それらの優しい感触が妙に懐かしく、心の澱を少し流してくれるようだ・・・・。
気がつくと、見知らぬ天井。汚れていた髪や身体もいつの間に清められたのか、サッパリとしている。両手には真新しい包帯。身体にもいくつか当て布がしてあった。鼻にツンとくる薬の匂いが包帯の奥から微かにした。マドカは包帯を巻かれた手を上に掲げて、ただ何と無しにボンヤリと眺めていた――
すると、彼女の目の前にヌッ・・・と黒くフワフワしたものが現れた。突然のソレの出現に、マドカは吃驚して身体を強張らせる。視点を合わせると、それは、いつか見た見慣れぬ黒い獣。しかし、口元にベットリと付いていた血はすでに無く、代わりに今は愛嬌のある大きな金色の眼をクリクリと輝かしながら、興味深そうにマドカのことを覗き込んでいた。よくよく見ると、猫の顔に似ている――。身動きしないように気をつけながら、マドカがその獣を恐る恐る観察していると、部屋の外から足音と話し声が聞こえた。
「・・・なのよ!?そこんところをちゃんと考慮して――」
<アッ!シド、キタ!ネェ、メガサメタ、ミタイダヨ!!>
その黒い大きな動物が嬉しそうに喉を鳴らしながら、ベッドの端に手を掛けて背伸びをするように首を回らした―― その首筋に輝くのは、あの蒼い星を囲った籠。
「――!?猫さん!!そのベンダント!!」
マドカは急に起き上がり、咄嗟にその獣の首に手を伸ばした。
彼女の突然の動き、それも自分に向けられたアクションに驚いたアマデウスはその耳を伏せ、牙を剥きながら爪を出した。
そしてその光る爪を持った前脚は、反射的に彼女に向かって振り下ろされた――。
「――!!あの馬鹿!!」
鮮血が、純白の掛布に散った。
長くてすみません・・・次回第四章はここまで長くない、はずです;
冒頭士度が口ずさんでいた詩の訳は・・・・ネタバレてんこ盛りなので追々。
歌詞の雰囲気はだいたい仲間達の感想通りです。
終盤にでも設定ネタバレ劇場nを作る予定です。今回の詩(?)はもちろん、固有名詞の由来etc.の補完を。
第四章から士マドのまともな(?)会話がようやく・・・あ゛ぁ、オリキャラ出張っていて平身低頭です;